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第4回3000字小説バトル
Entry16

あかり

作者 : 三月 [ミツキ]
Website : http://www.geocities.co.jp/Bookend/2813
文字数 : 3000
 松山はふと書類から目を離した。天井に並ぶ蛍光灯が、規則正し
く明滅を繰り返していた。
(日曜にまで、会社に来ている罰かな)広いオフィスでひとり、苦
笑していると、光の揺れは元通りになった。
 松山は机の隅にある写真を手に取った。
 ――ユミはね、パパと結婚するんだから。
 大真面目で言った娘の顔を思い出して、うんうん、結婚してやる
からなと松山は写真にキスをした。可愛いざかりのその娘は、写真
の中で、いつまでも無邪気な笑みを崩さない。
 松山は時計を見た。午前二時を過ぎている。疲れた目をぐいとこ
すり、改めて書類を見た。
「E社の出荷したソーセージは……いたが、資金繰りや……結果の
人事異動」
 そこまで読んで松山は再度顔を上げた。二、三十はある蛍光灯が、
やはり等間隔に明滅を始めたのだ。
(読めないほどじゃない)
 舌打ちをして、改めて書類を取り上げる。「人事異動を経て、最
終的に、豚の輸入を取り決」
 その瞬間、一斉に光が消えた。

「くそっ」思わず足をぶつけた机に悪態をついて、松山は手探りで
廊下に出た。突き当たりの非常灯も消えているし、エレベーターも
動かなかった。
「停電なんて、聞いてないぞ」
 階段には、手すりがついていたから、下るのに大きな支障はなか
った。松山は六階のオフィスから、守衛室のある一階まで下りてい
った。停電にしろ、何にしろ、懐中電灯でもなければ、家に書類を
持ち帰ることもできはしない。
(仕事を家に持ち込むのか……)目くじらを立てる妻の顔を容易に
想像できる。起こさないようにしなければ――
 と思っていた矢先、松山は床に足を滑らせた。尻をしたたか打っ
て、黒い視界が瞬間真っ白くなった。
「……っつ――」数え間違えていなければ、そこは一階のはずであ
る。顔を歪めて立ち上がろうとして、松山は床のヌルヌルするのに
気がついた。
「あンの掃除のジイサンは……」ビル掃除の老人は、洗剤を拭き忘
れて帰ることが、よくあった。
 手すりを伝って立ち上がりながら、松山はズボンに手を当て、湿
っていることに苛立った。人の気も知らないで、と思った。こっち
は娘の顔も見ずに働いているんだぞ――手のぬるつきが、とれなか
った。
 壁を伝って歩いていくと、向こうから光が、ゆっくりとこちらへ
進んできた。床を照らしていた明かりは、不意に松山の顔を照らす。
闇に慣れた目を通して、頭骨の裏側まで照らされたと思うほど、強
い光に感じられた。瞳を強く閉じ、光の余韻を追いやりながら、松
山は聞いた。「すみませんけど……守衛さん?」
「ええ、そうです」しわがれた声が光の向こうから聞こえた。「お
仕事ですか」
 松山は苦笑した。「はぁ、停電でしょうか」
「それは難儀でしたなァ。ヒューズがとんじまったのかも、しれま
せんなァ」相変わらずしわがれた声だった。咳払いの一つもしない
ものか、と聞いている松山がむずむずする。「地下までちっと、見
に行こうかと思ったんですわ」
「……ご一緒しましょう」と松山は言った。『ヒューズ』という言
葉の古さに、笑いそうになった。この声も、トシだからだろう。
 松山は、妻を怒らせることは避けたかった。すぐに直るのなら、
そっちの方がいい。ここで待つのも気味が悪いではないか。

 足下、気をつけて下さい、と階段で言われ、松山は思いだした。
「ちょっと光をくれませんか」
 松山の両手に光が当たる。――あれ、と思った。つい今まで濡れ
ていたと思った手が、すっかり乾いている。ズボンもまた、同様だ
った。
「どうかしましたか」
「いえ……階段が濡れていたもので……」と光は松山から離れて床
を這った。しかし床は普段通り、乾いていた。
「気のせい……だったのかな」
「そういうこともあります」しわがれた声が答える。二人は地下へ
下りた。

 地下には部屋がなく、変電機やブレーカーなどがあるだけだった。
一番奥の、クリーム色をした箱に光が当たり、キラッと光った。
 箱の目の前まで来て、光はふっと足下を照らした。松山がつられ
て下を見たとき、かちゃんと音がして、箱が開く。光は箱の中のパ
ネルに戻った。
 暗闇で、よくボタンを押せたものだ――と松山が思っていると、
「おかしいですなァ」と真横からしわがれた声が聞こえた。
 パネルを見ると、黒く並んだスイッチはどれ一つとして落ちてい
ない。停電じゃないんですか、と松山は言った。
「そんな話は聞いてませんよ。――しかし、問い合わせてみましょ
うか」
 光が階段の方に向けられた。暗がりで、かちゃん、と箱が閉じら
れた。

 一階に戻り、松山は、ふと違和感のようなものを覚えた。はっき
りとはわからなかったが、空気の流れが、変わった、というように
思えた。
 歩きながら、「ちょうどこんな感じでしたなァ」
「何がです」松山は光を追って聞いた。
「前の職場でなんですがね、残業で遅くまで男の人が残っていたん
ですよ。そこに強盗がやってきましてなァ。金などないところでし
たから、強盗は怒り狂って、残業していたその男を刺したんです」
 松山はつばを飲んだ。残業でビルに残っていた男……。「その、
強盗は、どうなったんです」
 間髪を入れずに答えが返ってくる。「守衛がやってきて、捕まえ
たんです」
 松山は吹き出した。そういうオチか、と思った。「なら、あなた
といる限りは、安心ってことですね」
 しかし、それには答えがなく、「……着きましたね」とだけ言っ
た。光が、闇に沈んでいる守衛室の窓ガラスを照らした。反射光で、
松山のワイシャツがぼぅと映し出された。
 ――しかしその時、光の持ち主は、そこに映らなかった。
「……あ、え?」
「どうかされましたか」しわがれた声が言った。
「いや……ひょっとして、あなた――」

 その時、光が不意に闇に呑まれた。

 松山は叫び声をあげて外へ飛び出した。
 あの男が、強盗だったのだ!
 ――と思う反面、なぜ映らなかったのか、とも思った。わけが、
わからなかった。

 松山は近くの交番に飛び込んだ。あわてて事情を説明したが、若
い警官は取り合わなかった。松山を見ようともしなかった。大方、
疲れているんじゃないですか、と決めつけた。口に出しはしなかっ
たが、松山を酔っぱらいとでも思っているらしい口振りだった。松
山はよろめきながら交番を出た。

 ビルに戻るわけにもいかず、松山は家へ向かった。その途中で、
気がついた。日曜の夜遅くまで、守衛は残っていないのである。そ
して……あの床。掃除夫は、平日にしか来ない。

 家へたどり着くと、いまだ起きていた妻が小言を言うために玄関
までやってきて、びくりとその場に立ちすくんだ。
「何を……したの?」
「……何って、つらい、残業だよ……それが?」答えながら、松山
は妻の反応をいぶかった。
 だってあなた、と妻は言った。両手が真っ赤よ……。

 明くる朝、出社しようとし、ビルの前にパトカーが駐まっている
のを見た。エレベーターで六階まで上がると、オフィスは異様なざ
わめきを見せていた。松山は、妙な胸騒ぎを隠しながら、同僚をつ
かまえた。
「泥棒だよ泥棒」わざと恐面をつくって同僚は言った。人垣から中
をのぞくと、あちこちに資料や何やらが散らかっていて、警官がう
ろうろしていた。
 松山の身体が冷たくなった。松山は感づいた。
 ――あの話が本当だとすると、あれは守衛や強盗なんかじゃなく
て――
 すぐ横で、同僚がつぶやいた。「ウチに盗みに入ったって、盗る
ものなんざないのになあ」