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第3回3000字小説バトル
Entry2

近年、地獄事情

作者 : ひろ猫
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文字数 : 2935
 気まぐれに吹く突風に舞い上げられ、細かい砂が容赦なく目の中
に入ってくる。痛い。見渡す限り白い海、と言ってもここは海では
ない。まるでその様であるかに見える広大な砂漠の真中である。な
ぜ真中であると思うのかと言えば、それは私がもうかれこれ十時間
近くも歩きつづけているというのに、民家どころか雑草さえも生え
ていないからである。
 白砂に月の光が反射してきらきらと光る、確かに美しい。いや、
そうに決まっている。ただそれも、この飢えと渇きの前にはこの上
なく虚しいだけなのである。
 つい今しがた私は死んだ。いや、正確には車に跳ねられたのだか
ら殺されたと言うべきなのかもしれない。
 生前は友人達と「天国とはどのようなところなのか」というきわ
めて神秘的な問いについて、しばしば語り合ったものである。まあ
半分は酒を飲みながらの与太話のようなものなのだが、それにして
も人間は十人十色、百花繚乱と言うべきか、かくも多種多様な考え
を持っているものなのかとまったく驚かされた。ある者は「自分以
外は女しかいないハーレムのようなところだ」と言い張るし、また
ある者は「コンビニのようなところに世界中の酒が並んでいて、そ
れが全てたったの10円で取り放題なのだ」と言う。なぜ10円なの
かはいまだに定かではないが、それを聞かずにあの世に来てしまっ
たことが心残りなのは間違いない。
 とにもかくにも、か様にきらびやかな意見が飛び交う中、私は
「天国とは一面白砂に覆われた不毛の砂漠であり、昼が一日のちょ
うど半分、そして夜になれば黄金の月がのぼり大地を星屑の海であ
るかのように美しく照らし出す、そんなところだ」などと気取った
ことを言っていた。知恵誇りのするタイプであった。で、今にいた
る。果たして天国に来られたことを喜んでいいものかどうか。生前、
私はあまり良いことをしなかった。
 遠くの方からざっく、ざっくと砂を踏む音が聞こえてくる。よく
よく目を凝らしてみると、なんとラクダに乗った日本人ではないか。
なぜ日本人だと思うのか、それはここが天国であり、そうでないと
私はさらに困窮する羽目になるからである。生前、英語はからきし
駄目であった。
「おーい、そこのラクダに乗った人」
 私は大声を上げて駆け寄っていった。
「おお、同士よ。何かお困りか」
 ちょっと変人である。しかし、今の私に選択肢などあろうはずが
ない。私は迷わず問いかけた。
「ここはどこなのでしょう。やはり天国なのでしょうか。そのラク
ダはどこに居ったのですか……」
 男の答えは概ね次のようなものであった。
「ええ、ここは天国であり、このラクダは私の所有物です。生前、
天国にはラクダが住んでいるものと確信しておりましたから」
 どうやらこの男も私と同じく、天国について少々こまっしゃくれ
た解釈をしていた一人らしい。ただこの男の場合知恵誇りではなく、
生まれながらにして少し変わっているという点において、私とは一
線を画している。
 やがて月が沈み、砂漠には容赦なく真昼の陽光が降り注ぐ。
「ねえあなた。私も少しぐらいそのラクダに乗せてくださいよ。昨
晩から歩きどおしで、筋肉痛がひどくって」
「いや、こいつはひとこぶだから・・・・・・」
 けちである。
 いい加減、嫌気がさしてきた頃、遥か彼方に馬鹿でかいオアシス
が見えた。なぜだか分からぬが、これは先ほどまで幾度となく信じ
て裏切られた蜃気楼ではなさそうである。我々は疲れも忘れ懸命に
走った。途中、砂に何度も足をとられひっくり返りながらもどうに
かこうにかたどり着いた。紛れもなく本物のオアシスである。夢中
で飛び込もうとする二人に、誰かが突如話しかけた。
「あんたらやめといたほうがええよ。そいつらとんでもなく獰猛じ
ゃけん」
 声の主はオアシスの真中にいた。美しい人魚たちに囲まれて、さ
ながらリゾート気分である。そして足下に目を移すとそこには三メ
ートルはあろうかという恐ろしげな怪魚が、所狭しとうようよして
いるではないか。
「あなた、いったいどうやってそこまで行ったのですか」
 やりきれないというように私が問いかけると、その男は「はじめ
から居ったけん」と事も無げに言ってきた。どうやらこの男も我々
と同類らしい。ただ人魚とオアシスと食い物がある点において、我
々よりも遥かに恵まれているのである。まあ、あの怪魚はさほど美
味そうではなかったが・・・・・・。それにしてもうらやましい。
私も人魚に囲まれたかった。いや、それが無理にしてもせめてラク
ダぐらい……。
 そんなことを考えながら我々はオアシスを後にした。そして太陽
が西の空に傾きかけた頃、我々は信じられないものを見つけてしま
った。遠くから見るとそれは四角い箱の様に見えたのだが、近づい
てみるととんでもなく大きく、そうさちょうど平安神宮の鳥居ぐら
いの真っ黒い鉄扉だった。木製の古びた表札には、こともあろうに
「ここが地獄の一丁目」と乱雑な字で書いてあった。ちなみにその
表札は一般家庭の物とほぼ同じくらいの大きさであった。我々はし
ばし見詰め合い、お互いの意思の疎通を図った。この時点で、もは
や我々は天国に対する未練を微塵ほども持ってはいなかった。あの
人魚たちを除いては……。
 かくして私は土方作業に精を出している。元々が土建屋だけに作
業もさほど辛くはない。食い物さえもなかった天国に比べたら、三
度の飯が食え、おまけにご飯に限りおかわり自由のこちらは百倍幸
せである。強制労働とは言うものの、それは個人の主観の問題であ
って、やってるほうがやらされてると思わなければこれ文字通り自
主労働、ボランティアなのである。
 ただ、生前の土方作業とは若干性質が違うようである。普通、土
方作業は水道管を通したり、下水管を通したりする為のものだと思
うのだが、ここでは掘ることは掘るがそれをそのままにしてしまい、
何に利用するという訳でもないのである。まあこのへんが強制労働
の、強制労働たる所以なのかもしれないのだが……。
 ところでかのラクダに乗った友人はというと、彼は適正試験の結
果コンピュータープログラミングという、私には到底不可能な仕事
に従事している。無論これも強制労働である。
 それはさておき、そこの同僚に彼が聞いた話が実に興味深い。我
々が数ヶ月前に通った場所は、紛れもなく天国であるというのだ。
そして天国とは普遍的、客観的事実に基づくものではなく、個々の
人間の潜在意識の中に存在しそれがどうやら映写機のようなもので
映し出される幻のようなものであるらしい。もちろんのこと全ての
人間が天国に行ける訳ではなく、皆様ご存知の通りの取捨選択がか
の人によって行われるのである。ただ近年、若者の自主性欠落によ
り強制労働を強制と感じる人間はきわめて稀なのだそうだ。つまり
は天国と地獄の対比により、地獄の苦しみを如実に罪人どもに味あ
わせてやろうという、地獄側の苦肉の策だったのである。「ああ、
そうと知っていれば」と嘆いてはみるものの、やはり強制を強制と
感じない私にとって、多少の労働と鞭打ちはあるものの、ここが幸
せな新天地であることに変わりはないのである。