第6回3000字小説バトル
Entry3
その日は、朝から何重にも雲が重なって、今にも雨が降りそうに 陰鬱な空模様だった。 僕はしぶる多田野小五郎を無理やり外へ誘い出し、歩きながら、 今朝我が家に起こった大変な災難について順を追って説明した。 きっと多田野なら簡単に答えを探し出してくれるに違いない。例 によって僕は漠然と確信していた。まだ中学生のクセに、推理小説 の読書量を比べても、この町で彼の右に出る者はいないだろう。多 田野は誰もが認める並外れた推理小説マニアなのである。 「そのこそ泥にとっても、やはり災難には違いなかったろうね」 「問題はそこで解決したわけじゃない。それからの方が大きな災難 だ」 今日は僕の家族は、朝から皆出払っていて、家は空っぽになって いた。そこに、あの忌まわしいこそ泥が忍び込んだというわけだ。 ところが、そのこそ泥が一通りの仕事をして、さて玄関から堂々と トンズラしようとしている時に、運悪く家に立ち寄った僕のオヤジ と鉢合わせをしてしまった。 その時は一瞬、互いが顔をつき合せて、言葉を失ったという。が 次の瞬間には、おやじはこそ泥にみごとな背負い投げを決めていた。 状況の理解よりも前に、オヤジの日ごろの反射神経の方が働いたよ うある。 こそ泥はオヤジの足元で、腰をさすりながら唸っている。と、今 度はそこに、さらに兄貴が帰ってきた。この兄貴も空手の有段者で ある。どうあがいても、こそ泥は逃げようがなかったろう。 「そりゃ、ホントに災難だ。なにしろ、君のオヤジさんは柔道の師 範、兄上は空手の達人で、武道一家だからな。まるで、虎穴に投 げ込まれたうさぎのようなもんだ。で、盗まれたものは全部返って きて、一件落着というわけだろう」 「それからだよ、問題は。さすがプロの仕事とでも言うべきか、家 中の現金をかき集めていたようだったが、それらはその場ですべ て回収できた。皆一安心して、こそ泥の身柄を警察に預けたすぐそ の後のことだ。遅れて家に帰って来たおふくろがすぐに異変に気づ いて、大騒ぎを始めた。宝石箱に入れていた指輪が三つもなくなっ ているというんだ」 「捕まったこそ泥の仕事だというわけだな」 「さっそく、警察に電話して、担当の捜査官に話をつなげた。ちょ うど取り調べの最中だったそうだが、よっぽとオヤジに投げられ たことが腹に据えかねていたのか、『知らないよ、知ってたって言 うもんか』とうそぶくだけだという事だった。もちろん、身体検査の結 果でも彼の身の回りからは何も見つからなかった」 「ふん、そのこそ泥が盗んだことに間違いはないのかな」 「そうとしか考えられないね。朝出かける前におふくろがちゃんと 確認しているし、帰ってからすぐにないことに気がついたそうだか ら。その間、おふくろの部屋に入った人間は、あのこそ泥以外には ひとりも考えられないんだ」 そういっている間に家に着いた。玄関ではおふくろと警察官のふ たりが、狭い玄関を窮屈そうに四つんばいになって、宝石を探して いる最中だった。 「お帰り」おふくろが、顔だけをこちらへ向けて声を出した。 「あら、多田野君も一緒なの」 「ああ、探すの手伝ってくれるって」 「ごめんなさいね。大切な指輪もあるからね。なにしろ、お父さん のたった一つの贈り物なんだから」 「ははは、そりゃ大事だったな。おふくろ」 僕が答えると、多田は目だけで笑っている。 「ないですなあ。」と、人のよさそうな警官が申し訳なさそうに立 ちあがった。 「これだけ探して見つからないんだから、ここにはないのかもしれ ないなあ」 「でも、あのこそ泥が宝石を隠したとしたら、ここしかないですよ ね。だって、オヤジと出会ったのは予期せぬ出来事だったんだから。 その後、彼はすぐに身柄を拘束されてしまったわけだし」 自問自答するように僕はいった。…それにしても、このうちの玄 関、どこの家にもある普通の玄関である。四人の人間がここにこう して立っているだけで息苦しいほど狭い空間に過ぎない。 「ところで、お父さんはどこにいるんだ」と、ふいに多田野が僕に 尋ねた。 「ああ、警察で事情聴取を受けている。車で行ったからもう帰って くると思うけど」 「車で…。ふーん。お兄さんは聴取受けてないのか?」 「すぐ空手道場に練習に行ったよ。試合前だから今日は休めないっ て」 「ひょっとして、歩いて?」 「ああ、駅前の道場だからね。いつも20分ぐらいかけて歩いてい くよ」 「ああそうか、そういうことか。なら、大変だ。すぐ兄さんのとこ ろへ行こう。ぐずぐずできないぞ。とり返しのつかないことになる かもしれない」 「え」 どうもガテンがいかない。「何を慌てているんだ、多田野」 「何をって…空を見てみろ。今にも雨が降りそうじゃないか」 後の三人はただ訳がわからずに、ぼんやりしているだけである。 ぽろぽろ雨の雫が落ちてきた。 「やばいぞこりゃあ…」多田野は足を速めた。 まさか、兄が指輪を盗んだって事はないだろう?僕は、訳がわか らなくなって、ただ、多田野の後に続いた。 前からいかつい体をゆさぶりながら、兄がやって来ている。ちょ うど練習が終わって帰路の途中のはずだった。 「よかった。間に合った。」 「おうい、兄貴ーっ。」 「おお、どうしたんだ。」 雨脚が急に速くなってきた。多田野が叫んだ。 「いけない。その傘を開いては。その中に指輪があるはずなんだ。」 兄は驚いて、片手にぶら下げた傘を覗いた。その間に僕たちは彼 のそばに駆け寄った。 「ここしか考えられない。玄関から持ち出したものがあるといった ら傘しかないからね。お兄さん、急に開いたらどこに転がっていく かわからない。下に向けて、ゆっくり開いて…。ああ、あった。思 ったとおりだ。」 ちゃんと三つの指輪が入っている。兄は怪訝な顔をしているだけ である。考えてみれば、事件の後彼はすぐに家を出ていったから、 指輪探しの顛末などなんにも知らないのだ。 「玄関の傘立てにあった傘は全部閉じてバンドをしてあった。き っとこの傘だけはきっちりたたんでいなかったのだろう。こそ泥は、 あわててこの中に指輪を落としたんだ。」 それだけいうと、多田野はつまらなそうに僕を振り返った。 「簡単な消去法さ。それにしても君の持ってくる問題は、いつも事 件らしい事件とはいえないね。」 「そうか。じゃあ今度はもっと難しい問題を持ってくることにする よ。」 素直にありがとうと言えばよかったんだが、少しばかり癪にさわ っている。もっともこの後すぐに僕らは別の事件に出くわすことに なる。今度は殺人事件に首をつっこむことになるのだが、それはま た別の機会にお話することにしよう。