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第5回3000字小説バトル
Entry12

少年

作者 : 氷ノ夏香央 [ひのかかお]
Website : http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Vega/5238
文字数 : 2997
 その少年は決まって夜の10時にやって来た。私は大学入学と同
時にコンビニでアルバイトを始め、そこで私はその少年に出会った。
少年はいつも10〜15本くらいのビールの空き瓶を入れたナイロン
袋を重そうにさげて、まっすぐレジにやって来た。その当時、ビー
ルの空き瓶を返却してもらうと、一本につき10円を客に返すシス
テムで、少年がやって来ると私は、その空き瓶の本数に応じてその
小さな手の平に 100円玉と数個の10円玉を置いた。少年は「あり
がとう」と言うとすぐに店を出て行った。そのお金で何か買ってい
くということもせず、ただ空き瓶を持ってきて、そしてお金をもら
って帰っていくのだった。私がバイトに入っている時、必ず少年は
姿を見せた。その少年に歳を聞いたことはなかったが、たぶん小学
校四年くらいだっただろうと思う。いつもTシャツと半パンとゴム
ぞうりという格好で、顔も体も真っ黒に日焼けしていた。私と少年
は特別な会話も交わさなかったし、少年も「ありがとう」とひとこ
と言うだけだったけれど、私はなぜか彼に親近感を覚えた。
 
 珍しく日曜の午後にアルバイトに入った日だった。夜にしか姿を
見せない少年が現れた。レジにいる私の方にまっすぐやって来たか
と思うと「ゼンザイが食べたいんですけど、どうしたらいいです
か?」と言う。ゼンザイ?私は戸惑った。季節は真夏だし、外は30
度を超える暑さなのだ。どうしてゼンザイという食べ物が出てくる
のだ?
「ゼンザイ?」
 少年は真剣な顔をして頷いた。そして、すがるような目をして私
をじっと見た。私はレトルト食品が並んでいる商品棚の所に行き、
ゼンザイを探した。だけどそんな物はなかった。第一、真夏にゼン
ザイを食べたいと思う人なんていないのだ。
「無いね…」私がそう言うと彼は今にも泣き出しそうな顔をして私
を見た。
「ゼンザイ、どうしても食べたいの?」
 彼は黙って私を見て頷いた。どうにかしなくちゃ、彼にどうして
もゼンザイを食べさせてあげなくては、ゼンザイ、ゼンザイ…。私
はレトルト食品以外で彼がゼンザイを口に出来る方法を考えた。だ
けど、なにしろ私はその時ゼンザイを作った事もなければ、ゼンザ
イというものがどういう過程を経て完成するのかという事も知らな
かった。こんなことなら親元を離れる前に母親にゼンザイの作り方
を教わっておくんだった…。私が考えこんでいる様子を彼は不安そ
うな目でじっと見つめた。彼の視線を感じながら私はどうすればい
いかを必死に考えた。
 …突然ひらめいた。そして食品棚をひとまわりして「真空パック
のお餅」と「小豆の缶詰」と「砂糖」を取り、ニッコリと彼に微笑
んだ。私の笑顔を見たとたん、彼は少年らしい屈託のない笑顔を見
せた。
「お母さんにおいしいゼンザイを作ってもらってね」そう言いなが
ら品物を入れた袋を手渡すと、彼はとてもうれしそうに微笑んで「あ
りがとう」と言った。そして走って店を出て行った。その後ろ姿を
見送りながら私はとても幸せな気分になった。

 
 次にバイトに入った時にも、やはり少年は空き瓶を持ってやって
来た。私は少年の小さな手の平に 120円を置くと、思いきって話し
かけてみた。
「この間、ゼンザイおいしかった?」
 少年は私が突然話しかけたことに驚いたのか、キョトンとした顔
をして私を見た。そしてしばらくしてから、ニコッと微笑んで「う
ん」と言った。
「お母さんに作ってもらったの?」
 店の中は雑誌を立ち読みしている学生ふうの男性が一人いるだけ
だった。
「ううん。お母さんじゃない、お父さんに作ってもらった」
 少年はただ間違いを正す、というように自然に答えた。
「そうなの。お父さん、お料理上手なんだね」
「上手じゃないけど、僕にはお母さんいないから…」
 少年は、そんなこと何でもないことなんだ、とでも言いたげにそ
う答えるともう一度私を見て微笑んだ。でもその笑顔はどことなく
不自然で私は少年の心を傷つけてしまったのではないかと心配した。
私が黙っていると少年が
「お父さんが、コンビニのお姉さんはきっと料理が出来るんだろう
って言ってた」と言った。「ううん、あんまり出来ないよ。きっとキ
ミのお父さんのほうが出来ると思うよ」と私が言うと、
「まぁね…。僕のお父さん、お店で料理作ってるから」と少年は誇
らしげに言った。
「何て言うお店?」
「『こよみ』」
「どこにあるの?」
「このすぐ後ろ」

 本当に「こよみ」はコンビニの真後ろにあった。小料理屋を思わ
せるその店の正面には「こよみ」と書かれた暖簾が頼りなげにかか
っていた。二階は住まいになっているらしく、ふと上を見上げると
二階の物干しに洗濯物が干してあるのが見えた。その洗濯物がなん
となく不器用そうに物干し竿に掛かっていて、それは私に「僕には
お母さんがいないから」と言った少年の言葉を思い出させた。

 秋になっても少年は数本の空き瓶を持って姿を現した。Tシャツ
が厚手の長シャツになったぐらいで、相変わらず半パンとゴムぞう
りといった格好だった。私と少年は微笑みを交わすくらいで特別な
会話はしなかった。でも、私はなぜか彼が店にやって来ると心が和
むのだった。

 その日も日曜の午後だった。少年が店にやって来たかと思うと食
品棚をひとまわりし、「真空パックの餅」と「小豆の缶詰」と「砂糖」
を手に取り、レジまで持ってきた。私はあの夏の日を思い出し、少
年の顔を見ながら「お父さんに作ってもらうの?」と聞いた。少年
はまっすぐに私を見て「ううん、お母さん」と言った。
「お母さん?」
「うん、新しいお母さん」
 少年のあどけない顔に私は何と言っていいかわからなかった。
「お母さん、料理作るの上手?」
「まだわかんない。だってきのう来たばっかだもん…」
「そっか…。きっと上手だよ。おいしいゼンザイ作ってもらってね」
 そう言いながら私が買い物袋を手渡すと、少年は「ありがとう」と
言って走って出て行った。
 その日を境に少年はバッタリと姿を見せなくなった。夜になって
も店に空き瓶をさげてやって来ることがなくなった。私は、少年の
あのあどけない笑顔や、「ありがとう」と言ったあとの後ろ姿を思い
浮かべた。新しいお母さんと少年の間に何があったのだろうか。今、
少年は幸せなんだろうか・・・。
 
 大学祭の時期になり、その準備などでバイトから遠のいていた私
は、その日久しぶりにバイトに入った。そしてその日も少年は姿を
見せなかった。私はバイト上がりに「こよみ」を覗きに行くことに
した。なぜだかわからないけど、とにかく「こよみ」を見ることで
安心出来そうな気がしたのだ。

 だけど、そこには「こよみ」はなかった。「こよみ」があるはずの
場所はもう既に更地になっていて「売地」と書かれた小さな看板が
ポツンと立っているだけだった。あの店が本当にここにあったのか
どうかももうわからなかった。もしかしたらあの少年もあの店も本
当は実在しなかったのかもしれないと思えるくらい何もかもが消え
ていた。
 私は少年のあの小さな手の平やビールの空き瓶を重そうに持って
くる姿を思い出していた。ゼンザイを新しいお母さんに作ってもら
うと言って去って行ったあの姿が頭から離れなかった。
 「こよみ」と書かれた暖簾や、居心地悪そうに干されていた洗濯
物は、今はもうそこにはなかった。そこには買い手を待って、きれ
いに整えられた無機質な土地が横たわっているだけだった…。