インディーズバトルマガジン QBOOKS

第6回3000字小説バトル
Entry16

孤独な夜空に

作者 : Default [でふぉると]
Website :
文字数 : 3000
 許せない。許せない。許せない。
 呟きながら、私は会社帰りのスーツ姿のままで、夜の街を歩いて
いた。まとわりつくような街の空気も、バンプスの窮屈さも、全て
がひどく不快だった。
「お姉さん、お姉さん」
 道路脇から声がする。
 無視して、通り過ぎる。
「ねえ、待ってよ。そこの機嫌の悪いお姉さん」
 そう言われてカチンときた。
 怒鳴りつけてやろうと私がそちらをふり向くと、アコースティッ
クギターを抱えた細目の青年が座り込んで私を見ていた。青年はそ
ばかすの目立つ顔に無邪気な微笑みをうかべて、
「お姉さん、聴いていかないかい?」
 そう言った。

 別れてくれ。
 彼の一言に私の視界は真っ白になる。意識が彼の言葉を拒絶して
唇がふるえだす。私の瞳は意味もなく目の前に置かれたコーヒーカ
ップの波紋を捉えていた。
 唇を強く結び、押し出すように訊ねる。
 なぜ?
 とほうもなく長い一瞬の後、彼が答えた。
 好きな人がいる。
 その言葉に無性に腹が立つ。頬から血のひける音が聞こえてくる
ようだ。私の顔はひどく青ざめているにちがいない。
 許せなかった。
 もちろん、突然私を裏切った目の前の男がだ。しかし、それ以上
に許せないのは、彼とはうまくいってると信じきっていた自分のま
ぬけさ加減だった。
 毅然とした彼の態度が、ことさら私の感情を刺激する。
 でも。だけど、いいえだめよ。
 そう自分に言い聞かせて、無数の質問と罵倒を歯の奥でかみ殺す。
 そう、私は男に振られたくらいで取り乱すような、みっともない
女じゃない。
 さよなら。
 それだけ告げて喫茶店を後にした。

「冗談じゃないわよ。なんで私があんたの下手な唄きかなきゃなら
ないのよ。私はそんなに暇じゃないわ!」
 私は彼への怒りも、自分への怒りも諸共にして、この失礼な青年
にぶつける事にした。
「唄はね」
 青年は私の剣幕など意に介さずに言った。
「唄は、お姉さんみたいな人の為にあるんだ」
 青年はほろほろと弦を爪弾いた。
 その瞬間、私は驚きに打たれた。
 なんて、優しい音なのだろう。
 怒りで無防備なところを襲ったその音色は、ささくれだった私の
心にはやわらかすぎた。
 ああ、この青年の唄を聴いてみたい。
 そんな事まで思った。
 次の瞬間、私は我に立ち帰り、思った自分を恥じた。さっきまで
私は怒っていたんじゃない。
「どうして私があなたの唄を必要としてるなんてわかるのよ!」
 一瞬心を奪われた恥ずかしさを押し隠そうと、必要以上に強い口
調になっているのが自分でもわかる。
 青年は、私の質問に答えようともせず、弦を押さえる左手を見な
がら、またほろほろと指でギターを鳴らした。音と音が交わって包
み込むような和音を紡ぎだす。
 心ならずもその音に惹かれる自分が恨めしい。
「いい音でしょう? このギター」
「そ、それは確かに、ってそうじゃなくって! あんた、ちょっと
は人の話を聴きなさいよ」
「聴いてるよ」
 青年は微かな笑みを絶やさない。
「お姉さんの心の声をね」
「こ、心の声?」
「うん。公園にとり残された女の子みたいに泣いてる」
「そ、そんなでたらめ言ったって」
「痛い、痛いって。誰か私を助けてって、私を一人にしないでって」
 どきんとした。
 何を言うのだろう。私が助けを求めてる? 孤独に泣いている?
 私は……。
「わ、わたしは」
 言いかけた私を遮るように青年は顔をこちらに向けた。
 私と青年の視線が交わる。
 無邪気な青年のその細い瞳の奥をのぞいて、私ははっとした。
「もう一度言うよ。唄はね、一人ぼっちで生きている人のためにあ
るんだよ。お姉さんのようなね、そして……」
 青年は苦笑して言葉を切った。
 彼の瞳の奥にあったもの……それは、孤独の色だった。

 それは単に私の錯覚だったのかもしれない。青年の言うように淋
しがって、甘える相手を求めている私の心が、それを彼の瞳の奥に
見せたのかも知れない。
 でも、私は確信してしまった。
 ああ、彼も私と同じなんだ。
 孤独なんだと。
 そして、私は彼の唄を聴いた。私は音楽を聴くほうじゃないから
彼の唄のよしあしはわからない。でも、おそらく彼はあまり上手く
ないのだと思う。
 それでも、彼の唄はとてもやさしく、私の心を解きほぐした。波
間にたゆたうくらげの気持ちが、少しわかったような気がする。と
きおり通りすがる人の視線を感じたが、不思議と気にならない。
 普段の私なら、こんなことはあり得ない。
 唄を聴くどころか、無視して通りすぎるだけだ。振られて気が緩
んでいのだと言われれば、そうなのかもしれない。
 でも、彼の唄は確実に私の心に癒しをもたらしていた。
 振られた辛さは消えはしなかったが、心は先刻とは比べ物になら
ないほど軽くなっていた。
「ねえ、どうして唄うの?」
 一通り彼の唄を聴いた後、私は訊ねた。
 彼は少し困ったような顔をして頭を掻いた。そして、おずおずと
語り始めた。
「僕の両親は二人とも医者でね。小さい頃から僕は医者になるため
に勉強させられてた。いい高校入って、いい大学入って、ってね。
まあ、よくある話。あ、でも親は二人ともいい人たちだよ。感謝も
してるし尊敬もしている。友達とはあまり遊べなかったのは悲しか
ったけれど、別にそれが嫌だったわけじゃないんだ」
 私は一つ頷いた。彼は続ける。
「でもね、あるとき思ったんだ。僕は自分の人生を生きているんだ
ろうか? 自分の意志で行動しているんだろうか? って。これま
での生き方に疑問を持っちゃったんだ。そしたら、急に勉強が身が
はいらなくなっちゃってね。成績は落ちて、親とはさんざん喧嘩した」
 彼は一つ息をついた。
「レールから外れない着実な人生っていうのかな、僕は決して悪く
ないと思う。でも、その道を選ぶのだって、自分の意志で選ばなく
ちゃ意味がないと思うんだ。でなきゃ僕が生きている意味ないじゃ
ないか。……そんな事をわめいてた。滑稽な話でね、その時に僕に
将来の夢なんて具体的なビジョンがあったわけじゃないんだ。ただ、
不安だった。このままでいいのかなって。そして、家を出た」
 彼は空を見上げた。つられて私も空を見上げる。都会の空は白く
濁っていて、星はほとんど見えなかった。
「ここじゃあ星もろくに見えないな……」
 きっと彼の実家ではこことは比べ物にならない素敵な星空が仰げ
るのだろう。私はその空を見てみたいと思った。
「家が懐かしい?」
「そりゃあね。最初は大変だった。生活していくだけで精一杯だっ
た。でもだんだんと暮らし方が分かるようになってきた。そして、
じっくり考えてみた。自分が何をしたいのか。何になりたいのか」
「答えは?」
 彼は首を左右に振った。
「出てないよ。でもね、ここへやってきてみんなにギターを聴かせ
ていると、僕がなにをしたいかが朧げながらに見える気がするんだ。
そして、ここに集まってくれる孤独な人たちがいるから、僕は、一
人だけど淋しくはない、そう実感できるんだよ」
 そう言って彼はにっこり微笑んだ。
 それは単なる傷の舐めあいなのかもしれない。
 そうも思った。
 でも、それでもいいじゃない。どこまで行っても人は孤独なんだ
から。明日からまた一人なんだから。せめてこの時くらい……。
 だから、私は彼に笑顔を贈ることにした。
「ねえ、もう一曲聴かせてよ。今度は楽しい曲」
 彼は、まかせてと言わんばかりに頷いた。

 私が静かに目を閉じると、彼の音色がほろりと私の夜空に舞った。