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第4回3000字小説バトル
Entry8

雨、のち6月

作者 : うめぼし
Website : http://www.alpha-net.ne.jp/users2/opus1977/toppage.htm
文字数 : 2960
 その日は朝から激しい雨が降りしきり、慎吾の気持ちをより一層
曇らせた。
「お父さん、娘さんを僕にください!」
 これから起こる儀式に備えて、まるで呪文のように、頭の中で同
じ台詞を何度も繰り返す。そして、繰り返すたびに口から漏れる溜
息が大きくなる。

「私のお父さん雷だから。覚悟してね」
 待ち合わせの駅の改札に、いち早く来ていた小枝は、開口一番そ
う言って悪戯っぽく微笑んだ。軽い冗談のつもりなのだろうが、僕
の溜息はより一層大きく膨らむ。
 もちろん、結婚の報告だけなら、何の問題は無い。遅かれ早かれ
その日は訪れるだろうという事は、僕も小枝も薄々感じていた。問
題なのは、小枝の体の中に『男としての責任』ができてしまった事
だ。その結果、今日という日が突然訪れてしまった。
 慎吾は小脇に抱えている茶菓子に目を落とす。さっき駅前で買っ
てきたばかりの、安っぽい菓子包み。話を円滑に進めるのに、こん
な物が一体何処まで潤滑油代わりになるというのだろう。もし逆の
立場だったら『何処の馬の骨か分らん奴』とか『娘を傷物にした』
等といった、メロドラマでお馴染みの台詞をひとしきり吐いたあと、
お手本通にちゃぶ台を返し、そして……
「ほら、何ボーっとしてるの? 電車がきちゃったわよ」
 小枝の一言でふと現実に戻る。
 慎吾はポケットに中に潜めておいた絆創膏を握り締めたまま、重
い足取りで電車の中へと乗り込んだ。

「私、ジューンブライドって、憧れてたんだ」
「ふーん……」
「そう考えると、タイミングは良かったのかもね」
「うん……」
 まるっきりの空返事。
 電車に乗った後、僕は小枝の話に適当な相づちを打ちながら、再
びシミュレーションを、一人始めていた。
 その中で一番困ったのが、「娘さんをください」と、「申し訳ご
ざいません」の二言。一体どちらを先に言うべきなのだろう。
「申し訳ございません」
 これを先に持ってくると、仕方が無いから、という風に取られそ
うだ。
「娘さんをください」
 これを先に持ってくると、当然の事ながら、質問攻めを食らうは
ずだ。
 娘をどう思っている。
 いつから付き合ってたんだ。
 どうやって娘と知り合った――この質問が一番厄介だ。
 合コンで知り合ったその日のうちに、酔った勢いでテイクアウト
した……なんて事、正直に言えるはずも無いし、もちろん言うつも
りも無い。
 僕と小枝が付き合い始めたのは、こんな感じで、世間様からする
と、とてもいい加減に映るだろう。実際、いい加減だった。
 ただ、きっかけがいい加減だからと言って、その後もずっといい
加減という訳ではない。そうでなければ、今こうして茶菓子を抱え
ながら彼女の家に向かうという事は決してしないだろう。

 小枝から妊娠の事を告げられた時。僕らは一週間にわたって、今
後の事をじっくりと話し合った、お互いにまだ学生な訳だし、もち
ろん経済力も無い。交際期間がたった半年というのは短すぎやしな
いか。生まれてくる子供を何処で育てるか。同棲すべきか。大学を
辞めるべきか……不思議な事に『堕す』という事は、お互いの選択
肢の中に含まれていなかった。
 一度、僕が冗談で「普通、こういう場合は……」と言う話をする
と。小枝は「じゃあ、普通じゃなくていい」と言って可愛くいじけ
て見せた。が、目だけは正直に小枝の気持ちを代弁していた。あの
時の小枝の目は、今でもはっきりと脳に焼き付いて離れない。
 不純なきっかけ、短すぎる交際期間、やむを得ない学生結婚。
 世間一般から見ると、確かに普通ではないかもしれない。だから
と言って、普通になる必要も無い。大事な事は、きっかけや、交際
期間ではないという事を、僕らは知っているつもりなのだ。

 とはいえ、やはりこの報告は気が滅入る……
 コトコトと心地よいリズムで電車に揺られている間、何度もシミ
ュレーションをやり直したが、やはり最後には『絆創膏』という答
えがはじき出される。
「……慎吾、シンゴってば!」
「んぁ?」
 まだ、シミュレーションから覚めあらぬ僕の間抜けな返事。
「もう! ここで降りるわよ、早く早く!」
 小枝が僕の袖を引っ張り、まるで駄々をこねている子供と母親の
ように、僕らは電車を降りる。
 刻一刻と近づく『お父様』とのご対面。
 僕の心に比例するかのように、雨がより一層激しく降り注ぐ。こ
のままこの奇妙な比例関係が続くとしたら、今日一日で日本列島は
水没するだろう。そんなくだらない事を考えながら、僕は小枝の後
についていった。

 小枝の話では、小枝の家は駅から徒歩五分の位置にあるらしい。
が、僕らが電車を降りてから、すでに一五分近く歩いている。おま
けに、歩けば歩くほど住宅地からは離れ、今や何処を見渡しても、
木々が鬱蒼と茂っているだけで、家らしきものは何処にも無い。
「おい、一体何処に行くんだよ」
「もちろん、お父さんの所よ」
 そう言って、今度は左の脇道へとそれる。

 さらに五分後、僕らが辿り着いたのは、小枝の家ではなかった。
「……おい、これって……」
 立ち止まった小枝の目の前にあるものを見て、僕は思わず息を飲
んだ。
「そう、私のお父さんよ」
 十歳までのね。と付け足し、僕にいつもの笑みを送る。
「ただ優しいだけじゃなくて、時には厳しく叱ってくれて……怖か
ったけど、私の事、大事に想ってくれてたんだって思う。だから、
誰よりも一番に報告したかったの。昔のように叱って欲しかったし、
喜んで欲しかった」
 遠くで大きな雷が鳴る。小枝は「怒ってるのかな?」と呟いて、
その場にかがみ、両手を合わせた。
 そんな事、僕は全く知らなかった。小枝の事は誰よりも一番知っ
ていると自負していた事が、急に恥ずかしくなる。僕は小枝の何を
知っていたのだろう。僕は小枝の何が知りたかったのだろう。
 稲光の後に鳴り響く轟音、その間隔が徐々に狭まる。ポケットの
中の絆創膏は落雷には効きそうにはない。
 僕は小脇に抱えていた菓子包みをビリリと破き、小さな小枝の父
親に差し出した。
「そんな事していいの? 家に持って行くんじゃなかったの?」
「いいんだよ、御父さんのために買ってきたんだから」
 そう答えると、小枝の横に腰を落として目をつむり、同じように
手を合わせた。
 僕は小枝の事をまだ知らない。
 だからこそ、知ろうと思う。
 それが愛する人だから……

 耳から聞こえてくる雨音が、徐々に風の音へと解け込む。
「お父さん、許してくれるって……」
 すっと立ち上がった小枝は、傘をたたみながら、いつもの悪戯っ
ぽい笑みを投げかける。
「お父さんに何って言ったの?」
 僕は何も答えずに立ち上がると、代りに小枝の小さな頭を自分の
胸へ優しく抱き込んだ。もうシミュレーションも、絆創膏も必要な
い。大事な事はたった一つだけなのだ。
「心の準備はできたの?」
 僕の胸に埋もれながら、小枝が囁く。
「ああ」
「一五歳からのお父さんも雷だよ?」
「ああ、かまわないよ」
 君のすべてが知りたいから。とは、まだ恥ずかしくて口に出すこ
とはできなかった僕は、代りに小枝の額へ、そっと短く唇を押し当
てると、小枝の手を引き、その場を後にした。

 雨に濡れ、足場の悪い道を二人手をつないで歩いていく。そんな
僕らの背中を雲間から僅かに漏れる暖かな光の帯が、力強く押して
くれるような気がした。