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第3回3000字小説バトル
Entry7

囚人たち

作者 : 逢澤透明 [アイザワスケアキ]
Website : http://www.geocities.co.jp/Berkeley/2435/
文字数 : 3000
「料理、上手いんだね」と秀が後ろから声をかけた。私の腰に手を
回しながら。
 私は狭いキッチンに立ち、手早く大根を千切りにしていた。秀の
アパートに来るのはこれで三度目。でも料理を作るのは初めて。ぐ
うたらな女を母親に持ったおかげで料理には自信がある。
「小さい頃から作ってたの。母ひとり子ひとりだったでしょ。わた
しのママ、夜も働いてるし、料理下手だし」
「ふーん」気のない返事をしながら秀は手を私のおなかへ、そして
その手を徐々に上げてくる。
「やめてよ、これ作っちゃわないと、遅くなっちゃうでしょ。ほ
ら、お湯、煮立ってるから……」
 と言いながら、遅くなってもかまわない、今夜も泊めてもらおう
と考えている。どうせ、あんな家。帰ることなんかない。
「いいじゃん、ねえ、それ後でいいよ、しようよ」
 秀は一旦昇らせた手を降ろし、私のTシャツの裾をめくり上げ、
中に手を入れてくる。秀の少しがさがさした指の感触が直接おなか
の上でうごめく。
「くすぐったいよ。やめてよ。もう」
 幸せってこういうことを言うんだ、愛情ってこういうことを言う
んだ、きっと、そうだ。
 ねえ、秀。このままずっと居てもいい?
 毎日、料理作ってもいい?
「ん? 今、おまえ、なんか言った?」
「ううん。なにも」
「気持ちいいか?」
「……うん」
「ん? どうしたんだ」
「ううん。別に」
「どうした? おまえ……泣いているのか。どうしたんだ。気分で
も悪いのか」
「ううん。違うの……、違うの、秀、あのね」
「うん」
「ひとつ訊いてもいい?」
「ああ」
「あのね、あのね……」
 ねえ、秀、このままずっと居てもいい?
 毎日、料理作ってもいい?
 ああ、どうして声にならないんだろう。 
「なんだよ、早く言えよ」
「うん……。あのね、このまま明日も……」
「ピンポーン」
 とチャイムが鳴る。
 玄関の外から声が聞こえる。
「やっほー」と言うと同時に外の声はドアノブをガチャガチャいわ
せている。女の声だ。「あれ、いないのー?」
「あ、やべ」と微かに悲鳴をあげて、秀が私から手を引いた。私は
身体が凍り付いているみたいに動けないまま、じっと玄関を見つめ
る。
 チャラチャラという金属が触れあう音がしたと思うと、それがグ
サっという音になり、ドアのロックが回転した。
 外の女は鍵を持っているのだ。私の持っていないものを持ってい
るのだ。
 そして、ドアが開く。
 女の顔が隙間から見える。笑っている。
 女はまず茫然としている秀を見つけ、
「うわっ、やだあ、居るなら返事ぐらいしてよ、びっくりするじゃ
……」と言ったところで、私の存在を見つける。
 三人の男女がはち合わせ。
 女と、
 男。
 そして私。
「誰?」
 と私は訊いた。誰よりも早く。
 男は黙っていた。女は口を開こうとしている。
 させるものか。しゃべらせるものか。だから私は女よりも早くも
う一度訊いた。
「誰? 誰よ。この女、誰よ」
 男はうろたえて、ニヤけた顔を作ろうとする。
 いったいなんて言い訳するつもり?
 馬鹿にしないで。
「はは、あのさ、オレ……」
 この野郎、言い訳なんかさせるものか。騙してたくせに、嘘つい
てたくせに、いったいなんて言い訳するつもり、嘘で固めるくせ
に、都合のいいことばかり言うくせに……。いつもそうだ。いつも
そうだ。私に言い寄る男は……ああ、だめだ、抑えられない。
「いったい誰なのよ!」
 熱帯に棲む動物のように甲高い声をあげて、私は片隅にあった鍋
を掴み、煮えたぎった汁をそいつの顔に投げつけていた。

  *

「治療代いくらだか知ってる?」と帰ってくるなり母は言った。六
畳間に置かれたコタツでテレビを見ている私に、いつもの調子で、
ずけずけと。
「……」
「なんか言うことないの? あんたの代わりに謝りに行ってあげた
んだよ」
「……」
「あんた、学校も行かない家事もしない、かといってアルバイトも
しないで、こんなことばっかりして……」
「……」
「まあね、でも、なんだかんだ言って、向うにも責任っていうか、
何か裏にあるから強く言えないみたいだったよ。警察沙汰にはした
くないみたい……前科じゃないけど何かね、訊かなかったけど……
ロクな奴じゃないね、まったく……あんな奴に騙されて、バカだ
ね、ほんとバカだね、あんた、子供のくせして背伸びしてさ。バカ
じゃないの」
「……」
「でも、火傷。あいつの顔、思いっきり水膨れしてたよ。気持ち悪
かったよ。医者は失明しないで済んで不幸中の幸いだって言ったそ
うだよ。とっさに目つむったんだね。反射神経はあるみたいだよ、
あいつ。他の神経はどうだかしらないけど。でも、あの顔じゃあ
ちょっとね、道歩くもつらいだろうね。ま、この『お美しい』娘を
弄んだんだから自業自得だけどね」
「……」
「ねえ、聞いてんの? 美しい娘や」
「……」
「ホントはこっちが慰謝料もらいたいぐらいだったけどね。しゃー
ないね。熱湯ぶっかけるなんて……ははは……あんた、やっぱりわ
たしの子だね。でもねえ、今度騙されるならさあ、もっと金持ちに
しといてよ……で、熱湯かける前にあたしに相談して……」
「……」
「まあね、ああゆうゴロツキみたいなチンピラみたいな奴だったか
ら、こっちも、はした金出してペコペコ謝るだけで済んだわけだけ
どね。ヤバい人の関係だったらあんた今頃東京湾に放り込まれてる
わよ。それでもわたし謝ったんだからね、ペコペコペコペコ、ペコ
ペコペコペコ、どうもすみませんすみませんすみません、ほんとロ
クでもない娘でって。謝るのどんな気持ちか……あんたも謝ってみ
なよ。馬鹿みたいにペコペコペコペコ、ペコペコペコペコ、どうも
すみませんすみませんすみませんって。土下座でさ」
「……」
「いいかげん、大人になってもらわないと……母ひとり子ひとりで
ここまで来たんだし、これからもさあ、二人でなんとか暮らしてい
かなきゃならないんだしね。力を合わせてさ。そうでしょう。ほん
とママだって毎日毎日仕事で疲れているんだから、あんたもさあ、
ちゃんと高校ぐらい卒業してさ……ん? どうしたの? あんた泣
いてるの?」
「……」
「……」
「ま、ママだって、騙されてたじゃないの」
「なによ、わたしのことはいいでしょ。今は……」
「酒ばっかり飲んでて、すぐに誰でも殴りつける、ろくでもないヤ
ツを家に連れてきて一緒に寝てたじゃないの。結婚するっていわれ
ていい気になってたじゃないの!」
「ちょっとやめてよ……」
「それで結局、騙されて、お金とられて……。ママもあたしといっ
しょじゃないのさ! バカじゃない。あんただって、バカじゃない
の。バカじゃない! バカな親からバカな娘が産まれるのは当たり
前でしょ! あんたのせいなのよ。みんなあんたのせいなのよ。こ
んなになるのは、みんなあんたが悪いのよ。あんたがまともな男見
つけられないからこんなことになるのよ。あんただけじゃなくて、
わたしにまでちょっかい出すような、ゲスな男ばっかり連れてくる
のよ。あんたは! それであんたはわたしの人生めちゃめちゃにし
たのよ。めちゃめちゃだわ! わたしのわたしのわたしのわたしの
……」
「もうやめて」
 母は泣いていた。
 ちくしょう、ちくしょう。
 こいつはすぐに泣くんだ。泣いたら許されると思っているんだ。
 母親め。
 この汚らしい街の一角で、私はこのメソメソした女とコタツを共
有して生きていくのだ。
 私はここから逃れられないのか。
 一生ここから
 逃れられないのか。