第6回3000字小説バトル
Entry12
「如何ですか、術後は?」 医師がカルテを見ながら、粟島健一郎に尋ねる。 「手術前よりはずっといいけどよ」 粟島は自分の胸をさする。 「こう、走ったり、緊張した時に、心臓に違和感が出るんだ」 「ああ、それは当然です」 眼鏡をずり上げ、医師は自分の胸を指す。 「本来心臓は精神、つまり脳の制御を受けます。でも、移植された 心臓は細かい神経が繋がっていないので、脳からの信号が届かない んですよ」 「そうなのか?」 「ま、あなたに適合する心臓があったという幸運に比べれば、些細 な事ですよ」 粟島は黙り込む。 「他に気になることはありませんか?」 「先生」 思い切ったように顔を上げた。 「俺の心臓って、誰のものだ」 「申し訳ありませんが、ドナーのことは一切お教えられませんよ」 医師の口調が僅かに固くなる。 「俺が轢いた奴だろ。なあ、そうなんだろ?」 「答えられません」 「あの事故で、轢かれた奴は脳死して、轢いた俺の心臓にもガラス が山ほど刺さって」 「何を訊かれても――」 「マスコミの人が来てさ」 粟島は自嘲気味に笑う。 「自分の心臓が、殺した相手のものだと知ってどうですか、ってよ」 医師は何も答えなかった。 苦しい……痛い、憎い………なぜ、殺したお前が、オレの命を喰 って生き残った。 『冗談じゃねえ、俺だって、俺だって死ぬ目に遭ったんだ』 粟島は叫ぼうとするが、声が声にならない。 苦しい…苦しい……。 怨恨に満ちた声が、耳元で繰り返される。 『俺が悪いんじゃねえ! 社長の奴が、俺に一日で青森までなんて ノルマ課して、しかも丸三日ロクに寝てない状態だったんだ!』 痛い……痛いよう……。 「消えろ!」 叫び声と共に、目が覚めた。 「はぁ、はぁはぁ」 荒い息とは裏腹に、心臓は規則的な脈動を続けていた。 数日後。 粟島は運転免許の再取得のため、自動車教習所を訪れた。 「――さて、次はビデオを見て貰う」 いくつかのカリキュラムが進んだ後、教官が一本のビデオテープ をかけた。 有り触れた交通安全教育用ビデオ。 事故に遭った怪我人の姿が映される。 「今さらこんなもんを――!」 呟こうとした粟島の目が、見開かれた。 画面に映し出された怪我人の一人は、被害者の、あの男の顔だっ た。粟島のトラックに轢き潰された時の、あの驚きの表情のまま。 「ぬぐ……」 悲鳴を必死に抑え込んだ時。 心臓がふいに自分の存在を主張するかのように脈打ち始めた。そ の不自然な振動は身体中を共振させ、四肢を揺らし、皮膚を揺らし、 脳を揺らす。嘔吐感がこみ上げ、呼吸のリズムも乱され始めた。 「はぁ、はぁ、はぁっ、ははあっ!」 暴れている。心臓が暴れている。暴れて胸を突き破ろうとしてい る。 「殺される!」 粟島は叫び、服の襟元を思い切り引き裂く。露になった胸の傷口 に指を突っ込み、敵意に満ちた心臓を引きずり出そうと――。 「もう拒絶反応もありませんし、精神的なものだと思いますよ」 粟島の胸の傷の治療を終えた医師は、カルテに何か書きつけてい る。 「でも、確かに心臓が勝手に動いたんだ」 蒼白な顔で、粟島は自分の胸を見る。一番大きな傷はガーゼに隠 れていたが、それ以外の部分にも、無数の引っかき傷ができていた。 「この前も言った通り、心臓に違和感を感じるのは仕方ない事です よ」 「頼む、他の誰のものでもいい、心臓を取り替えてくれ!」 粟島は頭を下げる。 「この心臓は、呪われてるんだ」 「冗談言っちゃいけませんよ。その心臓一つを、何人が待ち望んで いたとお思いですか? あなたはこの貴重な一個を手に入れた時点 で、順番待ちの最後尾に廻されてしまったんです。次はないと思っ て下さい」 「あんたは、俺の命なんてどうでもいいのか? 患者だぞ、俺は!」 「あなたは現代医療の最高レベルの治療を受け、完治なさったんで すよ? これ以上を望むのは贅沢というものです」 「そうじゃない、そんな話じゃないんだ」 「精神安定剤だけ出しておきます。一日二回、夜と朝に服用して下 さい」 それだけ言って、医者はカルテに視線を戻した。 「業務上過失致死で執行猶予中ですか」 職業安定所の職員は、難しい顔をする。 「就職先は見つかりませんよ、きっと」 「なんでだよ? あれは事故だ、それに執行猶予で済んだんだ、実 刑じゃないんだぞ? それに民事訴訟だって和解したし」 「あのね、粟島さん」 諭すように職員はボールペンを振る。 「執行猶予だって立派な有罪判決ですよ。雇用者側だって、条件が 同じなら臑に傷を持つ人を避けるに決まってるじゃないですか」 「なんだ、それじゃ俺は一生仕事にありつけねえってのか!」 粟島は腰を浮かせかける。 「あなたの条件が高すぎるんですよ。事故を起こす前と同じ給料が 貰えるわけないでしょう」 「じゃあ、どんな仕事があるってんだよ!」 「そうですね」 事務的な口調に戻り、職員は端末を操作し始めた。 「二十万だって!」 アパートの部屋に戻って来るなり、粟島は吐き捨てた。 「冗談じゃねえ!」 冷蔵庫を蹴飛ばす。 「手術代の支払いがいくらになると思ってんだ!」 どっかり腰を下ろし、畳敷きの床を殴った。 だが、落ち着き払った心臓は、僅かに脈を早めるものの、怒りを 持続させない。 粟島はごろりと横になり、本棚から一冊のアルバムを取り、仰向 けになって広げる。 事故前の、自分の心臓で生きていた頃の自分の姿。 「もう、二度と戻れねえのか」 アルバムのフィルム越しに写真を触る。 「心臓一個、肉の塊一つのために、俺の人生は滅茶苦茶だよ」 写真の中の粟島は、ぶすっと膨れっ面をしていた。 「あの時、事故が起こってなけりゃ。起こってたとしても、そのま ま死んでりゃあ」 苦しむ事もなかった。 「被害者も家族も、俺を苦しめるために、敢えて心臓の提供を申し 出たんだ。そうだ、そうに決まってる」 心臓の振動が身体を揺らし始める。 まるで、粟島をあざ笑っているかのように。 「畜生、お前の、思い通りには、させねえ!」 粟島は鼓動にのたうつ身体を必死に動かし、台所へ這う。そして、 包丁を手に取った。 「悪魔め、今すぐ俺の身体から出て――」 その時、胸を激しい激痛が襲った。細胞が崩壊するような苦しみ。 「拒絶……反応?」 手から落ちた包丁が床に転がるのを見届ける事もなく、粟島は意 識を失った。 「別にそんな兆候は見られませんね。順調ですよ」 医師は、粟島にスキャンの結果フィルムを見せる。 「馬鹿な! 痛みは確かにあったぞ」 フィルムを払いのけ、粟島は怒鳴る。 「心臓が拒絶反応を起こして、俺を殺そうとしたんだ!」 「粟島さん。どうも勘違いなさっている様ですが」 医師は笑う。 「拒絶反応っていうのは、別に心臓が悪さするものじゃありません よ」 「え?」 「移植された臓器が、抗体に攻撃を受け機能不全を起こす、それが 拒絶反応です。苦しめられているのはむしろ心臓の方ですよ」 「心臓の方――」 粟島は言葉を失う。 「ま、ここから先は独り言なので、聞かれては困りますが」 天井に視線を向け医師は腕を組む。 「ドナーのご家族にお会いした時、仰っていました。自分の息子が 役に立つなら、是非移植して欲しい、と」 指先でボールペンを廻す。 「ご存じなかった筈なのに、こうも仰いました。その相手が例え息 子を殺した相手だとしても、助けてあげて下さい、とね」 粟島は無言で胸を押さえた。涙が止まらなかった。心臓は静かに 鼓動を続けていた。