第8回3000字小説バトル
Entry14
僕を初めて気を失うくらい激しく殴ったのは、僕をいじめと、そ して自殺から救ってくれた輝彦君だった。 僕は当時中学校でひどくいじめられていた。きっかけはすごく些 細なことで、入学式の日におじいちゃんとおばあちゃんから貰った 入学祝いを嬉しくて封筒のまんま財布に入れているのをクラスの神 崎君とその取り巻きに見られた。「お前金持ちやの」そう言って同 じ場所に立っているのに十五センチも上から見下ろされる視線で睨 まれ僕は動けなくなった。動けない僕の周りを取り巻き達が囲んだ。 その夜は大好きなおじいちゃんとおばあちゃんから貰った入学祝い のほとんどをあげてしまったのが悔しくて枕を殴りつけながら泣い た。 でも悔しさは次の日からみるみる萎縮していき豆粒ほども残らな かった。代わりに恐怖が僕を塗りつぶしていった。僕が彼等の要求 を断ると彼等は僕に暴力を振るった。最初に取り巻き達が僕の足を 肩を腹をそして顔を殴る蹴るして最後にいつも神崎君が刑事ドラマ であるみたいに腕を捻り上げた。 いじめはどんどんきつくなり、秋の終る頃には月に五万円くらい 取られた。その頃はどうしようもなくなってお父さんの財布からお 金を抜き取った。悔しかったけど殴られる度に恐怖がそれを忘れさ せた。輝彦君が転校してきたのはその頃だった。 輝彦君は中途半端な時期に転校してきたせいもあるだろうけどそ の容貌でなかなかクラスに馴染めなかった。すごく不細工という訳 ではない。むしろかっこいい。体つきもがっしりしてて背も高かっ た。ただ右腕の肘から先がなかった。噂で前の学校で野球部の練習 の帰りに交通事故にあって腕をなくしたという。 輝彦君の席は僕の隣になった。偶然か必然か、僕の隣の席が開い てたからだ。いじめの続く生活の中で新しい友達が出来そうな予感 に僕は喜び勇んで「よろしく」といって、思わず右手を差し出して しまった。謝る僕に輝彦君は「気にせんでええで」と笑いかけてく れたけど、なんか気まずくなってしまった。 もういじめはお金と暴力だけではなくなっていた。デパートで万 引きをさせられた。学校ではトイレで正座させられたり、昼休みじ ゅう椅子に縛り付けられたりした。でも誰にも相談できなかった。 先生はいじめを知ってて見て見ぬ振りを続けていたし、家族には、 とても言えなかった。僕は家では元気で強い男の子だった。耐える しかなかった。誰かに言ったら幸せな僕が住む世界までもが壊れて しまう気がした。 ある日の昼休みにみんなのまえで服を全部脱がされて箒でチンコ をつつかれ勃起させられた。服を全部脱げと言われたとき僕は首を 横に振った。いくら何でも許せなかった。なのに彼等の手が僕にの びてくると蛇に睨まれたカエルみたいに動けなくなってなすがまま 服を脱がされた。取り巻き達が僕の手足を押さえ付け神崎君がやわ らかい箒で僕のをいじった。男の子も女の子もクラスのみんなが僕 を嘲り笑うような哀れむような目で見ているのに気が付き涙が出て きた。そのとき輝彦君だけがただグラウンドを眺めて僕の方を一度 も見なかったのを憶えている。うまく言えないけど、たぶん嬉しか った。神崎君は箒の次には黒板消しで僕のをいじり始めた。背中を 電流が走る。僕は顔を背け目をかたくつむった。でも涙が流れた。 悔しくて、悔しくて。そして…。そして、その夜、遺書を書いた。 次の日の放課後に学校の裏のゴミ焼却場に呼び出されてお金を要 求された。僕はお金の代わりに遺書を渡して「もう死んでやる」と 言った。でも神崎君は「いつからそんな勇気できたッちゅーねん。 それにや、遺書わしに渡してどうすっちゅーねん」と言って笑い飛 ばした。遺書の中に彼等の名前と呪ってやると書いたときのかりそ めの勇気は情けないほどあっさり恐怖に塗りつぶされた。今、この ときが死ぬよりずっと恐かった。膝ががくがくした。「あほや、こ いつ。おい、いてまえ」神崎君のその合図で取り巻き達が僕を殴り 始めた。そのとき視界の端に一つの人影が見えた。先生かと思って 期待したけど違った。輝彦君だった。輝彦君は何も言わずつかつか と近づいてきて、なんだなんだ、という感じで輝彦君にガンを飛ば していた取り巻き達の一人のみぞおちをものすごい勢いで蹴り抜い た。体が一瞬浮いて地面に落ちたときには口から泡を吹いていた。 呆気に取られているうちに取り巻きの残りの二人も地面に倒れた。 立ちすくんで「なんや、おま…」といいかけた神崎君の顎を左の剛 腕が打ち抜いた。輝彦君は白目を剥いて倒れる神崎君の手から遺書 を取ると焼却炉にそれを投げ入れ僕の方を向くと、最後に助かった 安堵感と彼等がやっつけられた爽快感で微笑んでいた僕の顔面を、 思いっきり、たぶん一番強く、殴りつけた。 気が着くと僕はグラウンドのはしっこにある枯れて茶色になった 芝生の上にいた。輝彦君が側に座っていた。輝彦君はちらっと僕を みたけどそれっきり野球部の練習を眺めるだけで何も言わなかった。 僕には聞きたいことがたくさんあった。でも嬉しさやら腹立たしさ やらがもう訳が分からなくなって顔を真っ赤にして搾り出すように 「なんで…」と言うのがやっとだった。冬の風が二人のあいだを駆 け抜けた。だんだん僕の表情は普通に戻り、時間は正常に流れ始め た。そして輝彦君は言った。 「たいしたことないやろ」 「えっ?」 「気ぃ−失うくらい殴られたかてたいしたことあらへんやろ?」 顔は少しずきずきしたけど、確かにたいしたことなかった。僕が殴 られ続けたのも、殴り返せなかったのもそれを知らなかったからな のかもしれない。 「うん…たいしたことない」 「そういうもんやっちゅーことやな」 輝彦君はずっとグランドを眺めたまま左手でなくなった右腕をさす るようにしながら僕と話した。あるいは輝彦君自身と。 次の朝、学校に行く途中で予想通り神崎君達に捕まった。狭い路 地裏に連れていかれて襟首をつかまれコンクリートの塀に叩き付け られた。内心すごく恐かったけど僕はただ昨日から思っていた通り のことをやった。 何も言わずにただ神崎君の目を睨み返した。一瞬も目を放さず、た だじっと。神崎君の顔に怒りに満ちてきて、そして殴られた。次の 瞬間、本当に、呆気ないほど簡単に僕の腕は動いた。それまではい つも首をすぼめて手を前に突き出すか、殴られたところを両手で覆 うかだけだったのに、自分でも信じられないくらい力強く神崎君の 鼻っ面を殴りつけた。また殴られるかなって思ったけど、もう殴ら れなかった。神崎君は鼻血を流し始め両手で鼻を押さえていた。取 り巻き達は何も言わず突っ立っていた。なんか阿呆らしくて悲しく なってきた。溜息がでそうなやるせなさの中で、今までの自分の事 を思い、輝彦君の事を思った。 これは僕がどうやっていじめを克服したかという話ではない。僕 がどうやって輝彦君と友達になったかという話だ。今ではお互いあ の頃と同じくらいの子供がいる。僕は製薬会社の研究室で働き、妻 との間には男の子と女の子が一人ずつ出来た。輝彦君は中学校の国 語の先生になってクラブ活動で野球を教えている。子供は男の子が 一人だけど、うちの長男と同い年で一緒に輝彦監督の基で野球をし ている。 僕らはお互い数少ない子供の頃から付き合いが続いている親友で 名前を呼び捨てする間柄だ。なのに僕は心の中では今でも輝彦君と 呼んでしまう。それが少し、寂しくも、嬉しい。