第9回3000字小説バトル
Entry9
僕が生まれたのは東北地方の山間にある小さな町で、そこは鳥取 砂丘に次いで日本で二番目に星が綺麗に見えるという以外は、何の 特筆すべき事柄も存在しない典型的な田舎町だった。四方を山に囲 まれた盆地にあり、夏は東北地方で一番気温が高く、冬は東北地方 で一番雪が積もり、そして住人は閉鎖的だった。閉鎖的と言っても 他所者に向けられる陰険な閉鎖性ではなく、自分達がこの場所で満 足してしまっていて、外に出て何かやらかそうなんてとんでもない とでも言うような、いわば自分自身に向けられた閉鎖性だった。 あるいはそれはどこの農村でも同じようなもので、もっと大きな 視点で見たら、それが世間一般に言われる「日本人的」ということ だったかもしれない。でもどちらにしても、僕がその町で過ごした 時間の大部分を占める少年時代にそんなことは考えてもみなかった し、八歳か九歳の夏に自転車に乗った大学生に道を尋ねられて、群 馬県の前橋市から来たと言われても、そんな場所が僕の住むこの町 と同じ世界に属しているなんて今一つぴんとこなかった。 でも一つはっきりしていることがある。僕が走るということにつ いて意識し出したのはまさにその日だった。もちろんそれまでだっ て友達とそこいら中走り回っていた。そんな田舎に住む子供は、田 んぼの畦道や神社の境内を走り回るような遊びしか知らなかったか ら、鬼ごっこや缶蹴り、かくれんぼ(僕らのかくれんぼは鬼に見つ からないように物陰を走り回っていた)が僕らの放課後や休日の全 てだった。あの夏の日も、大学生という人種を初めて目にした僕ら はその若者の自転車の後ろを物珍しそうに走ってついて行った。ま るであの自転車を追いかけることが今日の遊びだとでもいうように。 僕達は走った。となりを走っていた友達が、チャンバラをしていた 木の棒を捨てるのが見えた。せっかくチャンバラ向きのいい枝が見 つかったのにもったいないと僕は思った。気が付くとみんなの笑い 声が荒い息に変わっている。後ろの友達の足音が遠くなっていく。 それでも僕は大学生の跨がる銀色のフレームを追いかけた。その銀 色の輝きもついに遠くなって、僕は世界に一人だけになったように 感じた。立ち止まると友達の姿は見えなくて、周りの景色も父親の 運転する車の窓越しにしか見たことのない場所だった。僕は突然声 をあげて泣いた。家まで歩いて帰る間中泣いた。そして次の日から 僕は鬼ごっこや缶蹴りで友達の誰にも負けなくなった。 それでも僕の遊び友達以外にも、足の速い子は小学校に何人もい たから、五年生になって近隣の小学校が集まる陸上競技大会の選手 に選ばれたものの、個人種目には出してもらえずに、リレーのバト ンの受け渡しの練習ばかりしていた。六年生になってからも同じよ うに無難にバトンの受け渡しをして終わった。どんなタイムで何位 になったのかも覚えていない。 陸上競技以外にも取り立てて目立つようなこともなく、僕は平凡 に中学生になった。僕の町には小学校も中学校も一つずつしかなか ったから、全く同じ顔ぶれで九年間過ごすことになる。たぶん他の 町ならいくつかの小学校の生徒が一つの中学校に集まってくるとい うことが一般的だと思うので、子供達は思春期にさしかかる多感な 時期に大きな刺激を受けることになる。大袈裟かもしれないが、僕 達の町にその通過儀式がないということが町の住人の閉鎖性に一役 買っていたのかもしれない。 とにかく僕達は学生服を着なくてはならなくなったということと、 先生達の顔ぶれが変わったということ以外は特に環境の変化もなく、 義務教育の七年目に突入した。そして僕は野球部に入った。特に野 球が好きだったわけではない。ただ単にその中学校に運動部が野球 部、卓球部、剣道部、柔道部しかなかったからだ。おまけに生徒は 必ず運動部か文化部に所属しなくてはならないという校則があった。 確かに、例え特にやりたいわけではない部活動でもやっていないと、 僕達の町では退屈過ぎて生きて行けなかっただろう。だから野球部 に入った。 そして田舎の中学校にはよくあることだが、僕達の町が所属する 地区の陸上競技大会がある時期にだけ全ての運動部から足の速い生 徒が集められて臨時の陸上部が出来た。僕は初めて個人の百メート ルの選手に選ばれた。本当はなんとなく二百メートル走れる方が偉 いような気がしていたので、二百メートルに出たかったのだがまだ 力が及ばなかった。だから不本意だった百メートルをどうやって走 ったかはあまり憶えていない。憶えているのは、大会当日が雨だっ たこと、予選は通過したものの決勝ではたいした成績が残せなかっ たということ、雨に打たれながら自分の学校の控え所にとぼとぼと 帰っていく途中で、憧れの先輩に「お疲れさん」と声をかけられた こと。後にも先にもその先輩に話し掛けられたのはその時だけだっ た。 それから僕は野球部でも取り立てて目立つこともなく、たぶん三 年間レギュラーになることはないだろうという予感とともに中学二 年生の春を迎えた。 でも四月の誕生日を迎えると、僕の人生は少し変化した。 まず二年生になってすぐのテストで学年トップになった。特に勉 強をしていた憶えはないが、授業を聴いているだけで全てが理解で きた。その後、中学を卒業するまでにトップの座から落ちることは 無かった。 そしてこの年の陸上競技大会では二百メートルの選手に選ばれた。 練習では三年生と一緒に走っても負けることはなかった。でも元来 自分に自信の持てない性格の僕は、前年の結果のこともあって、特 に何位に入ってやろうなどとは思ってもみなかった。 当日の予選を一位で通過した後でさえ僕には自信が無かった。僕 は全力で走ったのに、きっとみんな本気を出していなくて、決勝で は僕は最下位争いをすることになるのだろう。特に近くの市の大き な中学校の選手達には勝てるはずがないとさえ思っていた。 周りも僕に期待をしてはいなかった。確かに僕が速いということ は認めていたが、その大会で僕の中学の生徒が優勝したという話は 聞いたことが無かったし、やはりみんなの中にも大きな中学校に対 する劣等感があったのだと思う。だから僕はプレッシャーに悩まさ れたりすることのないまま決勝のレースに向かうことができた。僕 は五レーンだった。二百メートルはカーブからスタートするので、 一人一人のスタートラインがずらされている。だから直線には入る までは自分が何位なのか分からない。僕はとにかく一生懸命腕を振 った。カーブを抜けると、外側を走っていた選手がみるみる僕の後 ろに後退していって、僕はトップに立った。その時でさえ僕は自分 が優勝するなんて思っていなかった。僕は一生懸命腕を振り続けた。 後ろの選手の気配が遠くなっていく。また僕は世界に一人だけにな る。ゴールラインまでの空間が、とても静かで、とても広い。そこ は僕だけの世界。その世界が少しづつ縮んでいって、僕は人々の声 援や拍手の溢れかえる世界に帰ってきた。 あれから十年。僕は高校の陸上部でそこそこの成績を残し、関東 の大学に進学する者が多い中、たった一人で京都の大学に進学した。 そこでもやっぱりそこそこの成績を残して、そのまま京都で会社員 をしている。もうあの町にはしばらく帰っていないし、僕の世界は あの町の誰よりも広がっていると思う。 でも群馬県の前橋市には未だに遠いままだ。