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第4回3000字小説バトル
Entry7

優しい青年

作者 : 太田勇 [おおたゆう]
Website :
文字数 : 2967
 自分のことを心から優しいと信じている青年がいた。ある夜、そ
の青年の夢に薄笑いの不気味な男が現れた。
「お前は本当に自分のことを優しい人間だと思っているのならそれ
を試してみないか?」
 青年は自信満々で頷いた。それはそうだ、何せ自分のことを心か
ら優しい人間だと思っているのだから。
「お前にこの眼鏡をやる。困っている人間を見たらこの眼鏡をかけ
てみろ」
 夢はそこで終わった。青年は眠りから覚め、変な夢だったと思い
ながら体を起こした。ふと横を見てみると枕の上に眼鏡がある。と
なると、今のは夢ではなかったのか……試しに青年は眼鏡をかけて
部屋を見渡した。
――何だ、何も変わっていないじゃないか……
 少しがっかりした青年はそう思いながらもその眼鏡を鞄の中にし
まって出かける支度をし始めた。
「両親が一緒に食事をしたいって」
「そうか、それは光栄だな、じゃあワインでも持ってお伺いさせて
もらうよ」
 前のデートで恋人とそんな約束を交わした。今日は恋人の家で恋
人の両親と恋人と一緒に食事をする約束がある。青年は恋人の両親
に渡すワインを買いに街に出かけた。

 心優しい青年は恋人のことを心から愛していた。恋人の名前は美
恵といった。正確に言うと婚約者だ。美恵は美人で頭がいいのにそ
れを少しも鼻にかけていない。しかもユーモアがあって気が利く。
そして何よりも青年が信じられなかったのは男性経験が全くないと
いうことだった。青年は最初そのことを信じられなかったが才色兼
備の女性にはそういうことがたまにあるらしいという友達の話を聞
いて安心した。
「真剣におつきあいするのなんてあなたが初めて」
 照れながらそう言う美恵を心優しい青年は抱きしめるのが好きだ
った。
「美恵さんと人生を共にしたい」
 つきあって半年後に心優しい青年はプロポーズをした。美恵は涙
で頬を濡らしながら嬉しそうに頷いて、婚約指輪を愛おしそうに指
にはめた。青年は美恵のことを死ぬまで守り続けようと心に誓った。
 美恵は奥手だったのでキスをするまで三ヶ月かかり、婚約をして
いる今でさえ性行為はまだしていない。
「結婚までは奇麗な体でいたいの……」
 美恵のその言葉を優先して青年は性行為を一度も求めたことがな
い。青年にとって美恵の体は世界中の何よりも尊いものだった。

 希望のワインもすぐに見つかり時間を持て余した青年は公園のベ
ンチに座って時間を潰すことに決めた。ベンチに座って近くを見て
みるとホームレスがダンボールにくるまって寝ている。
――可哀想に……。
 心優しい青年はそう思った。ホームレスをよく見てみると背広を
着ている。歳も青年と同じで三十前後だろう。解雇されたサラリー
マンなのだろうか。自分は今から愛する恋人とその両親と食事をす
るというのに、自分と幾つも変わらない人間がこんな風に公園で寝
ている。そう考えると心優しい青年の胸が痛んだ。せめてお金でも
置いていこう、青年は財布から一万円札を数枚取りだした。
――その時にふと、夢の中の男が言っていたことを思い出した。
「困っている人を見たらこの眼鏡をかけてみろ」、半信半疑ながら
心優しい青年は財布をしまい、眼鏡を取りだしてかけてからもう一
度ホームレスを見た。
「あっ…」
 心優しい青年は驚いた。ホームレスの背後に映像が見えるのだ。
ホームレスの男は今と同じ背広を着て椅子に座ってうなだれている。
どこかの喫茶店だろう。解雇された直後だろうか……。心優しい青
年の心は更に痛んだ。
 映像が変わった。会社のオフィスだ。壁のカレンダーが見える、
3年前だ。ホームレスの男は小綺麗な背広を着て、忙しそうに電話
をかけ資料に目を通している。肌の色もよく今よりもずっと健康そ
うだ。――何で今はホームレスになってしまったのだろう。悲しく
なって心優しい青年の目から涙が溢れだしてきた。
 また映像が変わった。同じく会社のオフィスだが違う背広を着て
いる。上司が何かの賞状をホームレスの男に渡している。周りにい
る人間はそれを見て拍手している。男の顔を見てみると明るさと自
信に満ち溢れている。……なのに何で。心優しい青年の心は張り裂
けそうなくらい辛くなった。
 映像がまた切り替わった。今度はオフィスではない。ホームレス
の男の昔の家だろうか……男はカウチに座っていてその横には女が
いる。男はジーンズとTシャツ、女は白いブラウスと黒いミニスカ
ートを着ている。女は男の肩に寄り添いながら下を向いている。恋
人のようだ。ロングヘアで顔がよく見えないが女は泣いているよう
だ。女は何かを手にしているようだ。
――指輪だ。女はうつむきながら指輪を薬指にはめた。婚約指輪だ。
女は嬉しくて泣いているのだろう。女は男の方を向いて自ら男の唇
にキスをして男を抱きしめた。積極的な女姓だな、心優しい青年は
思った。それから舌で男の唇をなめ回して男の口に舌を入れた。二
人の舌が絡み合い、唾液が艶めかしく光っている。男は右手で女の
乳房を洋服の上から触わりはじめ、女もそれに応えるかのように男
の下半身に右手をあてた。――その時にずっと見えなかった女の顔
が見えた。
――美恵……?
 心優しい青年は自分の目が信じられなかった。女をもう一度よく
見てみた。その顔は紛れもなく美恵だった。
――なぜ美恵が?
 美恵は男の口から舌を抜いてから、男の上にまたがって男のTシ
ャツを脱がせ、徐々に体を滑らすように顔を男の下半身の方に移動
していった。美恵は男の下半身に顔を埋め、四つんばいの格好にな
り、白い下着がスカートからあらわになった。美恵は慣れた手つき
で自ら男のベルトをゆるめ、ボタンを外し、ジッパーを下げた。そ
して下着の間から男のそれを両手で取りだし、それを両手で丁寧に
包みながら先端を愛おしそうにキスをしてから舌を這わせはじめた。
心優しい青年はその様子を呆然と眺め続けた。美恵の性行為はスロ
ーモーションのようにゆっくりと、しかし止まることなく続いてい
る――。

 心優しい青年は眼鏡を外した。青年の目に涙はない。慈悲で溢れ
ていたはずの青年の温厚で優しかった顔は殺人者のような険悪な顔
に変わっていた。
――こんなこぎたねぇホームレスと……
 心優しい青年はベンチから立ち上がりホームレスの前に仁王立ち
した。
――死ね。
 ドスッ、ドスッ、心優しい青年がホームレスを蹴る度に鈍い音が
響き渡った。顔、腹、そして美恵の口を汚した男のそれを蹴り続け
た。ホームレスは腹を両手で守りながら死にかけたゴキブリのよう
にのたうち回っている。青年は蹴るのをやめホームレスを見おろし
た。
――汚ねぇ。
 心の底から怒りが溢れてくる。
――なんだ、ここにいいものがあるじゃねぇか――
 心優しい青年はベンチに置いてあったワインの瓶を掴んで思い切
りホームレスの頭を殴った。さっきよりも鈍い音が響き渡った――。
 ワインの瓶は割れなかった。ホームレスの頭からは血が流れてい
る。のたうち回ってもいない。静かにマネキン人形のように横たわ
っている。
 心優しい青年はワインに付いた血を丁寧にハンカチで拭き取って
ポケットにしまってから電話をかけた。
「あっ、美恵さん?僕です。今から伺います。美恵さんが駅まで迎
えに来てくれるんですか。それは嬉しいな――」
 電話を終えて心優しい青年は薄笑いでワインの瓶を見つめた。ワ
インのラベルに映った自分の顔は夕陽に反射して夢の中で見た男の
顔とそっくりだった……