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第5回3000字小説バトル
Entry17

革命

作者 : T [ティー]
Website :
文字数 : 3000
「私、決意したわ」
「何を?」
 居間でのんびり寛ぎながら、テレビを眺める日曜の昼。別段、何
の変哲もない日常の一コマであり、彼女が持ち出した話題によって
その日常が失われるという事でもないだろう。
 根拠もないままそんな確信を抱きつつ、俺は妻に視線を傾けた。
「なんてゆーかもう、このままじゃ無駄に無駄な時間を無駄なこと
に費やしちゃうだけって気がするし、生活に革命を起こす時だと思
うのよね」
「ほう」
 聞き流してはいたが、返事だけはしておく。妻がこういう口調で
語り出す際は、反論せずにひたすら肯いているのが一番である。
「そんな訳で、さっそく今日から始めようと思うんだけど」
「……だから何を?」
「ダイエット」
 ――すぐには反応を返せなかった。その言葉の意味を完全に咀嚼
し、飲み込んで、理解の泉へと浸透させるまでに数秒間を要したの
は、仕方のない事だろう。
「なんでまた……充分痩せてるじゃないか」
「痩せてる? 何処がよ?」
 俺の回答に妻は眉根を寄せ、問い返してきた。
 確かにまぁ、痩せてるという程ではないかもしれない。
 ……などと、自分で納得してしまっては意味がないのだが。とも
かく、先刻の切り出し方から見て、この先の展開は容易に予測でき
た。
 要は、そのダイエットとやらに投資する資金調達が目的なのだろ
う。
「必要ないよ。ダイエットなんて」
 俺は言葉を続ける。それは正直な意見でもあったが、御為倒しも
多少、含まれている事は否めない。
「必要だから言ってるのよ。これは私の野望――でもあれね。野望、
っていうのはなんとなく絶対叶いそうにないようなイメージがある
から駄目かしら」
 俺の意見をあっさり切り捨てると、妻はべらべらと論点のずれた
話を開始した。
「でも希望だとインパクトに欠ける感じがするし、かと言って所望、
だと人に頼んでるみたいに聞こえるわね。とはいえ有望だと意味が
違ってきちゃうから」
「あのな……」
「という訳で――やっぱりここは誠実に願望、で行こうと思うんだ
けど、どうかしら」
「何がだ」
 半眼で呻きつつ、俺は妻を説得する手段を案じた。このまま有耶
無耶に話を進められては、彼女の思う壺だ。
 早急に詭弁――もとい、正論で捩じ伏せなければ、まずい事にな
る。
「あー……なんだ。俺から見ると、前とそんなに変わりないように
思えるんだが?」
「前っていつの話よ? 体重は日々変化してるのよ。ぱっと見ただ
けで変わりないからって、実際にそうとは限らないでしょ」
「いや、だけど……」
 見た目が変わりないなら特に問題はないように思えるのだが、妻
の気勢の強さに思わず、怖気づいてしまう俺だった。
「だけど何? 体重が増えてきてるっていう純然たる事実は否定で
きないわよ」
「しかしあれだろ。大は小を兼ねるって言うし」
「杓子は耳掻きにもならないのよ。――そもそもそんな問題じゃな
いわ」
 なら言うなよ、と思ったが、言い出したのは自分なので黙ってお
く。
「とにかく、そういう訳だから……まずは食事かしらね」
「…………」
 どうやら、説得は無駄のようである。悟った俺は、手元にあった
煎餅を一つ手に取った。
「ストップ!」
「え?」
 鋭い制止の声に、思わず煎餅を取り落とす。
「何やってるのよ。始めたそばから食べてたら意味ないでしょ?」
「いやでも、俺は関係ないだろ」
 告げると、目に見えて妻の表情が変わっていくのが確認できた。
なかなか面白いが、楽観していられる状況ではなさそうである。
「――あなた、ちゃんと話聞いてた?」
「聞いてたけど」
「私じゃなくて、あなたが痩せるのよ?」
「……へ?」
 予想外の展開。
 しかしこれはこれで問題である。確かに、最近やや太り気味かも
しれないとは自覚していたが、まだ本格的に痩せようなどとは思っ
ていない。
 妻の性格からして、やるからには徹底的に最後までやり抜くはめ
になってしまいそうである。
 それはあまり――いや、かなり歓迎したくない事態だった。
「ちょっと待てよ。なんで俺が……」
「なんでもかんでもないわ。あなた最近、ご近所さんからなんて噂
されてるか知ってるの? 「丸太ん棒みたいね」って! 丸太ん棒
よ、丸太ん棒!」
「……それは太ってる事になるのか?」
「イメージの問題よ、イメージの」
 丸太ん棒という表現からして既におかしいと思うのだが――今の
論点はそこではないので、聞き流すことにした。
「分かったよ。確かに、少し太ってきたのは認めるさ」
「少しじゃないわよ」
「――しかしだな、こうは思わないか?」
 妻の呟きは無視して、俺は言葉を続けた。
「俺が太ってきたという事は、それはつまり食生活に問題があるん
じゃないか、と」
「だからそう言ってるじゃないの」
「そう。で、食生活だ。眼を閉じて、この単語をあと十回ぐらい繰
り返してみよう。食生活食生活食生活食生活食生活食生活……」
「……なにそれ。クイズ?」
「食生活食生活食生活食生活。――さて。この字から食という単語
を抜くと、どうなる?」
「生活でしょ」
「そう、生活だ。俺の生活。そしてお前の生活。いや、それはまぁ
別にいい。ともかく、俺の生活面において、少なくとも――ここ半
年以上は、目立った変化は何もない。これが何を意味しているか分
かるか?」
「……あのねぇ。回りくどい言い方、止めてよ」
 意図が掴めないのか、妻は眉間にしわを寄せている。俺は満足そ
うに肯くと、締めの言葉を括った。
「つまり。俺の食生活が乱れているという事は――すなわち、妻の
管轄不足に他ならない! 要するに、俺が太ってきたというのなら、
その責任は妻であるお前にあるという事だ!」
「…………」
 びしぃっ、と妻を指差して告げた言葉は、しかし彼女に何の効果
も与えなかった。
 ――いや、効果はあった。
 妻の表情が、みるみる変わっていく。先刻の比ではなく、まるで
般若のような面持ちに人相がシフトチェンジしていくかの如く――
というか、そのままだ。
「へぇぇぇぇ。そういう事を言うわけね?」
「あー。いやその」
「確かに食事は私が作ってるわね。毎日毎日延々と……これでも少
ない少ない毎月の食費と相談しながら、栄養のバランスも取れるよ
うに心掛けてるつもりだったんだけど……?」
 まずい。饒舌になりだした妻は、非常に危険なのである。俺は冷
や汗を掻きながら、慌てて抗弁した。
「え〜と……いや、俺にもちょっと責任があるかも、というかある。
うんあるある。あったな、いやー、あんなところに。思いがけずあ
った」
「そーね。私の所為って言えば、そうなっちゃうのかしら。あなた
だって外食とかよくしてる癖によくもまぁそんな事なんて思わない
でもないけど、そういう事なら仕方ないわ。うん」
「いやだから、俺が悪かったってば、全面的に」
「あなたに痩せて欲しいっていうのも、夫の健康を願ってのことだ
っていうのに、そういう妻の好意も、そんな受け取り方しかできな
いんじゃあ、仕方ないわよね」
「だから謝ってるだろ。聞けってば」
「こうなったらもう、離婚ね。うん、それしかないわ。こんなに意
見が対立しちゃうんじゃあ、今後もやっていくなんて無理だもの。
――そうよ、思い立ったらすぐに実行しなくちゃ」
「おい、ちょっと待てぇぇっ!」
 ――結局。
 その後、妻の説得に数時間を費やした上、彼女の理想に到達する
までダイエットをするという確約までしてしまう俺だった。

 ……教訓。日常とは些細な事で、崩壊するものらしい。