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第8回3000字小説バトル
Entry10

残酷な仕打ち

作者 : スズキ
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文字数 : 2789
 かつて俺は、女を轢き殺しかけたことがある。
 こじれていた別れ話になんとかけりをつけ、一刻も早く、かわいい
美樹とやりたさに、弾んだ気分の勢いのまま、俺は駐車場から、愛車
を素早く発進させた。
 道路に出ると突然、女が車の前に飛び出てきた。女はボンネットに
跳ね返り、車のすぐわきに転がった。
 駆け寄った俺に、女は涙も流さず、ひとことの言葉もなく、ただ、
薄紙のように蒼白な顔をして、悲しげな目で俺を見上げた。女は、奇
跡的とも言えるほどの軽症だった。
 だが、命を賭けたその姿は、美樹の見事な肢体をぶっ飛ばし、俺は、
そのこじれた女と、八歳も年上の華代と結婚した。
 二ヶ月の間はやりまくり、またたくまに過ぎていった。だが、正確
に言えば298日前に、わずか一年の俺との暮しに疲れ果て、華代は家
を出て行った。
 やはり、涙も流さず、ひとことの言葉もなく、ただ、青鬼のような
顔をして、軽蔑の暗い光で射るように、俺を睨みつけて出て行った。
 俺は念願かない、手拍子もので喜んだ。 
 多少、腹の肉はゆるんでいたが、俺は、華代の肉壁が好きだった。
が、俺は最初の二ヶ月を除き、華代を抱くのをあっさりやめた。いや、
正直に話そう。最後の日から半月後に、一度だけ、最高のセックスを
したことがある。それが、正真正銘の最後の最後になった。
 それ以来、代りに、俺はあいつの横で見せつけるように、一人でや
った。
 わけかい?一つだけさ。華代が自分から出て行くように仕向けたの
さ。
 暮していたのは、俺のマンションだった。
 今度は、部屋で別れ話をしても、俺の車の前には飛び出せない。だ
が、ベランダから飛び降りるのを見るのはごめんだ。
 俺の心が変わったのは、三ヶ月目のことだった。
 俺がインフルエンザをこじらせて、肺炎になりかかったとき、あい
つは不眠不休の看病をしてくれた。その前も、それ以後も、華代は変
わらず、やさしかった。
 だが、あいつがあまりにやさしくて、俺に尽くせば尽くすほど、俺
は華代がうとましくなった。
 

 それからまもなく、俺はぶらりとロスにやって来た。連れの住むア
パートにもぐりこみ、以降、不法滞在を続けている。
 三ヶ月前、連れの哲に女ができた。だが、哲は男の友情に無条件に
厚い。俺はそれまで通り、やつらの寝室のすぐそばの、カウチをベッ
ド代わりにして、一緒になんとか暮している。
 哲が一年前にロスにやって来たわけ、それはしごく簡単だ。
 スラリとした長身に端正な顔立ちの哲には、言い寄る女はいくらで
もいた。
 だが、誰ひとり、哲の仕打ちに耐え得る女はいなかった。仕打ちと
言ったが、それはやつの精神の問題ではない。
 やつは女に親切だ。ベッドでのマナーも心得て、前戯にたっぷり時
間をかける。
 そこまでは上等だ。俺が女なら、やつにまちがいなく惚れる。
 だが、いざ合体となると、やつの物は猛り狂い、直後に女は決まっ
て凄まじい悲鳴を上げ、必ずその場で別れを告げる。
 従って、やつはロスに来るまで、一度も女の中で果てたことがなか
った。
 やつにとって最大の悲劇ではあるが、はたから見れば、巨大なキノ
コが織り成す上物のコメディーだ。中には、物を目にしただけで恐れ
をなし、即刻バイバイする女もいた。
 何十人もの女に去られ、哲は、息をする気力すら失い、三十歳を区
切りとして、一大決心をした。
 めでたく貫通を目指し、大きな女を求めてロスに渡り、試行錯誤の
末に、ピッタリサイズの女を見つけ、哲は自信を身につけた。
 俺は毎晩のように、薄い壁を突き破り轟き渡る、やつらの激しいう
めきを、獣じみた咆え声を、いやというほど聞かされて、慢性の不眠
症に陥った。
  

 たまりかねた俺は、今朝、最高にうんざりした表情を作って言った。
 「おまえ、いいかげんに、ゆっくり寝させてくれよ。皿洗いの仕事
でも、睡眠不足はこたえるぜ」
 「ただで聞かせてやってるんだから、早く彼女を見つけろよ」
 「その気になったら、見つけるさ」俺は、気のない返事をした。
 「おまえ、まさか、まだオバサンに未練があるわけじゃないだろう
な」
 俺は、この上なく冷静に言った。「惚れた腫れたと言ってはみても、
しょせんは、肉キノコと芽の出た肉壁が、快楽を求めてさ迷ってるだけ
さ。若くていい女はいくらでもいる。華代に未練なんかあるわけないよ」
 

 「やあ、ジョージ。調子はどうだい?」
 俺はホームレスのジョージに声をかけた。これがレストランのゴミ捨
て場をあさる、やつとの唯一の交流だ。
 「まあまあってとこだな。そっちはどうだい?」
 「あいかわらずさ」と、いつも通りに俺は答えた。
 だが、今朝がた哲に吐き出せなかった言葉が、咽元につっかえて、嗅
ぎ慣れたはずのゴミとジョージの悪臭が、やけに鼻腔を刺激した。
 裏口から店に入り、厨房に漂う肉混じりの臭いを嗅いだとたん、俺は
突然、凄まじい吐き気に襲われた。
 トイレに駆け込み、俺は、“未練”を何度も、ゲロに変えた。
 

 「哲、世話になったな。日本に帰ることに決めたよ」
 その夜俺は、やつらの狂宴と、おさらばすることに決めた。
 「おまえには、日本の女のほうがいいかもな」哲は気軽な口調で言っ
た。
 やつは、俺の深刻な悩みなど、これっぽっちも知りはしない。
 肉の交渉が皆無になった十ヶ月近くもの間、華代は俺の仕打ちに耐え
ていた。俺は一分、いや一秒でも早く、あいつが出て行くことを望んで
いた。
 そのはず、だった。
 だが、俺はあいつが見せた、二ヶ月の笑顔が好きだった。俺の病気が
治ったとき、あいつは最高の笑顔を見せた。あの夜の俺たちのセックス
は、しっかり気持ちの入った、メーキング・ラブだった。
 俺は、あいつの作る、ありきたりのギョーザも、カレーもハンバーグ
も好きだった。出て行ったあと、俺はありふれた物が無性に恋しくなっ
た。
 俺は思った――がらにもなく、メーキング・ラブなどしたのがまちが
いだった。
 果てたあとの虚しさは、至福の時をはるかに上回り、俺は、華代を失
った。
 だが、凡庸なるものを拒絶していた俺には、その事実は承服しがたい
悪夢だった。だから、俺は、こそこそロスに逃げて来た。
 

 俺が日本に帰るわけは、明快すぎるほど単純だ。
 俺は華代と同じ空気が吸いたくなった。
 おそらく華代にはもう、二度と会えないだろう。だから俺は、あいつ
と同じ空気を吸って、思いっきり後悔を吐き出すつもりだ。
 そうしなければ、俺は自信を取り戻せない。
 どうしてか、ってかい?哲と全く反対の理由で、同じことが起きたの
さ。
 いざとなると、華代の青ざめた寂しげな顔が、抱いてる女とすりかわ
るんだ。目を閉じてトライもしたが、瞼の裏側に現れる。とたんに俺の
肉キノコは縮み上がって、果てる前にさよならさ。
 残酷な仕打ちのしっぺ返しを、俺はもろに受けて、心まで縮み上がっ
ちまった。
 だが、そんな俺の悩みなど、ちっぽけすぎてあほらしい、と言わんば
かりの素知らぬ顔で、今夜も、ダウンタウンはきらびやかに彩られ、ま
        ばゆい輝きを放っている。