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第3回3000字小説バトル
Entry6

地下道をぬけて

作者 : 吾心 [ゴシン]
Website : http://www.phoenix-c.or.jp/~seki/index/top.htm
文字数 : 2999
「騎手なんてものは最初が肝心だからなあ、勝ち癖というものを付
けなくちゃ」
そう言って親爺さんはあの馬に乗せてくれた。デビューは遅かった
がここまで二戦二勝、血統はそれほどでもないが、親爺さんの今年
一番の目玉だった。親爺さんというのは僕がお世話になっている厩
舎の調教師で、みんな親しみを込めて親爺さんとか先生とか呼んで
いる。
「なあに、かなり走りは荒っぽいが落とされないようにしがみつい
ていれば勝てるさ。馬に勝ちかたを教わってこい」
 そう言われて送り出されたが、結果は惨澹たるものだった。スタ
ートで出遅れてしまった僕は焦ってしまい、無理に内ラチ沿いへ行
こうとしたところ進路をふさがれ、あげく馬が立ち上がってしまい
落馬。しがみついているだけで勝てるレース、しがみついているこ
とができなかった。
 あの時の記憶は今でも映写機で見るように頭から離れない。襲っ
てくる激痛にうずくまっていると、遠くから寂しげな視線を感じた。
見るとあの馬がゆっくりとこっちに引き返して来ていた。そしてち
ょうど1ハロン先で立ち止まり、じっとこっちを見ていた。
−ごめん。

 今僕はリハビリ中だ。でもリハビリ中というのは名目で、本当は
とっくの前にケガは治っている。あの日から僕は馬に乗るのが恐く
なった、ただそれだけ、仮病だ。恐いのはケガだけではない。視線、
期待、まわりのもの全てのプレッシャーが恐い。そんなある日親爺
さんが見舞いに来た。
 あの馬のことを聞いてみると、あれから一勝もしていないという。
親爺さんが言うには、とたんに走り方が優しくなってしまったそう
だ。前のように力強い走りが無くなったのだと。
「まあ、あれもあそこまでの馬だったのかね。ごめんな、まだ経験
も無いおまえをあんな馬に乗せて」
−違う、違うんだ親爺さん、僕の方があいつをだめにしてしまった
んだ。
「三週間後あれを走らせてみて、だめだったら引退させようと思っ
ている。」
 引退、軽々しく使われる言葉だが、実績も血統も無い馬にとって
それは死を意味している。素質のある馬なのに、僕のせいだ。
「親爺さん、そのレース僕を乗せてください」
「ん?」と、親爺さんは僕の顔を覗き込んだ。しばらくの沈黙の後、
親爺さんは大声で笑いだした。僕は真剣だった。

「怖いんだろ、馬に乗るのが。仮病だって分かっていたよ」
全て見透かされていた。僕はうつむいているしかなかった。
「この馬の父馬を知ってるかい」
「いえ、乗ることばかりで血統までは」
「父馬に乗っていた騎手も、同じような苦悩を味わったんだ。G1
を制したこともある馬で、最強のコンビだった。だがあるレースで
騎手はミスをしてしまいあえなく落馬、馬の方も屈腱炎を起こして
しまった。騎手はもうその馬には乗せてもらえなくなった。馬の方
もそのケガがたたって全然結果を残せない。騎手は自分を責めたさ。
ぱっとしないまま馬は引退レースを迎えることになった。それを知
った騎手は馬主にお願いをした。最後にもう一度あの馬に乗せてく
ださいってね。怒られたり怒鳴られたりしても、何度も何度もお願
いに行った。結局は馬主の方が折れ、騎手はその馬の引退レースに
乗ることができた」
「それで結果はどうなったのですか」
親爺さんはしばらく考えた後、僕にこう言った。
「どうだ、その馬に会いに行ってみるか」

「おう、よう来たの。あいつに会いたいってかい」
牧場のおじさんは嬉しそうに僕を迎えてくれた。あいさつもそこそ
こに僕を馬小屋に案内してくれた。そこでこの父馬の話を聞かせて
くれた。

「うちみてえよ、貧乏牧場じゃ血統のいい馬を生産することなんか
できね。そん中から生まれてきたこの馬はまさに奇跡だべ。天皇賞
も余裕で勝って向かうとこ敵無しの馬よ。
 だが不幸が襲いかかってな、ケガしちゃったんだ。幸い程度は軽
いものだったが、とても元のようには走れね。だが馬主は引退させ
なかった。いくらG1を制したことがあるからって、血統の無い馬
を種牡馬にしても稼げね。馬主は無理にでも走らせて出走料を稼ぐ
方を選んだ。でもやっぱり勝てないわな。格下の相手でも勝てない。
俺はかわいそうで何度も馬主の所へ行ったよ。もうこいつを休ませ
てくれってな。でもこいつはボロボロになるまで走り続けた。
 その頃はうちの牧場も借金だらけで、俺は何もかも嫌になって首
でも吊ろうかと思っとった。そしてやっと迎えた引退レース。これ
を見届けてからでも遅くはないと思ってな。その時生まれて初めて
馬券を買った。こいつの単賞、その時に残った全財産、十万も無か
ったんじゃないかな。かつてのG1馬も単賞で万馬券、誰も期待し
ちゃいなかった。よりによって長距離レースの天皇賞。優勝したら
どうにか借金は返せたけれど、俺はケガをせず無事にレースを終え
てくれることだけを祈った」
「それで結果はどうなったのですか」
おじさんはいたずらっぽく笑った。
「俺の首はどうなってる。そうさ、こいつはまたもや奇跡を起こし
たのさ。全くこの馬はここの牧場の誇りさ。牧場の危機を二度も救
ってくれたのだからな。」

 その晩僕は牧場のおじさんの家に泊まった。おじさんは夜遅くま
で馬の話を聞かせてくれた。
「あいつの苦労はまだ終わっちゃいなかった。血統が悪いから種牡
馬としての価値はほとんど無い。うちであいつを引き取ったけど、
誰も種付けを頼みに来ない。仕方ねえからうちにいる牝馬に種付け
していたけど、それでも一頭か二頭が限度だ。
 でもよぉ、おめえが今度乗るあの馬、あの馬が生まれた時はびっ
くりした。あいつの生まれた時とそっくりでよ、それも育っていく
うちにもっともっと似てきてよ、あのドタッドタッていう走り方も
おんなじで。そりゃあ興奮したさ。デビュー戦もぶっちぎりで勝っ
て、二戦目もとんとんと順調に勝ってな。」
−そしてその後、僕は落馬したんだ。
「あ、いや、あれは何もおめえのせいでない。別に責めるつもりで
言ったんじゃ。いやあ、参ったなあ。」

 次の朝おじさんは駅まで見送りに来てくれた。
「またいつでも遊びに来な。あいつに会いに来てくれるというだけ
で、本当に嬉しいよ。」
そして笑いながら言った。
「今度あの馬から振り落とされたら、ただじゃおかないからな。あ
いつの種馬としての真価が、あの馬にかかっているのだからな。」
「そんなにプレッシャーかけないでくださいよ。」
「ははは、硬くなるなって。たかが馬だ、気楽に乗ってこい。レー
スの日には応援しに行くからな、気を付けて」
こうして僕はおじさんの所を後にした。

 レース当日、おじさんは約束通り競馬場に来ていた。本馬場へつ
ながる地下道の入り口におじさんはいた。いやあこの馬はあいつに
そっくりだ、と言った後、僕に
「調教師先生に、ちゃんと馬の乗りかたを教わっているかい。」
と、きいた。はい、と答えると。
「それはよかった。調教師先生も前は名騎手だったからな。何しろ
こいつの父馬とは一緒に奇跡を起こした、名コンビだったからな」
−え?
僕はびっくりした顔で親爺さんを見た。親爺さんは顔を真っ赤にし
て「余計なこと言うな」と照れ笑いをした。
「そんなことはどうでもいい、ちゃんと乗ってこい」
するとおじさんも
「この馬は血統は悪いかもしれないが、奇跡を起こす血が流れてい
る。がんばって奇跡を起こしてきてくれ」

 二人に見送られ、僕は地下道をぬけ本馬場に出た。ちっぽけなプ
レッシャーなんかに負ける気はしなかった。