第3回3000字小説バトル
Entry8
『母ちゃんは、父ちゃんは畑仕事しか能がないと言う。そりゃあ、 おいらも学校でたらこんな殺風景な、山しかないような盆地から早 く抜け出したいと思ってるけど、休みの日に畑手伝うのは嫌いじゃ あねえ。 これも立派な仕事だと思う。学校の谷口先生も言ってた。 「一つのことをずっと、長く続けると言うことはとても尊い大事な ことです」と。 だから、母ちゃんが父ちゃんのことを何でそんな風にいうのかわ からなかった。前は、村の寄り合いで酒呑んで返ってくる父ちゃん は、いつも上機嫌だったし、時々、本当に時々だけど、キャッチボ ールだって付き合ってくれた。トラックの運転も旨いし、力だって おいらの何倍もある。タケのうちの父ちゃんは、酒呑むと、タケの 母ちゃんをぶつって言ってたけど、うちの父ちゃんがそんなことし たのを見たことがない。優しいのとはちょっと違うかもしれないけ ど。 おいらが父ちゃんから教わったことは二つ。 "男は、簡単に泣いたり、笑ったり、怒ったりしちゃあいかん" ということと "男はぺらぺらしゃべるな" っていうこと。 おいらは、男のくせにおしゃべりなんだと。あんまりしゃべって ると、父ちゃんが、 「みっともねえ」 って言う。だから、おいらあんまりしゃべらねえようにしてる。 一度だけ、父ちゃんがすごく怒ったことがある。姉ちゃんが岩倉 の慎吾さんと、何だっけ、ほら二人で逃げること。ああそうだ、駆 け落ちだ。その駆け落ちをしようとした二人を駅の改札口でとっ捕 まえた時、おいらも父ちゃんと一緒にいたんだけど、あん時の父ち ゃんはすげえ怖かった。黙って、姉ちゃんの髪の毛を引っつかんで、 引きずりながらトラックの荷台に押し上げて、慎吾さんが一生懸命 謝ってるのに、おいらに「乗れ」って言って……。 家に着いてからが大変だった。姉ちゃんのこと素っ裸にして、本 当に素っ裸。パンツも取られてたもん。姉ちゃんは泣きながらその まんま表にほっぽり出された。 「おめえにやるものはねえ。行くんだったらそのままで行け」って。 結局、こんときは母ちゃんが姉ちゃんと一緒に父ちゃんに謝って なんとかなったみたいだけど。確かあれ、姉ちゃんが17ん時だよ。 おいらが8歳だったから。後で、岩倉のおじさんも慎吾さん連れて 謝りに来てたみたいだけど、その後どうなったのかはおいらはしら ねえ。母ちゃんに、子供はあっち行ってろって言われたから。 本当にあん時の父ちゃんは怖かったなあ。でも、おいらが覚えて るのはその1回だけ。 父ちゃんがすごく笑ったのを見たこともある。姉ちゃんが、20 歳になって成人式だっけ。1月の15日に着物着るやつ。すごく綺 麗だった。母ちゃんは朝から赤飯炊いてくれた。おいら赤飯大好き だから、おかわりしたら、 「こら、健太。こりゃあ本当は美知子のなんだぞ」って、父ちゃん が馬鹿みたいに大きな声で笑った。おいらには何がそんなにおかし いのか判らなかった。母ちゃんも姉ちゃんも一緒になって笑ってた けど。でも、父ちゃんがこんなに笑ったのを見たのはそん時だけ。 ここんとこ、ずっと父ちゃんは寄り合いにも行かないし、キャッ チボールもしてくれなくなった。母ちゃんに言うと、「畑が忙しい んだからしょうがないよ」って言うから、おいらにはそんなに忙し そうには見えないって言ったら、「父ちゃんは畑仕事しか能がない んだよ」って。 おいら、父ちゃんが泣くのを見た。この間の日曜日にタケんちの 姉ちゃんが結婚式したんだ。あれ、ほらなんだっけ、花嫁さんがや る格好、えっと、そうそう、文金高島田だ。すっげえ頭して、真っ 白な重そうな着物着て。 タケの家から出てくる時、おいらも父ちゃんも母ちゃんも、近所 の人と一緒に手叩きながら見てた。そうしたら、父ちゃんが、急に 家に戻っちまった。母ちゃんは気が付かなかったから、おいら一人 だけで家に戻ってみた。 父ちゃんは、奥の部屋の真ん中でうずくまって、 ━━ うー、うぉー ━━ って。最初はどっか具合でも悪いのかと思ったけど、そうじゃなか った。本当に涙流して声を出して泣いてたんだ。おいら、なんとな く、見ちゃいけないものを見ちゃったような気がして、そっと家を 出て、母ちゃんのところに戻った。 「あれ、父ちゃんは?」 母ちゃんに聞かれたけど、おいらは知らないって答えた。 「やっぱり見るのが辛いのかねえ」 母ちゃんはぽつりと言った。 おいらが、父ちゃんの泣くのを見たのはもう1回。おととしの6 月。雨の日だったからあれが涙だったのか雨だったのかはわからな いけど、確かに父ちゃんは泣いていた。 あの日の三日前の昼間、姉ちゃんは母ちゃんと大喧嘩してた。二 人して大きな声で怒鳴りあってた。おいらは隣の自分の部屋にいた し、なんだか難しい話しをしてたから何をそんなに怒っているのか わからなかった。父ちゃんは畑に行ってていなかった。そのうち、 喧嘩の声が聞こえなくなった。昼間、おいらも姉ちゃんも家にいた んだから日曜日かなんかだったんだ。夕方になって、父ちゃんが畑 から帰って来た時には姉ちゃんはいなかった。夜になって駐在さん が来て、姉ちゃんが死んでるって教えてくれた。神社の裏で首括っ て死んだんだって。何でそんなことになったのか、おいらにはわか らなかった。父ちゃんは慌てて出て行ったけど、おいらはタケんち に行かされたから、その後どうなったのかはしらない。 葬式の日、雨だった。おいらは学生服を着せられて、父ちゃんも 母ちゃんも、黒い着物着て。火葬場から戻って来て、ほら、なんて いうんだっけ、皆でお酒飲んだりすげえ料理食ったり、えっと、あ あ精進落としだ。それやってる時、おいらが、タケと端っこの方で ジュース飲みながら寿司食ってたら父ちゃんが、裏庭に立ってるの が窓越しに見えたんだ。おいら何してんのかなと思ってそっと裏庭 に行ってみた。父ちゃんの肩が震えてた。雨で着物もびしょびしょ になってた。両方の手を強く握り締めて。 父ちゃんは、テレビに出てくる東京の姿は造りものの嘘っぱちだ って言う。おいらには、ここにいろって言う。造りものの町になん か行くなって言う。姉ちゃんがいなくなって、おいら一人だからっ て。タケんちの姉ちゃんは、結婚して東京に行った。タケも卒業し たら東京に行くって言ってる』 「先生、これって先生のことですよねえ」 「ああ、そうだ」 「ここに出てくるタケって、うちの健史おじさんのことですか」 「ああ」 「じゃあ、先生は僕の父さん知ってるんですか?」 「えっ、ま、まあな」 「うちの母さんは、何にも教えてくれないんですよ」 「何にもって、名前ぐらいは聞いてるんだろう?」 「それも教えてくれない。何でなんだろう。先生、先生のお姉さん て、何で自殺したんですか」 私の引っ越しの手伝いに何人かの生徒が手伝いに来ていた。その 中の一人が、私の古い雑記帳を見付けだし、いつの間にか読んでい たのだ。あれから20数年、去年おととしと、立て続けに親父とお 袋が死に、この家も広くなり過ぎた。 「なあ、そんなもの読んでないで、この本棚を運んでくれよ」 「はあい」 旦那に捨てられて東京から戻ってきたタケの姉ちゃんは、女手一 つで息子を育てた。その息子を私が受け持つとは。 私には言えなかった。その子の父親のことも姉の自殺の理由も。 "岩倉慎吾"ふとそう呟き、今は亡き4人の家族に思いをはせ心の 中で手を合わせた。