第8回3000字小説バトル
Entry12
9時か・・ かれこれ半日眠っていたことになる。どうやら眠りすぎたようで、 頭の芯が疼く。俺は痛むこめかみを揉みほぐしながら、昨夜の夢を 思い出そうとした。 快晴の春の午後、俺はドライブをしている。 右一面は海、左脇には色とりどりの花が地面を覆い尽している。そ の中を深いワインレッドの車体が静かに滑ってゆく。しばらく進ん だところで左に進路を変える。すると車は、突然ふわっと浮き、緩 やかに進みながら高度を上げる。振り返ると今まで通ってきた道が 一望できた。眼下は見渡すかぎりの花畑である。川を過ぎると上空 に小さな光が現れた。瞬間、車は急加速し、まっしぐらに光源に向 かってゆく。その核は輝度を増し、やがて巨大な塊となり俺はあま りの眩しさに目を閉じた。 バイクツーリングの帰り、高速を出て幹線道路に入るといきなり 大渋滞である。信号が赤に変わるまでに10メートル程をじりじり と進むだけだ。日曜の夕方の混み具合ではない。おそらく事故かな にかだろう。 道の脇を原付バイクが次々に通り過ぎる。これをやら れると、さらにイライラがつのる。渋滞が我慢ならないので、わざ わざ車を手放してまで500ccのバイクに乗り換えたのだが、こ こまでの渋滞になるとお手上げだ。今度は原付バイクにでもするか。 気持ちを静めるつもりで、国道沿いに並ぶ看板をぼんやりと眺め てみる。大資本のチェーン店やガソリンスタンドの間に、いかにも 安普請の貧相な中古車センターが建っていた。張り巡らされた菱形 金網の中にプレハブの事務所と、車を4〜5台並べただけの、なん ともお気楽な造りである。こんな店、前からあったっけ ? しかし 次の一瞬、目がくぎ付けになった。まばらに散った展示車の中にあ の車を発見したのだ。この時まで昨夜の夢のことなど、すっかり忘 れていたが、きっかけを与えられて鮮やかに蘇った。 店の駐車スペースにバイクを停め、車に近づいた。実物のほうが 一層、魅惑的な色だ。黒をベースに数種の赤を重ね塗りしたような、 あえて近い色となるとボルドーだが、どこか微妙に違う。とにかく 今までに見たことのないワインレッドである。なんとなくブリキの おもちゃを連想させる丸みをおびた不器用なデザインと、やたらと 輝く金属製バンパーも新鮮だ。 「コレ、いい車でしょう。きのう入って来たばかりなんですよ」 熱心に見ている俺の様子を見て店員が声をかけてきた。小太りで、 笑うと浅黒い顔に深いしわが浮き出た。人のよさそうな男ではある が、太極拳の達人が素人目にはスキだらけに映るように、えてして、 こんな男ほど油断がならないものだ。信楽焼のタヌキのようなこの 体型も、あえて客を安心させるために意図的に造られたものかも知 れない。・・・そんな訳ないか。 俺は値段を確かめるためにプライスカードを探したが、どこにもな い。すでに気持ちは決まっていても、まだ半分以上残っているバイ クのローンのことを考えれば、一円でも安く買いたい。俺は気持ち を悟られないように淡々と訊いた。 「一応、値段だけでも聞いておこうと思うんだけど」 男は、せまい額と髪の生え際にうっすらと汗を滲ませながら、盛 んに、これが買得車であることを強調した。そして走行メータが故 障していること、傷んでいる後部バンパーは交換して納車すること 等、問題点も説明した。最後に男が示した値段は驚くほど安かった。 良心的な店に思えたが、念のため俺はボンネット内とサイドブレー キを調べた。どちらも中古車を購入する際の大切なポイントだ。ボ ンネット内の塗料と車体が別の色だったりすると、大きな事故での 全塗装を疑う必要がある。また走行距離を偽って販売する場合もあ るので、サイドブレーキの効き具合などで実走距離の見当をつける のだ。結果、ボンネット内に事故の痕は窺えなかったし、サイドも 鋼ワイヤーが締まるときのギリッという歯切れのいい音がした。合 格である。俺は購入する旨を告げ、勧めにしたがって男のあとにつ いて行き事務所で手続きを済ませた。 納車当日、下取りに出すバイクで中古車センターに乗りつけると、 そのエンジン音に気づいて男が駆け寄ってきた。 「後ろのバンパーは新品に換えておきましたから」 男は“新品”を発音で強調しながら車の後ろに回り込み、確認を 求めるようにバンパーを指さした。俺はバイクと引き換えに書類と キーを受け取って運転席に乗り込んだ。はじめて乗った車とはとて も思えないほど、シートやステアリングはしっとりと吸いついた。 店をあとにする時ルームミラーを見ると、男はいつまでも頭を下 げていた。その頭頂部は透けていて、褐色の地肌が西日を鈍く反射 した。走り始めるとこの車の問題点もはっきり分った。男の言って いた通り、走行メーターは動く気配がない。一桁目がまわり始めて 8が半分ほど覗いたところで戻ってしまう。おそらく壊れたオルゴ ールのような事になっているのだろう。俺は男が送り出す時に言っ たセリフを思い起こした。 『偶然にしても777で走行メーターが壊れているなんて、縁起が いいですよね。 それじゃいってらっしゃい、ラッキースタート』 気の向くままに走らせていると、ずいぶん遠くの町まで来てしま った。俺はなにげなく腕時計を見て一瞬、目を疑った。深夜の11 時になっているじゃないか、たしか、あの店を出たのが6時前後の はずだから、かれこれ5時間も走ったことになる。まあ腹の減り具 合から考えると、それぐらいの時間が経っていてもおかしくはない か。そんな事を考えていると、ちょうどいいタイミングで左手にフ ァミリーレストランが見えた。俺はハンドルを切り、薄暗い地下の 駐車場へつづく急角度のスロープを下った。 支払いを済ませた俺は少し気分がよい。ファミレスは無難な味な らよし、と思っていたせいもあろうが、この店はいい意味で期待を 裏切ってくれた。千円札でお釣りがくるステーキセットとはとても 思えないボリューム、肉の味、焼きかげん、いずれも満足のゆくも のだ。 たまたま飛び込んだ店が大当たりだなんて。思わぬ掘り出し 物を見つけてしまった。 ひょっとしてスリーセブンのご利益かもし れない。さあ帰ろう、今日も気持ちよく眠れそうだ。 帰りの地下駐車場のスロープを昇る途中で疑問を感じて車を止め た。上体をねじり窓から後ろをみる。暗い駐車場のコンクリートに 反射する赤い灯がアンバランスだ。俺は車がすべり落ちないように サイドブレーキをしっかり引き、後ろに回った。やはり左側のテー ルランプがきれている。しかたがない、あしたもう一度あの店に行 こう。確認を終えて運転席に戻ろうとした時、車体の底あたりから 何かが滴り落ちて、俺の足もとに流れ落ちてきた。暗くて液体の種 類は判らないが、粘り気の強いもののように思える。オイルでも漏 れているのかもしれない。どこから漏れているのか、この際たしか めておくか。そう思って俺が膝をつき覗き込むのと同時に、がらん とした地下駐車場の中にギリッという乾いた音が響いた。 学生風の青年が熱心に覗き込んでいるのを見て、男は話しかけた。 「コレ、いい車でしょう。きのう入って来たばかりなんですよ。バ ンパーはへこんでますけど、納車までに新しいのと取り替えておき ますので。あ、その走行メーターは故障して止まったままなんです よ。それにしても惜しいなぁ、778だなんて」