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第4回3000字小説バトル
Entry3

ほくろ

作者 : 佐藤ゆーき
Website : http://www.d2.dion.ne.jp/~syuki
文字数 : 2990
 僕は高級会員制スポーツクラブで働いている。ビルの一階はフレ
ンチのレストラン、二階が人間ドックが受けられる診療所、そして
三階がスポーツジム、それらは全て会員の為のものだ。会員の九割
以上が企業の社長で残りはその家族、芸術家、弁護士、会計士など。
いずれにしても厳格な審査を通らないとその入会は認められない。
 僕は某国立大学の教育学部体育学科を卒業してそこのジムで働き
だして二年目だった。それまで会話どころか全く接したことのない
そんな人種に運動を指導するなんて出来るかどうか不安だったが、
みんなそこにいる時は仕事を忘れてただのおじさんになっていた。
それに大部分の会員はこの不景気で仕事に疲れて、家では子供に相
手にされずにこのクラブに若い話し相手を求めてやって来ていたの
で、口下手な僕にでもいろんな話をしてくれた。それはほとんどが
古き良き時代の自慢話だったが、僕には無縁だと思っていた世界を
垣間見ることが出来て刺激になった。
 その森さんという会員も僕のことを可愛がってくれていろんなこ
とを教えてくれた。ゴルフのバンカーショットの打ち方や、不良債
券が出来る原因、テーブルマナーなどエアロバイクに乗りながら身
ぶり手ぶりを交えて得意げに話しをしてくれた。
 その日は筋トレのバタフライのマシンに座りながらこんな話をし
てくれた。
「足の裏にほくろがあるとやばいって知ってるか?もともとほくろ
は癌化しやすいんだが、足の裏のほくろは常に刺激を受けているか
ら特に癌になりやすいんだ。ほくろが5cm位になるともう足首から
下を切断しないと命に関わる。とても恐い。実はおれも足の裏にほ
くろがあるから医者に相談したら、心配ないと思うがそんなに気に
するなら取った方がいいって言われた。だから今度レーザーで切っ
てもらおうと思ってる」
 僕は余計なことを聞いてしまったと思った。
「実は僕も足の裏にほくろがあるんです」
 僕はそれを聞いてしまったがためにこれからほくろの影に怯えて
暮らさなければならないのかと憂鬱になった。
「よかったらおれが切りに行く時一緒に行くか?」
「またその時はよろしくお願いします」
 
 僕は人より神経質な方だと思う。中学生の時に自分の髪が薄くな
ってきているのではないかと思い込み、数カ月悩んだことがある。
毎晩鏡を二つ手にして、頭頂部から襟足まで欠かさずチェックして
は大丈夫だ薄くなっていないと自分に言い聞かせていた。ちなみに
僕の髪は今でも黒々としている。
 その森さんに足の裏のほくろの話を聞いた日も、家に帰ってシャ
ワーを浴びてから自分の足の裏のほくろを見つめた。森さんはこう
も言っていた。
「生まれつきあるほくろは大丈夫だけど、後から出来たほくろが特
に癌になりやすいらしい」
 確か僕の足の裏のほくろは高校生の時に出来たものだと思う。ほ
くろが後から出来るなんて知らなかった僕はその突然見つけた黒い
しみを、小さな石か何かが皮膚に刺さったものだと思い込みカッタ
ーで取り出そうとして失敗した。
「そのほくろを自分で取り除こうとして下手にいじって刺激すると
爆発的に癌化して広がっていくんだ」
 森さんの言葉が僕の頭の中で響く。そのほくろはまるでマムシト
カゲの眼のように無気味に僕を見つめた。マムシトカゲなんてそん
な生き物がいるとしたらの話だけれども。
 その晩は冷や汗を流して、速くなる自分の鼓動を感じながら十時
には布団に入り、神に祈りながら眠りについた。

 次の日の朝は思ったよりも清々しく目が覚めた。試しにほくろの
ことを思い出してみたけれども全然恐くはなかった。足首くらい切
らなきゃいけない時はいつでも切ってやる。だいたい後から出来る
ほくろがやばいなら、例えレーザーで切ったとしてもその後からま
たほくろが出来たらその度にレーザーとかいうSFチックなもので
僕は足の裏を切らなくてはならないのか。そんなのはごめんだ。そ
れならこの最初のほくろと心中しよう。
 僕はいつものようにマウンテンバイクに跨がり、会社へと向かっ
た。八月の青空はそんな勇ましい僕を祝福してくれているようでと
ても誇らしかった。会社に着いて更衣室で着替え、ジムに向かう前
にまずトイレに入って小便をしようとした。その時僕は見つけてし
まった。僕のペニスの先の方でマムシトカゲの眼のように僕を見つ
める小さなほくろを。

 確かに森さんは足の裏のほくろがやばいって言っていたけれども、
刺激されるから
やばいということならペニスの先の方だって使う度に危険度が増す
はずだ。幸い僕には彼女がいなかったからそれを使わない為に誰か
他人に迷惑をかけることはなかった。しかし僕は自分の部屋のアダ
ルトビデオを全部真っ黒いゴミ袋に入れて燃えないゴミの日に出し
て、マスターベーションを一切断たなくてはならなかった。二週間
程したある明け方、僕は誰だか分からない芸能人の誰かとセックス
する夢を見て中学生の時以来の夢精をした。パンツを脱いで洗濯機
に放り込みながら僕はとても惨めな気分になった。
 それでも僕は死の恐怖に耐えながら禁欲的に毎日を過ごした。い
やそれは死の恐怖ではない。ペニスが切り取られてしまうという恐
怖だ。足首が切り取られた姿は自分の中で悲劇のヒーローになり得
たが、ペニスが切り取られた自分はいい歳をして夢精するよりもは
るかに惨めだと思った。

 そんな毎日を過ごすうちに僕は、僕の人生の中でなんと女の子の
占める割り合いが大きいのだろうということに気付いた。二十代の
前半の男にとってそれはほとんど人生の目的そのものと言ってもい
いくらいだと思う。それを封印した僕は何の起伏もない毎日を生き
延びるために酒の力に頼った。

 その晩も僕はいつもの店のいつもの席に座り、ジントニックを飲
んでいた。もうその頃になると顔が綺麗でスタイルのいい女の子を
見てもどうとも思わなくなっていて、十分自分の欲望をコントロー
ルできるストイックな自分に酔いしれていた。
 でもその時、僕の視界の端に捉えられた女の子の姿に引かれるよ
うに僕は振り向いた。
 その女の子は壁際の二人掛けのテーブルに一人で座り、こちらに
背を向けて頬杖をついていた。それは完璧な後ろ姿だった。ものす
ごい美人を想像させる後ろ姿でもそれが往々にして裏切られるとい
うことを僕は十分承知していたが、まるでその後ろ姿は決して期待
は裏切らないわよとでも言っているかのようだった。
 僕は立ち上がり、ジントニックのグラスを手にして彼女の方に歩
き出した。

 正直に言って彼女の正面は僕をがっかりさせたが、その時の僕は
もうそんなことはどうでも良かった。僕の人生の目的を、一番大事
なことを思い出させてくれた彼女に僕は感謝して、その後ろ姿を僕
は神の啓示だと思うことにした。
 そのまま僕達はそこでカクテルを二杯か三杯飲んで、それがいつ
もの当たり前のことのようにホテルに向かった。
 僕は部屋に入るなり、シャワーも浴びずに彼女の服を脱がせた。
彼女も嫌がらなかった。そのままベッドに押し倒し、僕達はむさぼ
りあった。僕は自分が自分でないようだった。新たな力を手に入れ
た神の使いの獣のようだった。僕はそれまでの人生で覚えがないく
らい女の子を悦ばせた。
 終わった後に彼女はこう言った。
「すごい。こんなの初めて」
そんなことを言われるのは僕も初めてだったが、当然のようにこう
答えた。
「当たり前だよ。僕は命を削って君に歓びを与えているんだからね」