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第8回3000字小説バトル
Entry17

見切り師

作者 : 羽那沖権八
Website : http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/4587/
文字数 : 3000
 それは、津田善秀が豚バラのパックに半額のシールを貼ろうとし
た時の事だった。
「待ちなさい」
「?」
 振り向くと、初老と思しき痩せた男が立っていた。
「そのシール、貼るのを五分待ってみなさい」
「え?」
 男はポロシャツにジーパン姿で、髪型は角刈り。穏やかな顔つき
をしていた。
(妙な奴だな。フツー逆だよな)
 津田が何か言おうとした時には、すでに男は立ち去っていた。
「……五分、ねぇ」
 彼は白抜きで書かれた赤い『半額』の文字を見つめながら呟いた。

「やぁ、今日は売れ残りが少ないねぇ」
 太った店長がご機嫌でモップを床に掛ける。
「あ、それって多分、バイトの津田の仕業っすよ」
 中年の従業員が隣でモップを使いながら答える。
「あの津田君?」
「ええ。なんか、見切り品のタイミングがどーとかこーとか言って、
シールを少しの間貼らなかったんすよ」
「そんなのマニュアルができてるじゃないか」
「ええ。おれもまたサボろうとしてるのかと思ったんすけどね、ち
ょっとしてからシール貼り始めて。そーしたらバカ売れですよ」
「へえー」
 店長は丸い顔の丸い目をより丸くする。
「あいつ、本当は陰ですっげえ努力してたんじゃねえっすかね。感
心しましたよ」

 翌日。
 再び津田は見切り品のシールを貼ろうとして手を止めた。
(も少し、待ったらひょっとして今日も……)
 声に出さずに呟いて、彼はシールをしまった。

 数日後。
「……なんですって?」
 朝礼で店長の言葉を聞き流していた津田は、思わず聞き返した。
「肉の仕入れを五割増やした、と言ったんだけど?」
 しれっと店長は答える。
 他の従業員たちがざわつく。
「売場の商品がなくなってしまうということは、もっと買いたいと
思ったお客様がいるかも知れないって事でしょ?」
「そりゃまあ、そうですが」
「これからの経営は攻めの姿勢が大事だからね」
「それは余裕のある店の話でしょう?」
「大丈夫大丈夫。多少売れ残っても、君が上手く見切り品にしてく
れるでしょ?」
 従業員たちのざわつきが止まり、津田に視線が集まる。
「い? 俺はそんな――」
「君には期待してるからね。そうだ、上がった利益で、慰安旅行で
もやろう。どこがいい?」
 顔中で笑いながら、店長は尋ねる。
「……箱根、辺りで」
「いいねぇ。ま、何はともあれ売ってからだ。頼むよぉ、津田君」

(信じるかなぁ、あんなホラを)
 売場に山と積まれた肉の前で、津田は呆然と立ち尽くす。
(この店もおしまいかぁ? ま、知ったこっちゃねえや――?)
 ふと気付くと、店長を含めた他の従業員たちの期待に満ちた視線
が、津田に向けられていた。
(待てよ、ちょっと待てよ)
 さぁっと頭の中が冷えて来る。
(まさか、俺に掛かってるってのか?)
 自分のせいでこのスーパーの経営が悪化したなんて事になったら。
(もの凄く恨まれる。やだ、そんなのやだぞ)
 じっとりと背中が汗ばんで来た。
(これというのも、あのじいさんの――じいさんの)
「――また、来ねえかな」
 思わず、津田が呟いた時。
「失礼。出口はどこでしょう?」
 聞き覚えのある声に、彼は振り向く。
「わ、わわ、あわ、いた、いたいた!」
 声の主は正しく、例の初老の男だった。
「は?」
「ちょうど良かった――」
「あっ! お父さん!」
 売場の反対側から、店長が走って来た。
「はぁ、はあ、はぁ、ごめん、津田君。父が迷惑かけたね」
「いや迷惑だなんて」
(父ぃ?)
「あなた、出口を知っていますか?」
 不安そうな顔で、男は店長に尋ねる。
「はいはい。分かるよ。家まで案内するからね」
「そんな見も知らぬ方に申し訳ない――」
(え?)
「悪い、津田君。僕は二〇分ほど店空けるけどよろしく」
 男を連れ去る店長の後ろ姿を見ながら、津田はポケットから値引
きシールを取り出す。
(スーパーの出口も自分の息子も分からんじいさん――今まで売れ
たのも、ただの偶然……)
 津田は黙って従業員用のロッカールームに入り、バッグを取り、
出て行こうとする。
「おお、津田。どうした?」
 商品を並べ直していた中年の正社員が、津田に声を掛けた。
「いや、ちょっと外で一服」
「うん、今のうちに行っておけ。期待してるぞ」

 駅前公園で、津田はベンチに呆然と座っていた。
(冗談じゃねえよ)
 どんよりと曇った空は、雨か雪が降り出しそうだった。
 バッグをぎゅっと抱え込む。
「悪くなった商品を売りさばくために安くする、それだけの事にコ
ツもなんもねえだろ」
 言葉を切る。
(んなもん当てにして仕入れを増やすなんて)
「ひでえ経営者」
(潰れようがどうしようが知ったことか)
 きゅっと奥歯を噛みしめる。
(――でも、今の俺)
「格好悪いな」
 ぽつりと呟く。
 実際のところ責任はないはず。
 だが。
 ただのバイト、下らないこと、店長の責任。
「格好悪いのって、嫌いだな」
 勢いを付けて立ち上がった。
「一丁、下らない事と心中してみるか」

 店に戻った津田に、中年の正社員が駆け寄る。僅かに顔色が悪い。
「どこに行ってたんだ、津田! ――いや、まあいい、来い」
 二人は売場に向かう。
「……減ってない?」
「そうだ。ほとんど客が手を付けない。なんでだ?」
「俺に訊かれても――」
「だよな」
 売場に溢れるほど置いてある肉。別に質がいつもに劣るわけでも
ない。
「どんなに津田が見切り品のコツを掴んだって言ってもこれじゃ駄
目だよな……」
(ほっ。これで正々堂々と逃げられる)
「給料減るかなぁ、車のローンも残ってるってのに」
「ローン?」
 正社員の言葉が妙に耳に引っかかった。
(売れる――買う、買う?)
 かっ、と津田は目を見開いた。
「売れますよ、いや、買って貰えます。多分」

(売った)
 肉のパックが僅かに残る売場の前で、津田は座り込んだ。
(俺の力で。俺だけの力で)
「あは、売れたね」
 隣りに店長が座る。
「もうこういう無茶な仕入れは止めて下さい」
「善処するよ」
 苦笑いを浮かべ、店長は軽く頭を下げる。
「最初は本当に売れなかったねー」
 津田は切れかけた蛍光灯を見上げる。
「コツは見切り品です。お客さんは多すぎる商品を見て、売れ残り
を確信したんです」
 両手で頬杖を付く。
「早く買いたい、でも安く買いたい。このジレンマは小さな値下げ
で一気に崩れました」
「確かに、三時過ぎに二〇円引きが出た途端、一気に半分以上売れ
たもんね」
 ふくよかな頬を震わせて、店長は笑う。
「見切り品は買い物最大の娯楽です。品質の劣化と値引きの損益、
他の客を出し抜く優越、店員との駆け引き」
 津田の表情には穏やかな疲労の色があった。
「客の心理に立てば簡単に気付く事ですけどね」
「ふーん。いやあ、これからもよろしく頼むよ」
 店長は丸っこい手を差し出した。
「はい」
 頷いて、津田は彼の手をがっちりと握った。
「――あ、そうだ、今日はお父さんが迷惑掛けたね」
「いえ、とんでもない」
 津田は小さく笑う。
「お父さんは僕同様スーパーで働いててねぇ。たまに助言してくれ
るんだ」
「――え?」
(俺はボケ老人の妄言でひらめいて……)
「ちょっと短期的な記憶は欠けてるけど、仕事の知識はしっかり残
っててね」
「はぁ」
(見切りのコツを、自力で……)
「特に商品管理が上手くて、見切り師なんて呼ばれてたんだよ。今
回も、絶対売れるって言ってたから、心配してなかったけど、最初
は本当ヒヤヒヤしたねぇ」
 誇らしげに話す店長の顔を見ながら、津田は微妙な表情で曖昧な
相づちを打ち続けた。