第9回3000字小説バトル
Entry18
どうしてこんなことになってしまったんだろう?春が終わり夏に 差し掛かろうとする四月の風の中、僕は独り峠の梺で佇んでいた。 四月の風といっても夜の風は冷たい。それも峠の奥のほうから町に 吹き込んでくる風はひときわ冷たい。真夜中過ぎ体の前面で冷たい 風を感じながら時々振り向いて背後で消えゆく町の灯りを眺める。 この中途半端な田舎町では夜中の一時には灯りは全て消えるだろう。 そんな風景を眺めていると自分もここから逃げ去り、帰ってふとん に潜り込みたい気持ちになるけど、もうそれはできない。引き返せ ないところまで来てしまったのだ。 僕はアルパカ達の大行進の街への侵入を阻止するためにここにい る。一般的にはあまり知られていないことだが十年に一度の周期で アルパカの大行進は行われる。その目的は不明だが、大行進は夜中 に行われるので町に入られたら町中がパニックに陥るだろう。 「君も噂には聞いたかと思うが、今月終わりにアルパカ大行進が行 われるという情報が流れてきた」 一週間前の事だ。僕は市長所の応接室に呼ばれいきなり話を切り出 された。市町は机に頬杖をつき神妙な顔をして、その横では助役が 同じく神妙な顔をして直立不動で立っていた。 「今回その大行進の阻止を君に頼みたい」 「データに基づく選考の結果、君が一番の適任だと出たのだよ」助 役が口を挟んだ。いったいどういう選考基準なのかは言ってくれな かった。僕はアルパカ大行進の事はそれこそ噂ぐらいにしか聞いた ことがなかったのでちょっと質問してみた。 「あのー、アルパカ達っていうのは何頭くらいで行進するんですか ?」 「百頭くらいらしい」助役は言った。 「それで何人で対処するんですか?」 「君一人だ」市町が言った。 そして呆然とする僕の肩をポンと叩きながら小さく「頑張ってくれ たまえ」と呟くように言って二人は応接室を後にした。 よく分からないのだがどうして市役所の住民票発行係の僕がそん なことをしなければならないのだ。それも一人で。僕は映画に出て くるヒーローじゃない。二流大の文学部卒でリスキーだが夢の溢れ る未来よりも夢は見ることすら諦め安定した公務員としての生活を 選んだ人間だ。実際僕は公務員として市役所で働き始めるまで自分 が一体なにの仕事をするか分からなかったし、分かってからも書類 を淡々とこなすだけで自分のアイデアも言ったことなんてない。そ のかわり残業だってしたこともなかった。今日まで。 それなのにど うしてこんな夜中に残業しなければならないのだ。それもアルパカ 大行進の町への侵入阻止なんて。 そして一番訳が分からないのは、そんな仕事をどうしてこんな引 きかえせなくなる前にきちんと断れなかったのかということだ。結 局自分のことが一番分からないし納得いかない。それが僕のはっき りできない態度に拍車をかける。 断ることもできぬまま当日の夜がやってきた。十時過ぎ妻が風呂 に入った隙に出掛ける準備をした。仕事であって別に悪いことをし ている訳ではないのだが何故か妻にはこのことは言い辛くて結局黙 って出かけることにした。妻が風呂に入っている間に準備をして寝 付いたら抜け出す算段だったが、風呂に入ったはずの妻となぜか短 い廊下でかち合った。 「あなた、どこか行くの?」 妻が心配そうに聞く。結婚するまでは箱入りで育ってきた。ほんの 小さな疑いが心全体を灰色に染めあげているのかもしれない。そう 思うと僕もなんだか焦ってしまってとにかくその場を躱すことだけ を考えていた。 「いや…、ちょっと煙草を買いに」 「そう…」 妻はより寂しそうな顔でそう言って踵を返した。 いったい僕は何をやっているのだろう?煙草はもう三年も前に止め て一度も吸っていないというのに。 アルパカ大行進は夜中一時に始まるらしい。そんなのをどうやっ て止めたらいいか正直僕には分からない。とても武力行使で対応仕 切れる数ではないし、やはり話し合いということになるだろう。大 学でかじった心理学の知識を総動員してシュミレーションしてみた。 どう話すか、の前に百対一でまともに話せるかが心配になった。 一時十三分。暗闇の向こうから風の音に混じって地響きが聞こえ てきた。結構な重低音だ。やがて闇の中に怪しく光る無数の目だけ が浮かび上がってきた。僕はふぅーと溜息をつき、こういう事体の ために一応買ってきた煙草に百円ライターで火を着けた。駄目だ。 地響きはどんどん大きくなる。目の当たりにして分かった。10t トラックに突っ込んでいくようなものだ。逃げるしかない。あんな の止められっこない。闇の中で影がうねり蠢いている。さっさと諦 めて逃げようとアルパカ達に背を向けて町を見下ろしたとき、その 静けさに包まれた町の風景が瞼の裏を通り越してその奥に焼き付い た。ふっと体が軽くなって、ちょっと心が熱くなって、次の瞬間僕 はアルパカ達の方に向き直ると手に持っていたバットを闇雲に思い っきり投げ付けた。何となく鈍い音がして行進のスピードが落ちた。 自分が何をしているか分からなくて呆然とする僕の少し手前で行進 が止まった。そして数多の影の中から額から血を流した一際大きな 一頭のアルパカが歩みでて、いきなり怒鳴った。 「またしても…我々の行進を止める気か!」 「えっ、ああ、いや、そうです、近所迷惑にもなるし」 僕の体はまた縮こまり、気は動転していた。 「この俺にバットを投げるとは良い度胸だ!決闘だ!俺が勝ったら 町へ入らせてもらうぞ」 そのアルパカは体もでかいし眼光も鋭く、僕じゃ相手になりそうも なかった。だいたい下手したら殺されてしまう。なんとか話し合い に持っていかなければ。 「いや、待って下さい。バットを投げたのはすみません…」 しかしすべてを言い終える前にアルパカの体当たりが僕を吹っ飛ば した。恐怖だけが僕を塗りつぶす。逃げることしか考えられない。 地面に叩き付けられた僕は早く逃げ出そうと急いで立ち上がろうと した。その時ポケットから何かが落ちた。 煙草だった。 真新しい煙草の箱。妻の顔が浮かんだ。もう一度夜の町を見渡す。 本当に、僕は何をやっているんだろう。こんなところで、いつまで も。 「んー?どうしたもう終わりか?」 僕は人をなめた表情でつかつか歩み寄ってきたアルパカの横っ面に 渾身のパンチを叩き込んだ。 次の朝、気が付いたら僕は家のベッドで寝ていた。昨日のあれは なんだったんだろう?全部夢なのかとも思ったけど、僕の顔は腫れ ていたし、拳には高級セーターの原料になるアルパカの毛が着いて いた。いったい行進はどうなったんだろう?キッチンでは妻がいつ ものように朝食の準備をしていた。 「あっ、あなた、おはよう」 妻の表情から不安の色は消えていた。いつもの朝だった。僕の腫れ た顔には特に興味を示さなかった。思ったより腫れていないのかも しれない。 「なあ、昨日の夜うるさくなかった、なんか、すごく?」 「そんなことないわよ。夜中に誰かあなたのお友達がこっそりあな たを送ってきてくれたみたいだけど、私眠っちゃてて。挨拶した方 が良かったかしら?」 「いやいや、いいんだよ。うるさくなければ」 僕は市役所への道を歩く。いつも同じ時間にゴミを捨てている近 所のおばさんに挨拶した。おばさんはにこっとして挨拶を返してく れた。大行進が町に入った形跡はどこにもない。いつもと変わらな い朝。そして僕の目にはちょっと違って見える素敵な朝だった。