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第4回3000字小説バトル
Entry9

価値

作者 : 厚篠孝介 [あつしのこうすけ]
Website :
文字数 : 2986
 価値というのは不思議な物で、まったく曖昧だ。粘土細工のよう
に人によって形は簡単に変わる。

 ここに「乞食とマリア」という一枚の絵がある。描いた本人が言
うのもなんだが、実に素晴らしい絵である。なにも自画自賛の独り
善がりではない。事実この絵には億単位の値がつけられていたのだ
から。色使いも構図も妙の域に達していて、どんな名画と並んでも
全く遜色無い。むしろ千年に一度の名画としてその一段上に飾られ
るべき絵である。

 そんな絵がなぜ埃にまみれて押入れに放置されているかと言えば、
今はこの絵の価値が無地のキャンバスよりも下であるからだ。あれ
ほど熱心に譲ってくれと、断るごとに小切手にゼロを付け足した画
商達も今はそんなことは忘れ、新しいビジネスに奔走している。

 私の部屋からは丘の上に建つ教会が見える。白亜の壁が美しく、
両手を広げたマリア像が屋根の上から街を見下ろしている。

 毎朝、乞食が同じ時間に教会を目指して登るのに気付いたのは、
この部屋に引っ越して、しばらく経ってからだった。

 乞食は夏の日も冬の日も、強雨であろうと、雪であろうと、一日
も休まずに教会への坂道を登っていた。乞食の腰は曲がり、頭は遠
目にも白く、身なりは汚い。興味を抱き、理由を調べると、あの教
会で僅かばかりの朝食が振舞われていると知った。

 いつしかあの老人を眺める事が朝の日課になった。老人を眺めな
がらトーストを食べ、坂の中ほどで一度腰を伸ばすのを合図にコー
ヒーをカップに注ぎ、老人が教会に達し、マリア像を眺めるのを見
て、口に含む。老人が教会に入っている間に片付けをし、出て来た
所で新聞を広げる。

 いつしか乞食の姿は生活の一部となっていた。トーストをかじり
ながら、もしもあの乞食の姿が無かったら、トーストもコーヒーも
味が変わってしまうのではないか。そんな不安を覚える事もあった。

 けれど乞食が休む日は一日もなかった。必ず決まった時間に現わ
れた。おかげで朝は時計を見る必要が無かった。

 ある冬の朝、全てが凍てつくような朝だった。私はなかなかベッ
ドから出られず、いつもより少し遅れて起きた。

私は寒さに身を固くしながら窓の前に立った。さすがに今朝はあの
乞食も来ていないのではないだろうか、そんな期待に似た悪意のよ
うなものを抱きつつカーテンを開けた。暖房をかけていない部屋が
結露するほど、外は寒いようだ。昨日から降り出した雪は一面を白
銀に染めていた。

 丘も教会もそれへ続く坂道も真っ白に染まっている。私は手で窓
を擦り、坂を見つめた。

 真っ白な坂を登る黒い点、雪原を行く蟻のようだ。老いた乞食は
降り積もった雪に苦戦しながら坂を登っている。

 罪悪感。始めての思いに戸惑った。さすがに今日は無理だろう。
という意地悪な思いではなく、境遇の違いにである。

 あの乞食は自分が私の朝食のおかずにされているとも知らず、僅
かな朝食のために老いた体を酷使してあの坂を登っている。私とい
えばそれを見ながら温かいコーヒーをすすり、バターをたっぷり塗
ったトーストを食べている。その金は私が稼いだ物でなく、親が出
している。したいことも見つけられず、画家になるということを、
さも長年の夢のように自分に思い込ませ、自堕落な日々を送ってい
る。

 同じ貰い物ならば、どんな日も自分の足で教会まで行き、米塩を
得ている乞食の方がよっぽど人間らしいと言えるではないか。私は
老人に申し訳なく思い。また恥じた。

 あの乞食のために絵を描こう。もしもそれを買ってくれる人がい
れば、その金をあの乞食にあげよう。そう思って描いたのが「老人
とマリア」だった。

 朝焼けの中、老いた乞食が坂の中ほどでマリアを見上げている絵
だ。作品の出来はさっき述べたとおりである。「新人天才画家」な
どと言われ、私の絵はもてはやされた。噂は噂を呼び、絵はどこに
でもひっぱりだされた。

 「乞食とマリア」の価値は私の手を離れて暴走を始める。

 戸惑った私は、あの絵は乞食のために描いた物で、金はそっくり
乞食にあげるつもりだと言った。すると人々はなんと優しい事だと
驚嘆し、それがまた価値の暴走に拍車をかけた。せいぜい「優秀作
品」ぐらいであった絵が「世紀の名作」になってしまった。どうか
譲ってくれと、画商達は毎日部屋に押しかけた。

 マスコミは面白がって、あの乞食を探し始める。そして驚くべき
事実が明らかになる。

 あの乞食はニセモノだった!

 なんとあの乞食、実は朝食を振舞われるべくもない、裕福な男だ
った。

 しかも「ただの物は石でも貰う」と公言してはばからない、とて
つもない守銭奴であった。会社の創設者で、隠居後も会長として何
不自由ない生活をしている。乞食に身をやつして朝食を食べるのは、
朝の散歩を兼ねた彼の道楽に過ぎなかった。

 この事実はマスコミの格好の餌食になった。絵は嘲笑の的になり、
誰もが笑った。

 誰とも無くあの絵をこう呼び始めた。

『大いなる勘違い』

 人々はこのサブタイトルを気に入り、あの絵のことを呼ぶ時には
必ずこの言葉を頭に浮かべた。雑誌に掲載される「乞食とマリア」、
人々はその題名の下に必ずこのサブタイトルを押し込んだ。

 ぱったりと画商達は来なくなり、電話も鳴らなくなった。中には
「この絵に込められた作者の思いは本物なのだから、乞食がニセモ
ノであっても、その価値には関係ない」という人もいた。どうなの
だろう?思いは本物でも、その思いを受けるべき乞食が存在しない
ニセモノなのである。名画と呼ばれる作品にも同じようなことがあ
ったかもしれない。けれどそれは過去の話で、もう事実は闇の中で
ある。まったくの想像画とも違う。

 もしも事実がわかったら、同じ憂き目に遭う絵はどれぐらいある
のだろう。分らないからこそ価値がある。そんな物が絵に限らず、
世の中には溢れている。

 私は押入れから「乞食とマリア」を引っ張り出し、老人のもとに
持って行く事を決めた。肩書きこそ違えど、この絵があの老人のた
めに描かれた事は間違いない。

 老人は騒ぎになって以来、あの坂を登る事はなくなった。

 老人の家は私の部屋の数倍はある豪邸だった。老人はすまなさそ
うに私を迎えてくれた。

「申し分けないことをしましたね」

「いいんですよ、この絵を貰って下さい」

老人は差し出された絵を見つめ

「いい絵ですね」と呟いた。

私は思うんです。と老人が絵を置いて続ける。

「お金を使わない人達には貨幣がただの紙切れなのと同じように、
私達は共通の意識を持つ事で均衡を保っています。きっと芸術も同
じでしょう。申し訳ないことに私はニセモノでした。けれど、万人
には価値のない絵でも、あなたには特別な絵でしょう。私は強欲な
人間ですが、感じる心は持っています。これは素晴らしい絵ですよ」

 不思議な笑みが二人の間に降りた。

 私は持ち帰った絵を部屋の隅に飾った。やはりいい絵である。

 翌朝、私は起きると、いつものように窓の外を眺めた。

 乞食が坂を上っていた。坂の中ほどまで来ると、腰を伸ばし、そ
して振りかえった。あの老人が私の部屋の場所を知るはずもないが、
しっかりと振りかえった。

 そして朝焼けの中、老人は両手を広げて微笑むマリアを仰ぎ見た。

 何物にも換算できない価値を「乞食とマリア」が持てた気がした。

 コーヒーを真実に例えれば、価値は湯気だろうか、湯気は私に豊
かな香りを運んでくれる。