第4回3000字小説バトル
Entry18
「珍しいじゃない、キヨくん」 こちらを見ようともせず発した彼女の第一声は、それだった。マ ンションの一室を改装してつくったアトリエ。中央に置かれたイー ゼルには白いカンバス。そして、そのカンバスにむかって一心不乱 に筆をふるう彼女――夏川夏子さん。冗談みたいな名前だけど、彼 女の本名。 今日も彼女はライトグリーンのワークシャツにジーンズという飾 り気のない格好だ。軽くウェーブのかかった髪をうしろで束ねてい る。 「僕だってよくわかりますね、後ろにも目があるんじゃないですか? あ、コレ差し入れのケーキです。ここに置いておきますね」 僕は近くにあったテーブルにケーキの包みを置いた。 「んふふふ。女の超能力をなめちゃいけないわよ。なーんてね、冗 談よ。足音でわかるの、音の大きさとか間隔でね。ケーキありがと。 もう少ししたら一段落するから、一緒にお茶しましょ」 夏子さんは話ながらも筆を止める事はない。ノッテるのだろう。 調子の悪い時に来るとこうはいかない。 「わかりました。じゃあ僕、紅茶でもいれますよ」 備え付けのキッチンへ向かう。 「あーれ? キヨくん、コーヒー党じゃなかったっけ?」 「ここは夏子さんのアトリエですからね。郷にいれば郷にしたがえ、 ですよ」 「なんかその表現ヘンよ。でも、その心がけはエライわ。褒めたげ る」 「はいはい、ありがとうございます」 耐熱ガラス製のコーヒーポットに水を注ぎ、コンロにかける。戸 棚からは二組のティーセットとアップルティー缶を取りだす。勝手 知ったる他人の家、だ。 すでに僕は何がどこにあるのか、夏子さん以上に知っている。仕 事用のアトリエとはいえ泊まり込みで仕事をすることも多い彼女の ために、ベッドからキッチンまで一通り生活に必要なものは揃えら れていた。しかし、面倒くさがりの彼女は、近所のコンビニで弁当 を買うばかりで、ろくにキッチンを使おうとはしない。 都合、キッチンを使うのは、たまにやってくる僕ばかりというこ とになる。 「で、今日はなに? 催促? まだ、納期は先だとおもってたけど」 「今日は、単に陣中見舞ですよ。ま、作品の進み具合をみるって意 味もありますけどね」 「ご苦労なことねー。ま、こっちは好きな絵を描いてお金がもらえ るんだし、文句はないけど」 「全くですよ。僕なんか昼夜関係無しにかけずり回っているのに、 給料はすずめの涙ですからね。ホント、夏子さんがうらやましいで すよ」 すこし情けない声をつくって言う。もちろん単なる冗談だ。創作 活動で食べていくというのは、はた目ほど楽な仕事ではない。人気 が落ちれば即収入が無くなるというプレッシャーもさることながら、 仕事に追われて一人の世界に篭もりきりになるため、精神的に耐え きれなくなってしまう人もいる。華やかに見えて実は孤独な世界な のだ。 もちろん、そのために僕がいるのだが……。 「へへへー、悔しかったらキヨくんも絵描きなさい。お、ブルゴー のケーキじゃないの。奮発したわねー高かったんじゃないの?」 仕事が一段落したのだろう。いつの間にか夏子さんはカンバスか ら離れて、ケーキを物色している。 僕は少し肩をすくめて、「どうせ、経費で落としますからね。美 味しいものを選んだ方がいいでしょ。太る心配はありますけど。― ―あ、食べ過ぎちゃダメですよ。夏子さん」 「へへーあたしなら大丈夫、私って昔から太らない体質なのよね」 実際そうなのだ。創作活動という不健康な生活をおくりがちな職 業なのに、彼女のスタイルはモデルとしても通用しそうなほどだ。 必死に節制してスタイルを維持しているが、本来太りやすい体質の 僕には、羨ましくてしかたない。まあ、僕の場合、スマートでいる のは仕事の一環ともいえるのだけど。 ポットがぐつぐつ音をたてて、中の水が沸騰した事をしらせてく れた。二人分の水なので思ったより早かったようだ。 「そんな事言って、三十越えてから太っても知りませんよ。あ、夏 子さん、お湯沸いたんで、ケーキを出しておいてください」 「ほいほい。キヨくんは何がいい?」 「夏子さんは?」 「あたしはラズベリーのタルト」 「じゃあ、僕はシフォンケーキで」 「オッケー、あとで半分こしましょ」 「わかりました」 お盆にティーセットとコーヒーポットをのせてリビングへ向かう。 夏子さんはすでにテーブルの上をかたづけてくれていた。二枚の皿 の上には赤いラズベリーのタルトとシフォンケーキ。いつのまにか フォークや砂糖までしっかり用意されている。 「やあ、さすがに食べ物がからむと素早いですね」 「恋も仕事も早いのがとりえなのよ」 夏子さんがニヤリと笑って言った。 「はいはい。そーでしょうとも」 軽く応えると、僕はテーブルの脇に立って、お茶こしの金網の上 に乾燥しきった紅茶の葉をいれる。ちょうどスプーン二杯分。そし て、カップの上にお茶こしを置いてその上からポットのお湯を注ぐ。 紅茶をいれるのにコーヒーポットだの、お茶こしだのと少し節操が ない気もするが、手軽なのだ。 カップにもみじ色の液体が満たされていく。渋味がでないように 薄めにサッと出すのが彼女の好みだ。それでも、たちのぼる香りは 香水のようで、とてもリンゴとは思えないほど強い。 「さあ、できましたよ」 「うふふ、この香りがたまんないのよ」 二人分のティーカップに紅茶をそそいで夏子さんの向かいの席に ついた。それぞれ皿を取ってケーキを食べる。ほどよい甘さが紅茶 の香りとよく合っている。 少しケーキを食べたあと、僕はフォークをとめてタルトを頬張る 彼女を見る。化粧っ気のない顔だけれども、充分に美人で通用する。 でも、美人だとかそういう事とは別に、僕は彼女が好きだった。 できれば、仕事以外で出会いたかったと、本気で思う。しかし、仕 事以外で彼女と出会っていれば、おそらく僕は彼女を好きにならな かっただろう。 僕は彼女が好きだけれど、彼女と寝たくはない。 「で、絵の方はどうです?」 「んー、そうねえ来週にはあがるんじゃないかしら」 夏子さんはフォークの先でタルトをつつきながら答えた。 「へえ、調子いいじゃないですか」 「まあね、ここんとこいい感じよ」 「実家のほうはどうです?」 「行ってないわ。会うと結婚しろってうるさいのよね」 「仕方ないですよ。夏子さんは旧家の生まれですから」 「そーなのよね。これでもお嬢様だってんだから笑っちゃうわ」 「結婚する気はないんですか?」 「そーねえ。考えないわけでもないけど、今はまだ仕事があるから ねえ。やれるとこまでやってみたいと思ってるわ。それにどのみち 結婚しようにも相手がいないしね」 夏子さんが笑う。 僕はそれをきいてすこしホッとする。奇妙なバランスだけど、こ の関係が続けられるのかと思うと嬉しい。 怠慢ととられるかもしれないけど。 ふいに腕時計のアラームが鳴った。 「あ、もう時間だ。行かないと」 「え? 今来たばかりじゃないの」 「すみません。最近はちょっと忙しいんです。また埋め合わせはし ますよ。完成祝いを兼ねて」 そう言って立ち上がる。すこし、そっけない気もしたが、仕事の 事をあまり話したくはなかった。 「しかたないわね。完成祝いにはオゴりなさいよ」 「ええ、ぜひ」 答えて、僕は夏子さんの部屋を出た。 マンションを出ると、思ったより強い春の陽射しにさらされた。 暑かったけど、あまり気にならない。 僕は口笛を吹きながら歩きだした。