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第9回3000字小説バトル
Entry15

心中

作者 : 逢澤透明
Website : http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/2435/
文字数 : 3000
 脅迫状には「十年前の事について。明日伊豆洛花岬に来られたし」
とだけ書かれてあり、その後もう一度ファクシミリで岬に丸印のつ
いた伊豆の地図と「貴殿の車にて貴殿が運転されること。また明日
午前0時中央線三鷹駅教保堂書店前にて黄色帽、黄色ワンピース、
黄色ハイヒールの女性をPick upし、共に洛花岬まで来られたし」
という文面が送りつけられてきた。
 当日三鷹駅前のロータリーにははたして黄色づくめの女がひとり
立っていた。私はぴたりと横付けすることにためらいを感じて少し
離れたところに車を停めたが、女は私を見つけると自分からサッサ
とこちらに歩み寄り、私に向かって声をかけた。見知らぬ女である。
それが強くはっきりと私の名前を言う。
 女の背は高く、対面した私の視線はちょうど彼女の首筋にあった。
首は細くて皺ひとつなく、つるりとした光沢を放っていた。顔とい
えば目も眉も唇も細く、黒く伸ばした髪と見下げる視線から年上に
見えたが、私は直感的に「若い」と感じた。どうしてそんなに若い
のか、脅迫者とはどんな関係なのか、なぜ私と岬に行くのか、いく
つもの疑問をいかに聞き出すべきか迷いながら、しどろもどろに私
が吐き出したのは「綺麗な人だ」という間の抜けた台詞だった。
 思いもしない言葉に私自身はうろえたものの、女の方は少し唇を
歪めただけで助手席側のドアを開け、車に乗り込んでしまった。「さ
あ出発しましょう」と女に促され、なにも訊けぬまま私は車を発進
させた。

 伊豆の海沿い道路にたどりつくまで、ふたりとも沈黙したままだっ
た。私は自分の過去を女に告白したいという欲望を抑えつけるのに
必死で、彼女に話しかける余裕などなかった。彼女は彼女でなにか
思いつめたように沈黙し足下を見つめていた。私はいつか来た道を
辿りながらずっと私の過去、つまり「あの女」のことを考えていた。
 三歳の時に私と母は父に捨てられ、十六の時私は母に捨てられた。
捨てられた私は中央線三鷹駅前でふらついているところを見知らぬ
女に拾われた。誘われるまま女の部屋に住み込み、促されるまま男
娼になった。私は様々な男たちに抱かれ、部屋に戻れば女を抱いた。
はした金を小遣いとしてくれるだけで女は稼ぎのほとんどをピン撥
ねしていた。
 ある日、私は女の通帳を覗き見、そこに膨大な金額が記されてい
ることを知った。私の中に悪魔のような怒りが沸き上がり自分の稼
いだ金を取り戻そうと考えた。そして深夜のドライブと称して伊豆
の洛花岬に女を連れて行き、暗い海の底へと突き落とした。女も私
も社会の裏側で生きているどうしようもない人間である。女は親戚
とも昔の恋人とも長い間連絡を取っていない。突然失踪したとして
も誰も不思議に思うことはない。私は大金を手にし、自由の身へと
解放された。
 ところが私は金の使い道を知らなかった。無限の金を手に入れた
と勘違いした私は欲望のまま金を使った。今まで買われる立場であっ
たのが今度は買う立場になったのである。王になる気分、支配者に
なる気分とはこういうものだと錯覚したまま浪費を繰り返した。私
は男を買い、女を買い、安酒を数倍の値段にして売る店で朝まで騒
いだ。年上も年下も関係なく誰もが私に媚びへつらい、卑屈に笑っ
た。私は得意になり彼らを奴隷のように扱った。
 けれどもそんな生活が二週間も続いたある日、目が覚めると私は
道端で買った女にすっかり金を持ち逃げされていた。
 無一文になった私は母に捨てられたときと同じように三鷹駅へ向
かった。しかし私にかまうものなど一人もいなかった。電車が到着
するたびに駅からは大量の人間が吐き出され、通り過ぎて行った。
最終バスが出てしまったあとも駅前のバス停のベンチに座りながら、
あの女の部屋へまた戻りたいと思っていることに私は気がついた。
私にはあの女が必要だったのだ。必要なのに私は独りぼっちになっ
た。私が殺したのだ。後悔しても手遅れだった。

「私は独りぼっちなんです」
 突然、助手席の女が話し出した。
「私は十六の時に両親が二人とも交通事故で死んでしまいました。
兄弟はいなかったので私は独りぼっちになったのです。引き取られ
た親戚の家で私は妾のように扱われました。昼は雑用を言付けられ、
そして夜は……。それが嫌で家出して東京で男と同棲しました。で
もその男は働こうともせず、しかも沢山の借金がありました。私は
風俗で働き借金を返すことにしました。私は毎日毎日働いて借金を
返そうとしました。けれどもその男は遊ぶ金欲しさに借金を増やし
ていきました。私はなんどもなんども真面目に働いてと言いました。
でも男は怒って私を殴りつけるだけでした。ある日私は自分が妊娠
したことを男に告げました。すると、男は」
 女はそこで息を詰まらせ涙を流した。涙は頬をつたって黄色いワ
ンピースに落ち小さな染みを作った。無理矢理息を吸い込んで、そ
れでも女は話を続けた。
「男は、俺の子じゃないだろと言いました。おまえちゃんと自分で
処理しろよと言いました。その言葉を聴いて私は半狂乱になり気が
つくと男は血まみれになって横たわっていました。男を包丁で刺し
殺してしまったのです。私は勤め先で知り合った親切なヤクザの人
に連絡して後始末を頼みました。ヤクザは死体を袋につめ、お前は
何も見なかったことにしろと言いました。男は勝手に失踪したのだ、
と。ヤクザの人が死体を捨てに行くというので無理を言って私も一
緒行かせてほしいと頼みました。そうして私は伊豆の洛花岬に行き、
死体を崖から突き落としました。
 帰り際ヤクザは私に頼みごとをしました。ある男を洛花岬から突
き落としてくれ、と。私にしかできない仕事なんだ、と……」
 女はそこで顔を上げ私を見た。
「ある男というのはあなたのことです。脅迫状は私が書きました。
十年前のことも知っています。あなた、ヤクザの女を殺して金を奪っ
たんですってね。あんなヤクザの人からお金を奪うなんて……。そ
の女の人、黄色が好きだったんですって? 私、その女の人に似て
るんですってね」
「ああ、よく似ているよ」と私は言った。「そっくりだよ。……で
も、ちょっと若いな。若過ぎる。それに俺が殺した女はそのヤクザ
から逃げていたんだ。だからヤクザの女じゃない。俺の女だ。女は
必死に金をため俺と二人で外国へ行こうと計画していたのさ。だが
俺は若かった。金が欲しかった。女から逃れられれば自由になれる
と思ったのさ」
「それで自由になれました?」と女は訊いた。
 私は答えられなかった。
「私は男を殺しても自由になれなかったわ。私は今でもあの酷い男
のことが忘れられないの。あの男のいない生活が耐えられないの。
ねえ、ほんとは私、あなたを殺してヤクザからお金をもらって海外
に行くつもりだったの。でも私、あの男のいない人生なんて全然欲
しくないの。だから、私、ずっと車の中で考えていたんです」
「何を?」
「死ぬってことを。……ねえ殺して。私を殺して……そうしないと
私があなたを殺すのよ。だから殺して」
 車は海沿いの崖を這うように進んでいた。うねったカーブをいく
つも通り過ぎる。
 再び沈黙が車内を満たす。
 ふと、私は
「死のうか。ふたりで」
 と言ってみた。
 女は黙ったまま、まっすぐ前を見ていた。
 カーブの向こうに海が見える。
 私はハンドルから手を放し、女を抱きしめた。
「もう離さないわ」
 私の腕の中で、確かに女はそう言った。