第4回3000字小説バトル
Entry22
賢治は、喉が渇いて目が覚めた。台所で水を飲んでいると、隣の 犬が吠えていた。耳を澄ませると、何か音が聞こえてくる。賢治は その音に耳を澄ませた。 聞こえるのというのとは少し違う。賢治は人より少し可聴範囲が 広かった。近所の犬が吠えているのもどうもその所為らしい。 賢治も、聞こえる様な気がするだけであった。台所の窓から外を 覗いて見たが、空は暗く、月も星も見えない。外灯がぼんやり近く を照らしているだけであった。 賢治はコップを流しに置くと、又布団に戻った。 もう少し、注意深く外を見れば、異変に気がついたかも知れない。 空には光る雲が浮いていた。光るというのは、正しくないかも知れ ない。雲は明るいのだが、それが輝いて周りが明るいかというとそ うではなかった。ただ明るいのだ。内部から明りが漏れている様な、 まるで、雲の形をした電気スタンドの様ではあったが、辺りはその 明りを反映してはいなかった。その雲以外は暗闇であった。 埼玉にある城石組の組長が、突然錯乱し日本刀を抜いて組員を惨 殺し、最後には自分で自分の首を切った。『雲が光った』という言 葉を残して死んだらしいが、雷が発生したという事は気象庁からは 発表になっていない。珍しい事件だった為、新聞にも大きく掲載さ れた。 その事件がきっかけなのかどうかは判らないが、それ以降に発生 したのは、確かだった。 異変は一般の、といっても不良と呼ばれる少年達に広がった。 街で恐喝をして小遣い銭を稼いでいた少年が、突然いなくなった。 徒党を組んでいたのにも関わらず、群れの中から忽然と消えたとい う。 又、ある少年は、女子高生相手に売春を強要していたが、金を受 け取ろうとした時に、突然いなくなったという話しもあった。 まことしやかに噂は流れたが、殆どの人間は信じなかった。突然 いなくなった時に一緒だった少年や少女達でさえ、どこかに雲隠れ でもしているのだろうと思っていた。 彼らの親でさえ、いつも家には帰ってこないものだから、どこか で遊びほうけているのだろうと気にも留めていなかった。 しかし、突然消えてしまう人数が多くなってくると、その噂も段 々と尾鰭がついて、いじめられた被害者達が、協力しあって復讐し ているのだとか、いじめられて自殺した少年が化けて出てきて、あ の世に連れていってしまうだとか、はては宇宙人が人間を実験材料 にしているなどという話しまで、本当らしく脚色され、どこの誰と いう固有名詞までついて噂は広がっていった。 だが、消えた少年達は何日かすると、ふらりと戻ってきた。但し 彼らは記憶を無くしていた。 ただ被害者はやくざや不良グループといわれる人達に限定されて いた事もあって、一般の人達は歓迎している様な風潮さえあった。 そんな反動からか、やくざや不良少年達の活動が大きくなった事 もあったが、加害者達が消えてしまうという異変からか、組を解散 してしまったやくざをきっかけに、市民団体の軽犯罪防止運動など の活発な活動もあって、自然と不良グループは解散し、個人的な虐 めさえ、その街では自然に影を潜めていった。 「武志くん。廊下を走っちゃだめでしょ」 かおる先生に叱られた武志は、真っ青な顔になって、先生を見つ め、泣き出した。 「先生、ごめんなさい。もうしません。ごめんなさい、ごめんなさ い」 武志と呼ばれた少年は、担任のかおる先生に泣いて謝った。 「えーっ。何も泣かなくてもいいのよ。もう怒ってないから、ねっ」 赴任したばかりの教師は、あまりの生徒の様子に逆に驚いてしま った。 職員室で、その事を隣の体育の教師に話したところ、教頭先生の 所へ連れていかれた。 「先生。赴任したばかりで、学校の教育方針の事を詳しく説明して おりませんでしたが、よく聞いて頂きたい」 かおるは、教育方針は、始めに聞いたはずだとは思ったが、神妙 に、教頭の話を聞いていた。 「んー、実に言いにくい事なんですが、実はこの地域では、悪い事 をすると、消えてしまうという噂があるんですよ。いや、そんな、 人が消えてしまうといっても、実際に煙のように消えてしまうなど という、そういう非科学的な事はありえないんですが、なんといい ますか、その…、今までいたはずの所から、どこかへ行ってしまう というか、その、行方不明になってしまうんです。まぁ、しかし何 日かすると必ず戻っては来るんですが、その、戻ってくると、…そ の、記憶を無くして見つかるんです。一種の地域特有の、…病気と 思えるんですが、大学なんかでも調査はしている様なんですが、原 因は判っておりません。しかも、実際に、この学校の生徒も何人か は行方不明になって、記憶を無くしているという事が発生しており ます。ですから、あまり子供達を叱らない様にして頂きたい。学校 で叱られるという事は悪いことをしたという事ですから、…その、 消えてしまうんじゃないかと、子供だけでなく、親も心配になって しまいますんで、…極力ですな、優しい態度で接してやっていただ きたい。それからどういう事が悪い事なのかという事を子供達に教 えてやれば、子供達も悪いと判っていることは一切しませんので、 その辺りも良く教えてやっていただきたいと、かように考えており ます次第です。はい」 奇妙な事だとは思いながら、かおるは教頭に授業があるからと、 教室へ向かった。 その夜かおるは、大学時代の友人で、今は新聞社に勤めている芳 江に電話した。 「かおるが知らないのは、ムリないのよ。マスコミじゃこの記事は ご法度だもの。報道管制がしかれてるのよ。こんな事が表ざたにな ったらパニックでしょ。だから公然の秘密ってわけなの。まぁ、こ れが、日本中に波及するなんて事になったら、それどころじゃない けどね」 芳江がいう所の政府からのお達しによりマスコミ各社が協力して この話にはフタをしているらしい。 しかし、悪い事というのは、何を持って定義するのだろうか。か おるは不安になってくる。確かに法律で禁じられている事をすると 犯罪となり、悪い事だという事はわかるが、それが果たして悪い事 だと誰が判断するのだろうか。時代によって正義は変わってくる。 人を殺すのがいけない事だというのは、判っている。盗みをする のだって悪い。しかし盗まなければ生きていけないとしたら、本当 にそれが悪い事なのだろうか。いい事だと思ってする事が誰にとっ ていい事なのか、それは本人にとっていい事であって、他の人から みれば、悪い事かも知れないではないか。かおるは、テストの採点 をすると、布団に入った。丁度その頃、東京の空に光る雲が現れて いた。 次の日のテレビは大変だった。殆どの遣り手と言われる政治家が いなくなり、道路では突然、運転手なしの車が事故を起こしていた。 刑務所からは囚人がいなくなり、はた脱走かと緊急配備がされた。 かおるは、この地域だけじゃなく東京もそうなったのだと感じた が、これから一体どうしたらいいのか判らなかった。こんなんじゃ 学校へいっても仕方がないと思った瞬間、かおるは消えていた。 光る雲はその後日本のいたるところに現れ、そして国中はパニッ クに陥った。しかしその影響で暴動が起きることは無かった。発生 する前に、彼らは消えてしまっていた。 光る雲は日本ばかりでなく世界にも現れ、人種に関係なく人々は 消えていった。残ったのは、善悪の区別の付かない赤ん坊くらいだ った。