第6回3000字小説バトル
Entry6
八月もあと一週間足らずで終わり、それと同時に夏も終わる。働 き始めてもう十年になるがその感覚は今でも変わらない。小学校に 入学してから高校を出るまではいつも八月三十一日、夏休みの終わ りが夏の終わりだった。その癖が今でも抜けない。もう今では夏休 みなんて関係なくて季節感のない空調の効いたオフィスで働いてい るのに、なぜか、今でも、この季節は焦りを感じる。なにに対して かは今でも分からない。そしてときどき夏をもう少し遠くまで追い 掛けることが出来なかったあの日のことを思い出す。たぶんあの日 から僕の夏は季節に縛り付けられてしまった気がする。 高校二年の夏に家出をした。別にひどく学校の成績が悪かった訳 でもなければ、いじめられていた訳でもない。ただ学校は楽しくな かったし、学校に行かなくちゃいけない意味も見出せなかった。そ の頃の僕の心の奥底が本当は何を欲して僕を家出に駆り立てたのか はまだ分からない。でもとりあえずそういうのを理由にして僕は家 を出た。八月一週目の週末のことだった。 アルバイトでためたお金をポケットに詰め込みリュック片手に鈍 行を乗り継ぎ東京へ向かった。一日半かけてやっと東京に辿り着い た。しかし東京は素性の分からない十七歳の少年に何も与えてはく れなかった。具体的には居場所とそれを維持するための仕事。 僕は新宿の街の灯りの中を何を探しているか自分でも分からない まま彷徨い歩いた。ハンバーガーショップやファミレスに入っても コーヒー一杯で都会育ちの人たちのように上手く時間を潰せなくて、 熱いのを冷す振りをしながら少しでもゆっくり飲むけれど、それで も三十分もいられなかった。夜中におばさんに声をかけられた。補 導員だった。「あなた、もしかして家出とかじゃないの?」といき なり言われ次を聞く前に全力で走り去った。悔しかった。自分で稼 いだお金でここにいるのに家出と言われたのが妙に悔しかった。結 局その夜は神社に隠れて眠ることも出来なかった。見回りの警官が 近くを通るとトイレに隠れた。 次の朝も早くから街を彷徨い歩いた。まだ静かな街のウィンドウ に「超特価九千八百円」と書かれたテントがあった。財布の中身を 確認してから店が開くまではその店の周りを延々と散歩し続けた。 テントと同じく超特価のブランケットも買って、行き先不安にな る軽い財布を握りしめ電車に乗った。とりあえず海を目指して。も う、街の中には僕の居場所はないように思えた。 海岸での生活は気が楽だった。海水浴客の多い浜辺からは少し遠 い岩場に近い所にテントを張った。拾ってきた釣り竿で釣りをした り海藻をとってきたりした。他のキャンパー達に声をかけられても 「大学の夏休みで遊びに来てて」と簡単に答えられるようになった。 彼等は何かを探ろうとしている訳ではなく単純に話がしたいだけな のだ。やがて一緒に御飯を食べたり酒を飲んだりするようにさえな った。 御盆に差し掛かった頃に奇妙な同居人ができた。彼女は自分をア キと名乗り、釣りをしている僕の側に腰を下ろし「大学の休みで旅 をしてるんだけど今晩泊まるところがないの」と言ってきた。もう ちょっと歳をとっていたらナンパか何かとしか思わなかったかもし れない。でもそのときには、なぜだろう、僕は彼女が大学生なんか じゃなくて家出してきたのだと分かったし、たぶん彼女も僕が大学 生なんかじゃないことを分かって声をかけて来たのだということも 分かった。今では失ってしまった僕の中にあった何かが僕にそれを 教えてくれた。そうして僕は残りの夏を狭いテントでアキと二人肌 を摺り合わせて暮らすこととなった。 次の日から僕らは仕事を探して浜辺を歩いた。海の家に入っては 旅好きのカップルの振りをして「大学の休みの間に旅してるんです けど、お金なくなりそうで」と言って回った。仕事は街とは違って 呆気ないほど簡単に見付かった。その日から僕は暑い中で焼そばや カレーを作り、アキはそれらをビールと一緒にお客に持っていった。 「なんかこういうの楽しい」アキと僕は砂浜に小さなシートを広げ 二人で星を眺めていた。照れくさくて、でも嬉しくて、あんまり言 葉は出て来なかった。右手に持ったビールの缶が汗をかいて雫が指 を伝い砂の上へ落ちて行く。 「私ね、こういう生活が夢だったのかもしれないって、最近思う」 「うん」小さく頷く。顔に笑みが浮かぶ。でもそんな僕の顔を今ま でと微妙に違う秋の風が吹き抜けた気がした。アキはたぶん気がつ かなかったのだろう。微笑んでいた。 「たくさんじゃないけど自分達で働いてお金稼いで、広くないけど、 ってテントだけど、それでも自分達の家があって、時間もたくさん あって…」アキが僕の手を握る。「なんか生きてるって感じがしな い?」 「そうだね」きっとそれは僕が求めていたものでもある。なのにま た、秋の乾いた風が僕の皮膚を撫でていった気がした。 「生きてるよっ!」僕は振払うように大きな声でいうと彼女を抱き かかえて海へ走った。 「きゃっ、ちょっと、冷たい」 「なっ、ほら、生きてる証拠ってやつ?」 僕はそのまま彼女にキスをした。そしてその夜に初めてアキを抱 いた。海の中で、テントの中で。何度も。 認めたくはなかったことだけど夏の終わりはやってきた。それも 唐突に。 「この店も今年は明日の三十日で終わりだな、日曜だし。三十一日 には嘘のように人は来ねえだろうからな」店の旦那さんが言った。 「おめえらはいつまで休みなんだい?」とも。 一瞬。ほんの一瞬だけど僕らは黙り込んでしまった。もしかした ら、とも思ったけどルールを破る訳にはいかなかった。 「僕もそろそろ帰らなくちゃって思ってたんですよ。レポート一つ 残ってて」ちらりとアキを見た。 「私もそろそろ。私たち大学違うから本当は休みの間はずっと一緒 にいたいけど」と言ってアキはクスッと笑った。 僕らは本当に戻るつもりだったのだろうか?もう、思い出せない。 いずれにせよ夏が終わったあとまでも海岸のテントで生活する訳に はいかなかった。秋の風に背中を押された。 次の日、僕らは鈍行を乗り継いで西へ向かった。言葉少なく、た まに思い出したようにこの夏の思い出を話した。一度広島を過ぎた 辺りで僕はトイレに行こうと席を立った。混んでたから席へ戻ろう とした。そのとき連結部分の窓からアキが僕の財布を開けているの を見た。僕はドアを開けずに待った。アキは、まだ、帰りたくない のだ。それは、僕も同じかもしれない。だから行かせてあげたいと も思った。持っていけばいいとも。心の奥底ではアキに僕の分まで 行ってもらって自分は帰ることを受け入れている卑怯さを恥じた。 でも、やっぱり僕はドアを開けられなかった。アキは結局そのまま 僕の財布を戻した。 乗り換えの駅で僕は下りた。そこから僕は家まで北上する。一時 間くらいで着く距離だ。もう辺りは暗かったけど明日の学校の準備 くらいはできるだろう。 「本当に、いっちゃうんだね」 「うん」 アキも電車を下りなかった。 うまく言葉が出なくて、そのまま閉まるドアが二人を分けた。夏 が行ってしまった。夏の記憶はもう秋の風に時折混じって鼻先を掠 める微かな夏の風がだけになってしまった。 残り香だけを残して行ってしまった夏の行方を僕はもう見ること が出来ない。あのときドアを開けていたら、夏はまだ続いたであろ うか?いまでは、もう、分からない。