第4回3000字小説バトル
Entry13
女は鍋をかき回していた。 とろりとしたトマト色のシチューが仄かに湯気を立てる。 子供はテレビにかじり付いていた。 ざらざらと耳障りな音を立てる画面を一心に見つめている。 ダイニングテーブルの向こうでは長髪の女がパンを焼いていた。 小麦の焼ける甘美な匂い、トースターから吐き出されてくる焼き 立てのパンを待ち続けていた。 リビングには若い女が座っていた。ソファに腰掛けて小説を読み 耽っている。 その向うには淡いピンクのカーテンが引いてあった。 いかにも不自然な場所にかかっているカーテン。時折、ぎぃっと 不気味な音が響いてくる。 「!*@#」 シチューを煮ていた女が窓に駆け寄った。 スモッグに覆われた空の下を歩いて来る背広の影に大きく手を振 る。何かの欠けた表情、その目は外を見ているようでいて虚空を見 つめている。 「!!!!」 テレビを睨み付けていた子供がチャンネルをいじり始めた。何処 を回してもざらざらという砂嵐。無機質な顔で不快感を顕わにする。 狂ったように回し続けるチャンネル、変わらない画面。 「????」 長髪の女がトースターを覗き込んだ。 焦げ始めた小麦の匂い、出て来ないパン。バンバンとサイドを叩 き始めた。表情のない顔、ぎょろりとした目、長髪を振り乱して女 は狂ったようにトースターを叩き続ける。 「…………」 ソファの女がぎしっと動いた。 間接の繋ぎ目の軋む鈍い音がぎっと響く。手から単行本が落ちる。 ハーレクイン小説らしい甘いタイトル、夢も見ない目でうっとりと 追い続けた幾多もの甘いセリフ、いつか来る仮想の日を待ち続ける 感情のない目、吐き出されることのないため息。体中を軋ませて拾 い上げると再び字を追い始めた。 「****」 時折ぱさりと揺れる淡いピンクのカーテン、鈍く軋むベッドの音。 影が時折カーテンに映る。重なり合う二つの影、影に合わせてベッ ドが軋む。表情のない目、覆い被さる男の重さを受け止めるのは感 情のない顔のやはり、男。不快音と共に揺れる影、聞こえない吐息、 軋むベッド。営みは続く。 「!!!!」 シチューを煮ていた女が小走りにドアに駆け寄った。背広の男が 帰って来た。ぎしぎしと鳴る関節で抱擁を求める女、どろりとした 表情で女を抱き締める男、女の口元に笑みが浮かぶ錯覚。やがて女 に手を引かれて男は食卓に付いた。テレビを見ていた子供が同時に テーブルに座った。男の隣りでシチューを待つ。未練がましそうに トースターを叩いていた女は、それに気付くと食卓に着いた。 ソファの女は興味なさそうに小説を読み続けていた。表情のない 目で見せるため息をつく仕草。はらり、はらりとページをめくる。 読み終えては始めに戻り、また読み終えては始めに戻る。 カーテンの陰の影は、絶えることなく動き続けていた。あからさ まな不快音を響かせながらも止むことのない淡い狂気。 シチューを皿に分けた女は配膳を済ませると自分も席に着いた。 どろりと赤い液体、鼻につくペンキの匂いのシチュー、がしゃがし ゃと食器を鳴らし、ぴちゃぴちゃと音を立てて子供が食べ始めた。 トースターの女が不快感を顕わにする。男は何も言わずに黙々と吸 い続ける。それを見たシチューの女は満足げな顔で食べ始めた。 ソファの女は相変わらず甘ったるい小説を読み続けている。時折 虚空を仰ぎながらひたすら読み続けている。 ガシャン、と子供が皿を引っくり返した。赤い液体が飛び散る。 埃にまみれた床の上に、鮮やかな程きつい赤の糸を引かせて液体は 流れ始める。新しいシチューをねだる子供、シチューを継ぎ足す女、 黙々と食べ続ける男、長髪を掻き揚げて啜るトースターの女、食器 のぶつかる不快音を立てて再び食べ始める子供。 カーテンの向こうの影はまだ動き続けていた。食事をする者たち のすぐ近くで続く狂乱の宴、倒錯した前衛的狂気。 全てを内包した空間は当然のように全てを許し、存在し続ける。 半永続的無機質な空間、生気のない生が同居する異空間、だが確か に存在する微かな表情の起伏。 「!?!?」 バタン、という荒々しい音と共にドアが開いて体格のいい男が二 人、入り込んできた。運んで来た木製の箱をどさりと床に置く。ふ わりと埃が舞った。ピタリと動きを止める住人たち。シチューの女 は鍋を持った格好で固まった。男はスプーンを口に運ぶ途中で固ま る。皿ごと飲もうとしていた子供は前屈みのまま動きを止めた。更 に、髪を掻き揚げたままの格好の女、思わず落とした小説を拾えず に固まったソファの女、折り重なったまま動きを止めたカーテンの 影。 全ての動きが止まった空間で動くのは突然の乱入者。木目の無い、 生身の人間。皆、動きを止めたまま次に起こるべき事を息殺して待 ち続けている。 やがて、乱入者たちは箱の蓋を開けると、中から人形を取り出し た。出て来るのは派手な衣装の男女が七体、表情もそれとなくつい ている。明らか進化した人形たち。彼らをそこここに立たせると、 乱入者たちはソファの女を持ち上げた。木製の体、物凄く軽い、空 になった箱にどさりと投げ込んだ。次は食卓でシチューを飲んでい た男、やはり乱暴に投げ込まれる。そしてシチューの女、前屈みの 子供、髪を掻き揚げたままのトースターの女。積み上げるように次 々と投げ込まれていった。そして蓋を閉めかけた時に乱入者の一人 が鋭く制した。カーテンに歩み寄ると一気に開け放つ。絡み合った 二つの木製人形、顔をしかめながら持ち上げるとそのまま投げ込み、 辺りを見回して蓋をした。そして、箱を抱えて部屋を出た。 「…………」 ごとごとと運ばれる感じの中で一番下がメキっと言った。関節の 折れる音、ソファの女が二つになった。他の人形たちは無機質な表 情で揺れ続ける。やがて、何か乗り物に揺られるような感じがしば らく続いた後で不意にごおっ、という音に包まれた。パチパチと鳴 る箱、すぐに視界が赤く染まる。燃え盛る炎のよう、いや、実際に 彼らは燃え始めていた。火の廻りが早い。木はよく燃える。バチバ チと一体ずつ形を無くして行く。最後まで息の続いていたのはシチ ューを飲んでいた男か、一番上の二人なのか。だが、それは僅かの 違いでしかない。やがて、全てが緋色に染まり尽くした。 新しい住人を迎えた部屋は、今までの無機質無音な空間とは違い、 派手なライト、賑やかな音楽で満ちていた。陽気な住人たち、彼ら にもいつか来る緋色の悲劇など知らずに騒ぎ続ける。 かつて子供が見続けていたテレビを見る者はいない。砂嵐だけが 流れ続けている。その音も派手な音楽に掻き消されて誰にも気付か れることはない。 ふ、と画面が切り替わった。音の無い真っ青な画面、しばらくそ れが続いた後でテロップが流れ出した、それは。 名前。 今まで、ここに住んでは連れて行かれた住人たちの名前。 そこにはシチューの女の名前も、ソファの女の名前もあった。勿 論、今ここにいる住人たちの名前も。 やがて、全てが流れ終わると再び砂嵐に戻った。そして、誰にも 気付かれる事の無いまま消える。消えそうな色でそっと一文字を吐 き出してテレビが消える。 そこには、終焉を告げる一言が映し出されていた。 ……END、と。 流れ続ける音楽、宴は続く。 人形たちの宴は、続く。