第9回3000字小説バトル
Entry11
その男と出会ったのは行き付けの酒場だった。仕事が一段落つい たことで久しぶりに酒場で羽を伸ばしていたところ、酒場に見知ら ぬ男が入ってきた。バーテンは顔馴染みらしく、横目で伺うとキー プしてあるボトルを探っている。男は背広姿で、脇にはノートパソ コンを抱えている。男はゆっくりと店内を見まわしている。珍しく 店はいささか混雑していたので、落ち着ける場所は私の隣のカウン ター席しかなかった。男はそこに腰を落ち付けると、バーテンに目 で合図をした。心得たようにバーテンがグラスを目の前に置くと、 彼はそれを半分ほど一息に飲み干し、それからノートパソコンの電 源を入れた。 酒場には全く似つかわしくないそのノートパソコンを横目で眺め ていると、画面に精悍な顔立ちの若者が大きく映った。その若者は 髪を少し染め、日焼けした顔に白い歯がこぼれている。 横から覗いている私に気が付いたのか、男はゆっくりとこちらに 向き直り、わずかに口を歪ませた。 「息子です」 そう言う男の顔はどこか満足げであった。私はもう一度パソコン の画面を見た。背景には少しすすけた草原が広々と映っている。 「アフリカのね、なんて言ったかな……。南のほうの国に海外協力 隊とかいうもので行っているんですよ。電話でなかなか話せないか ら、私もこうやって慣れないパソコンでメールを打つんです。メー ルならかならず連絡が取れますから」 そう誇らしげに言うと、パソコンを操作してメールソフトを立ち 上げる。そこには同じ名前のメールが一列に並んでいた。 「私が書くと、こうして返事をくれるんです。最近はそれが楽しみ なんですよ」 私の息子も一年前からアメリカに留学していて、その気持ちは痛 いほどよくわかった。私もメールをパソコンからではなく携帯電話 からだが、時々送っていた。そのことを彼に告げると、 「奇遇ですねえ」 彼はそう言って、私に酒を勧めた。私達は息子の自慢をし、そし て身近にいない寂しさを嘆きながら大いに飲み、そして語った。す っかりうちとけた私に、 「これから家に来ませんか?」 と彼は提案した。私は即座に賛成し、そして店を出た。 「ここが私の家です」 彼が示す先には一昔前の郊外住宅といった趣きの一戸建てがあっ た。一階がガレージになっているようなやつだ。家の古さを示すよ うに、階段や扉にははげかけている塗装や小さな瑕が見える。 「さあ、どうぞ入ってください」 そう言いながら、男は玄関の扉を開いた。扉は小さく軋む音を立 てて開く。その中へ男は消えていき、すぐに中の灯りがついた。暗 い夜道に慣れた目には少しばかり眩しかった。 「どうしました? どうぞ、中へ」 重ねて言われて私はゆっくりと扉をくぐった。彼の後に従って廊 下を進む。通されたのは、昔は客間として使われていたであろう和 室だった。部屋の中央には少し値の張りそうな机が置かれている。 しかし部屋の隅には物置に入り切らなくなったのであろう様々な物 が寄せ集められていた。 「いや、お恥ずかしいですが、ここがまだマシなもので。さあ、座 ってください。今、準備をしますから」 私は勧められるままに座った。手持ちぶさたな私はさらに部屋を 見まわした。机以外には調度品はない。隅には電気ストーブや扇風 機の箱に混じって、衣装行李や最近流行りの収納用のクリアーボッ クスが積まれている。その透明な箱の奥に黒い物が見えた。あれは …… 「お待たせしました。今、妻が病で実家に帰っているものですから、 あまりお構いはできませんが」 もっとよく見ようとした時に男がワインとチーズを持ってやって きた。ワインのことはよくわからないが、瓶にかかれている年代は かなり前だ。彼はそのワインの栓を抜き、グラスになみなみと注い だ。ワインはとても美味かった。 「あ、そうだ。そろそろメールの返事が来る頃だ」 美味い酒に再び話が弾んだ頃、彼は思い出したように言った。そ してノートパソコンを机の上に置き、そどこからか引いてきた電話 ケーブルをそのパソコンにつなぎ始めた。 「時差の関係でちょうど今ごろなんですよ」 快活な彼の声が部屋に響く。見るとあの若者が笑顔を見せている。 私は突然思い至った。確か一月ほど前にアフリカ南部で大きな政変 があった。それに巻き込まれて多くの人が亡くなったとニュースは 大々的に報じていた。そしてその中には日本人も含まれていた…… 男はパソコンを操作して再びメールソフトを立ち上げた。すぐに パソコンがリズミカルに回線をつなぎ始める。私は酷く落ち着かな くなった。 「さあ、今日は届いているかな」 男は独り言のように呟く。やがてソフトが新しいメールの到着を 告げた。 「ああ、今日も来ている。貴方にもお見せしましょう」 男はあの若者そっくりの笑顔を私に見せながら、そう言って私に メールを見せた。 黒く大きな字でUser Unknownと、そこには書かれていた。 「『今日も元気です。』か。今日も変わらず元気なようですよ。何せ 日本とは違って治安とか衛生面とかあまりよくないですからねえ。 ほら、二週間前にもアメリカで留学生が射殺された事件があったじ ゃないですか。それを考えると、寂しいとはいえ、無事でいてくれ るだけ喜ぶべきことなのでしょう」 彼は笑みを浮かべながら呟いている。私はそれを見たくなかった。 用事を思い出したと言って、引き留める彼に別れを告げ、足早に自 宅に戻った。 床につく前に、仕事のために一日携帯の電源を切っていたことを 思い出した。すぐに電源を入れ、一日に来たメールと伝言を聞く。 メールの最後に息子からのものがあった。 今日も元気です。 User Unknown.