第7回3000字小説バトル
Entry6
五反田、JRガード下。 夕陽が沈みかけた頃から、白いフェアレディZはそこで静かに相棒 の帰りを待っている。 すでに空間は、月明りとネオンの中。 白いフェアレディの前を、横を、欲望の微風が流れてゆく。 「あ〜あ!ついてねーや今日は」 騒音の扉を開けて西崎は出てきた。 無精に伸びた髪形が、車のライトでオレンジ色に染まる。 櫻田通りガード下、白いフェアレディに乗り込んだ。 深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出しながらふと、何か新しい予 感を感じていた。 相棒の機嫌を伺う様に軽くアクセルを踏み込むと、Zは待ちくたび れた様に勢いよく吹き上がる、低く重いアイドリング。 「そろそろ、加奈の所に行くとしますか」 誰に言うでもなくウインカーを上げた。 白いフェアレディは、あふれる欲望の闇を切り裂いて、櫻田通りを 南へ向かった。 東の空に、黄色く光る月が、眩しいぐらいの夜だった。 薄い鉄骨階段を一つ飛ばしに駆け上がる。 安っぽい音が甲高く、暗い街灯の下、静かに響いた。 ピンポン。 「誰ですか?」 ドアスコープをそっと覗くと、西崎が身体を上下に小刻みに動かし ながら立っていた。 「あっ!お兄ちゃん!」 ロックを外し、加奈はドアを開けた。 「早かったね、どうぞ!」 タオルで髪をふきながら冷蔵庫を覗き込む。 「あがるぞ」 小さな玄関、少しくたびれたスニーカーが狭い玄関に転がった。 「お兄ちゃんも飲む?」 加奈は缶ビールを取り出して西崎へ渡すと、ソファーに腰掛けドラ イヤーで髪を梳いた。 「今日は、何か用でもあるのか?」 缶ビールのリングをカチッと開け、口に持っていきながら部屋の中 を無意識に見回した。 薄いピンク色のカーテンが、少し開けた窓の微風で揺れている。 静かに流れる音楽。今、流行りのモノなのか西崎は知らない。 くしゃくしゃのセブンを取出し、少し曲がった一本に火を付けた。 「今日母さんから電話があって、今度の土曜日にお兄ちゃんと一緒 に帰ってきなさいって……」 加奈は缶ビールを軽く一口飲んで、カーペットの上に座り直した。 「どうしてだ?」 ぶら下がった照明をぼんやり見つめ、フーっと煙を吐く。 「わかんないよ、それよりお兄ちゃん!タバコ吸ってもいいけど、 灰皿は無いからね!」 西崎は周りを見渡し、しょうがねーなと言う顔つきで窓際に腰掛け 「電話で言えばいいのに、どうして呼んだんだ?」 「だって母さんたら、それ以外なんにも言わないんだもん……」 加奈は、俺には関係ないって顔をする西崎を見つめ、 「お兄ちゃん心配にならないの?!あの母さんが、それだけしか言 わないんだよ!いつもだったら、加奈〜元気〜って言ってくるのに 今日はいきなり、帰ってきな!だけだよ。心配するでしょ?」 卓袱台に両手をのせて、加奈は再度、西崎の瞳を見た。 真剣な瞳をしているの加奈を、初めて見たような気がした。 「そんなに、心配しなくても大丈夫だって!土曜日に帰りゃわかん だからさ。」 西崎は、少し優しい口調で言と、 「そうなんだけど……でもなんか変だったの!みょうに他所々し いって言うか……とにかくホント普通じゃなたったの!それで…… いいじゃない!可愛い妹なんだから、たまにはお兄ちゃんしてよ!」 プーっと頬を膨らまし、口先がとんがっている。 「わかったよ、おまえ本気で心配してるんだな。今度の土曜日に必 ず迎えに来るから、それじゃあ俺帰るぞ。」 「も、もう帰るの?」 吸っていたセブンを缶の中に入れると、立ち上がって、 「おまえ幾つだったっけ?その顔ホント子供だな〜。土曜日の6時 に来るから、いい子にしてなちゃい!」 「むかつく〜っ!二十歳だよ!」 玄関に向かう後ろ姿に、ベ〜ッとして、加奈は言った。 でもその顔は、少し淋しそうな瞳が大きく輝いている。 一人残された加奈は、ソファーにもたれ膝を抱えながら、不安定な 空間に身体を丸めた。 窓から、少し寒くなってきた夜風といっしょに、西崎のZのエンジ ン音が低く響く。 そっと遠ざかるその音を加奈は静かに聞きながら、心とは裏腹に、 「お兄ちゃんのバカ……」と小さく呟いた。 西崎はフェアレディを走らせながら、加奈の表情を思い浮かべる。 「あいつ変わんねーな……」 そう呟きながら、子供の頃を思い浮かべていた。 西崎が小学校へ上がる前に、父は交通事故で死んでしまい 母は一人で西崎と加奈を、女の細腕で育てていた。 西崎は、小さいながらにそんな母を手伝って、よく妹の加奈の面倒 を見てやった。 ……ある日、いつもの様に小学校の帰りに、お寺の幼稚園に迎えに 行くと、鳩に囲まれて泣いている妹を見つけた。 兄が走りよると、鳩はバタバタと一斉に飛び立って、大きな銀杏の 木に止まった。 「大丈夫か加奈?怖かったのか?」 妹は声を引きつらせながら 「あ・あのね・加奈・ね・お絵描きをね・してたの・ね……」 「もう大丈夫だ!ハトはあっちに飛んでった!でもハトは悪い鳥 じゃないんだ、ハトはいい鳥なんだって!母ちゃんが言ってたも ん」 「ほ・ほんと?」 顔を上げた妹の泣きべそを、グシャグシャのハンカチで優しくふい てやると、その時兄の頭にポトン! と何かが落ちてきた。 見上げると、細い枝の上から一羽の鳩が二人をキョトンと見ている 「う、うわ〜っ、ウンチしたな〜こいつ!」 顔全体をヒョットコの様にひん曲げ飛び跳ねる。 その兄の慌て様と、ハトの白々しさに、妹は何だか可笑しくなって 半分泣きながらクククッと笑った。 兄もそんな自分の姿と、妹の笑いにつられ、なんだか可笑しくなっ て笑った……二人で思いっ切り笑っていた…… 土曜日の夕方。 西崎は約束通り、加奈を迎えに行って、長野の実家へと向かった。 高速道路も、思ったほど混雑はしていない。 今夜も月が眩しく光っていた。 その月を見ながら加奈がぽつんと言う。 「お兄ちゃん、鳩のこと覚えてる?」 「何だ?いきなり。鳩って」 西崎は丁度先日、思い出したばっかりの事をふいに聞かれたので、 少しびっくりした顔をした。 「ほら、幼稚園に迎えに来てくれたとき、頭に鳩の糞を落っことさ れたじゃない!」 「お、覚えてね〜な……」 「そうなの?もう覚えてないんだ!わたしはよく覚えてるよ。お兄 ちゃんは、鳩にいじめられていたわたしを、鳩っていい鳥なんだよ って言って慰めてくれてたのに、鳩の方はそんなの知らんぷりっ て感じで、お兄ちゃんに糞を落っことしたんだよ!」 加奈は、楽しそうに微笑みながら、西崎の横顔に言った。 西崎は、「ふう〜ん?」と言って表情を読まれない様にセブンに火 をつけた。 少し開けたウインドから青白い煙と、ちょっとした恥ずかしさが、 ゆっくりと逃げてゆく。 静かだなあと、隣の加奈を見る。 安らかな寝息を立てて眠っていた。 「ホントにいつまでたっても子供だな」 西崎は優しい瞳で呟いた。 二人を乗せたフェアレディは、夜の月明りを、白いボディいっぱい にうけて、家への道程を進んでゆく。 懐かしい景色が、月明りに照らされて、ほんのりと浮かび上がる。 お寺の大きな銀杏の影が見えてきた、二人の家も近い。 西崎には分かっていた。 おふくろが今度結婚するって、言い出す事を。 そして西崎は思っていた。 二人からやっと手が離れる様になったんだ、おふくろにも新しい人 生を歩いてもらいたい……。 加奈のことは、今まで通り自分が親父の代りとして、見守ってやれ ばいい……。 月の光にほのかに照らさる加奈の寝顔。 あの鳩の夢でも見ている様に、幸せそうに、うっすらと優しく微笑 んでいる。