第5回3000字小説バトル
Entry14
「ねえ、私のこと好き?」 「ああ、当然さ」 「私たち、ずっと一緒だよね?」 「約束する。僕たちはずっと一緒だよ」 思えば、あんな軽薄な言動は慎むべきだったと後悔の念すら覚え ていた。彼女は、本当にぼくと一緒になってしまった。しかも、そ れは同棲や結婚といったものではなく、ぼくの頭の中に棲みついて しまったのだ。彼女と"物理的に"最後の話をしたのは、あのときが 最後だった。結果は良好と聞いていた彼女の容体は、ぼくが家路に 向かった直後に急変し、ぼくが家に着いた時にはすでに息を引き取 っていたそうだ。ぼくと最後に交わした会話は、実際のところ、彼 女は自らの余命を知っていたのかも、と思わされた。ただ唯一幸運 だったのは、彼女の眠った姿が、とても安らかだったということだ った。 それから5年の歳月が流れていた。学生だったぼくは、人並みに 社会人となり、日々それなりに忙しい生活というものを送っていた 。端から見ればどこにでもいるサラリーマンと思われてもおかしく はなかった。ただ、彼女がぼくの中に棲みついていることを除けば 。 まず彼女とのいざこざは、家路に着いたころから始まる。そもそ もぼくと彼女はあまり趣味が合うほうではない。いや、正直に申し 上げれば殆ど接点がない、といってもいいかもしれない。話は合う のだけれども、なぜだか趣味だけは合わなかった。ウチにはテレビ が一台しかないのでチャンネル争いが始まるのだ。ぼくは巨人戦を 楽しみにして帰ってきているのに彼女は素人のお悩み相談とか、な んだかおばさん臭いような番組ばかり見たがる。テレビのリモコン がガチャガチャ激しく打ち合う。少しでも気を抜いていると手が勝 手に動くのだ。 「なによ、野球なんてあとでニュースで教えてくれるでしょ?」 「それじゃあダメなんだよ、遅すぎなんだよ。第一そんな、余所の 家の事情なんてどうだっていいじゃないか」 「なに言ってるのよ。他人の事情でも少なからず身の回りの事象と ダブるものなのよ。あなたの役にも立つんだって」 「役に立つかどうかなんてわかるものか。それにな、あの番組ある じゃないか、あるある何とかっての」 「あるある大辞典のこと?」 「そう、それ。なんだありゃ。やれトマトがいいだ、葱を食せだ、 バナナが効果的だと。一体なにを食べろっていうんだ。胡散臭いよ 」 「いいじゃない、健康になれるんだったら」 「健康も何も、君は生きていないだろ。そんなの関係ないじゃない か」 「……ひどい」 ちょっと言い過ぎた。彼女を傷つけてしまった。こうなると非常 に厄介で、決まってその日の晩に変な夢にうなされたりする。とて も怖いので一生懸命なだめる。今日はそれに2時間も費やされてし まった。やっとのことでほとぼりが冷めたときには巨人戦はすでに 終わっていた。完敗だった。ぼくも巨人も。 彼女が棲みついているといっても、物理的にはぼくは一人暮らし をしているワケで、多くの、いや、殆どの人からみればぼくは独身 の、結婚適齢期を向かえた一人の若者に見える。ぼくだって実際そ う思っているし、将来の伴侶というものを探してもおかしくはなか った。ただぼくにはそれほど熱心さというか、頑張ってまで見つけ ようという気にはならなかっただけだ。 「斎藤さんって仕事終わると普段は何をされているんですか?」 得意先で事務の仕事をしている石田さんは、なにかとぼくの動向 を聞こうとしていた。もともとはそれほどプライベートな話をする 間柄でもなかったが、彼女の会社と飲む機会があり、それからちょ くちょく話すようになっていた。 「そうですね、まあ、テレビで巨人戦を見たりですか(ほとんど見 れないけど)」 「ああ! 野球ですか! 私も巨人大好きなんで す! 最近は連勝が続いて気分がいいですよね! 残念ながらこな いだは酷い負けかたでしたね」 そんな会話を過ごしているうちに、石田さんと今度、野球を見に 行くことになってしまった。携帯電話の番号を教えあい、じゃあ今 度電話しますね、と石田さんは言ってくれたのだけれども、少しぼ くは気がかりなことがあったのだ。 「今日石田さんって人から電話が掛かってくるんだけど」 「誰その人? なんなの?」 「取引先の人。なんだよ、君だって知っている癖にワザと聞いちゃ って」 「知らないわよ、そんな女」 やっぱり彼女は機嫌が悪かった。とはいえ、もう石田さんと約束 をしてしまった。彼女から電話が掛かってくるのは時間の問題だっ た。 トゥルルルル、トゥルルルル……。 案の定掛かってきた。ディスプレイをみるとやはりそうだった。 「勝手にすれば」ということなので、ぼくは電話を取ることにした 。出てみると、会社での印象とは少し違った、色っぽさというか、 艶っぽさというか、いわば女を感じさせる石田さんの声があった。 「夜分遅くすみません、石田です」 そういうと石田さんは今日ぼくと別れてからあった出来事、最近 見ているドラマの話、帰宅中に起こったハプニングについて話した 。ぼくはうなずきながら、近況など、それほどとりとめもないこと を話していた。電話が掛かってからしばらく経ち、いよいよ本題の 野球観戦の話になった。 「それじゃ、今度の件の話なんですけど、27日の6時に待ち合わ せって考えてるんです。それでもよろしいですか?」 「……」 はい、そうしましょうと言おうとしたのだけども、まったく声が 出なかった。出そうという意思はあるのだけれども、それが形にな ることはなかった。電話の向こうではもしもし、もしもし、という 石田さんの声が聞こえた。それでもなにも返事がなかったためか、 彼女は電話を切ってしまった。もうそれから、石田さんから電話が 掛かってくることはなかった。 「どうするんだよ。取引先の人なんだぞ! 契約が打ち切られたり したらどうするんだ!」 「いいじゃないそれくらい」 「いいわけないだろ! これから毎日のように取引先には行かない といけないんだぞ! 石田さんになんて言い訳すればいいんだよ!」 「……いいわよ、もう」 「またそうやって怖い夢でも見させるつ もりんだろ。そんな手な、いつまでも続くと思うなよ。こっちだっ て手段考えるからな」 「しないわよそんなこと」 「わかるものか」 しかし、彼女はそれ以来、ぼくの頭の中からきれいさっぱり消え てしまっていた。ワンルームの、一人で住むのがやっとのぼくの部 屋は、元のとおりの正常な姿に戻った。チャンネル争いもなくなっ た。怖い夢も見なくなった。好きなだけ野球を見ることができた。 だけれども、たまに彼女が好きで、よく見ていた番組が気になるこ とがあって、CMの間にちょくちょくチャンネルを回すことがあっ た。健康法で重要そうなことを言っていたので、メモしようと思い 、書くものが近くにないかキョロキョロしたところで、生前に撮っ た、彼女との写真に気づき、そこに写っている彼女の、少しばかり 悪戯っぽい笑顔が「ほら、私の言ったとおりでしょ?」と言ってい るようだった。 「私たち、ずっと一緒だよね? 毎度のことながらこのとき、ぼくは一瞬声を失う。それが身をも ったトラウマから来ているものなのか、生来の性格から来ているも のか、見えざる手のなす業であるのかは判断しかねる。ただ言える ことは、もうそれはすでに先約済みであるということだった。