インディーズバトルマガジン QBOOKS

第6回3000字小説バトル
Entry9

天使の薬は

作者 : 厚篠孝介 [あつしの こうすけ]
Website :
文字数 : 2999
2481年5月1日

 この度「エンジェルの製造禁止を求める会」の設立に当たって、
会報を発行することになり、不遜ながら私が筆を執る事になった。
勿論、読者諸君が「エンジェル」の存在を知らないはずが無いが、
ここでは改めて「エンジェル」が開発された経緯とそれがもたらし
た弊害について、確認の意味を含めて述べたいと思う。エンジェル
の製造を続けるべきだと思う方も、これを読んでいただき、我々が
置かれた厳しい現実を見つめて頂きたいと思う。


 体の複雑な構造、進化する病原菌、医学という概念が生れて以来、
人類はこれらと戦い続けてきた。どんな病気をも治療する薬を作る
こと。それは人類にとって積年の願いであり、夢でもあった。

 けれど飛行、高速移動、遠隔会話、あらゆる夢を叶えてきた人類
が、これを夢とのままで終わらせるはずが無かった。

 あらゆる病気を治癒する万能の薬ができたのは21世紀も終わる
頃のことである。

    南米の北部、ベネズエラにギアナ高地という人跡を寄せつけない
高原があるが、ここで茶の一種と見られる薬草が発見された。

 この薬草を発見した科学者はこの植物の葉を食べる昆虫が、10
年以上生きることに着目し、この薬草に長寿の秘密があるのではな
いかと考え研究に乗り出した。この薬草を鼠に食べさせた結果、鼠
は8年以上生きた。これによりこの薬草には自然治癒と免疫力を高
める効果があることがわかった。彼は人間から病の苦しみを取り除
こうと、研究に没頭した。

 「エンジェル」という万能の薬が作られたのはそれから間もない
ことである。

 この薬により、人間の寿命は大幅に長くなった。人ばかりでなく、
犬や猫、おおよそ全ての動物に効果がある。

 ただ、この薬を持ってしても、治せないものが3つある。一つは
先天的な遺伝子の異常による病気、栄養失調や高齢による衰弱、そ
して自殺。この三種類以外は「エンジェル」をもってしても治せな
い。しかし逆を言えば、この三種類を除けば、どの人間も寿命をま
っとうできるようになったのである。

 この薬は爆発的に普及し、人間の平均寿命は実に30歳以上伸び、
100歳をゆうに越えた。医学研究は精神医学と遺伝子治療に力が
注がれ、これを起因とする病気もしばらくして駆逐された。

 今まで莫大な資金が投じられてきた医学研究費は主に経済成長に
使われるようになり、23世紀の半ばには地球上に貧困国というの
は無くなった。誰もが充分な栄養を摂取し、高度な医療を受けて長
寿を手にした。

 しかし、人類が幸せな時間を享受できたのは、ほんの短い時間で
しか無かった。

 この薬が作られた当初から、あることを危惧する学者は多かった。
各国政府もこれに答え、「エンジェル」の製造を規制した。

 その危惧とは人口爆発である。死ぬ人間は減ったが、生れる人間
はほとんど減らなかった。

 その頃の人々は生命の原則を忘れていた。人が繁殖するのには快
楽が伴う。性交による肉体的な悦び、恋愛という一種の娯楽、もし
も繁殖活動が苦痛のみであったら、だれも子を産みたいとは思わず、
少なくとも人間は絶滅したに違いない。死には「恐怖」と「痛み」
が伴う。それが無かったら人は些細なことで自殺してしまう。やは
り人間は絶滅しただろう。

 一方的に「死」という恐怖を遠ざけた結果、この原則が狂った。

 前述したように各国政府はエンジェルの製造を規制した。一国に
つき年間製造限度量を五万錠までとしたのだ。

 しかし、この政策は5年ともたなかった。

 例えば貴方が「エンジェル」以外に治癒できない病にかかったと
する。癌や脳卒中、細菌感染、一年間のうちで病気になる人間はど
れくらいだろうか?とてもまかないきれる人数ではない。するとど
んな事が起きるか?同じ病気で寝ている隣の患者はエンジェルを得
られ、貴方は得られない。という不公平が起きたのである。

 薬を得られなかった貴方の脳裏に「病死」というものが現実味を
帯びて迫ってくる。貴方は必ず叫ぶだろう「エンジェルをくれ」と、
事実そうであった。

 人間が長い時間をかけて作り上げた憲法にはこんな素晴らしい一
文がある。

 

すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する

 

一方がエンジェルを投与されて健康な身体を得たのに、貴方はエン
ジェルが手に入らないばかりに死を待つ。これは明らかな憲法違反
であった。あちこちでエンジェルの製造自由化を求める運動が起き
た。このままでは人口爆発が進んで大変なことになる。もちろんそ
れは分かっている。しかし回避可能な「死」を直前にして、そんな
ことが言えるのだろうか。

 化学の進歩が倫理や法を追い越し、浸食した瞬間だった。

 各国政府は全面的なエンジェル製造禁止に踏み切った。しかしこ
れも無為に終わった。「知らない方が幸せなこと」がこの世には存
在する。一度知ってしまった物を忘れるのは難しい。エンジェルの
密造が相次いだのだ。かつて我々の子孫が氷河期を乗り切ったよう
に、人の「生きたい」欲望はあらゆる困難をもろともしない。

 人口爆発は続いた。食糧難が進み、再び飢餓に苦しむ時代がやっ
てきた。激しい経済活動は環境破壊を進め、さらに食糧難が進む。
まったくの悪循環だった。

 八方ふさがり、とはまさにこの事だった。ついにあの憲法に新し
い一文が添えられた。

 

すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

しかし、それが地球規模の破壊につながるような場合は、この限り
ではない。

 

もしもこの文を20世紀の人々が見たら「なんて嫌な文だ」と不快
を露にしただろう。

 しかし人類はこの一文を認めざるを得ないほど追い詰められてい
た。

 ではこの一文を書き加えた事によって政府がしたこととは何だろ
うか。恐らく人類史上最悪の法律であろう「国際人工淘汰法」の施
行である。

 自然にまかせた人口統制が困難である以上、人為的に人口を抑制
するより他に無かった。

 まず、250億にまで増えた人口を半分の125億にまで減らす
ために、コンピュータによって無作為に選ばれた人間を、安楽死と
いう方法によって減らした。言わば虐殺したのである。選ばれた人
間に拒否権は無く、この法案を提起した政治家も選ばれ「これは世
界のための喜べき死だ」と言った事は有名である。「大淘汰年」と
呼ばれるこの年もすでに百年以上前の出来事で、この年を体験した
人間はほとんどいないが、一年のうちに友人知人、親兄弟の二人に
一人が消えてしまうことを想像して欲しい。例えば貴方と恋人、こ
のうちのどちらかは消える。父親と母親、これのどちらかが消える。
その時の人類はどれほどの恐怖を味わったのか。

 そしてこの法律は今でも生きている。年間五十万に及ぶ人間が
「自然を守る」という理由で公然と淘汰されている。いつの間にか、
私達は友人が突然消えてしまうことに何の悲しみも疑いも感じなく
なってしまった。

 確かに私達の世界は平穏だ。何の前触れも無く、明日届くかもし
れない通知を恐れながら見かけの平穏に満足している。

 私はエンジェルの開発者が悪いとは言わない。結局、人間の欲望
を叶えることばかりを求めすぎた人間が悪かったのだ。

    我々は苦慮の末にやっと画期的な方法を思いつく事が出来た。こ
の方法は確かに手荒い。反対が起こることも分かっている。けれど、
私達は耐えねばならない。

    これが触れる必要のないものに触れてしまった罰だと思って…