第10回3000字小説バトル
Entry10
砂に咲く薔薇
- 作者 : 杜水晶
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- 文字数 : 2283
男は歩いていた。ただひたすら歩いていた。
ぼろ布のようになってしまった身体を打つ細かい砂の嵐。
服は見るも無残な姿に変わっており、もう既に何ヶ月も洗っていない髪は、汗で顔に張り付き、そのうちの数十本はかたまって、いくつもの房をつくっていた。
男は、自分の前に横たわっている果ての見えない砂漠を、その光を宿さない虚ろな目で眺めていた。
「おかしいなぁ……」
地図はきちんと頭の中に入っているはずだった。都にいたときに、関連する書物は全て読みあさり、何度も何度も道を確認したのだから。
旅に出てからどれだけの月日が過ぎたのだろう。ほんの数ヶ月前のはずなのに、もう数十万年も歩いたように感じられる。
男は生まれ育った都を頭に思い描いていた。
色とりどりに咲き乱れる花。赤、白、黄色……。彼の故郷は1年を通してずっと暑く、花が絶えることはなかった。咲く花は全て原色の、目に鮮やかな花ばかりで、いつも彼の気持ちを楽しくさせていたくれたことも、今となってはもう思い出だ。
「このまま俺は、もう死んでしまうのだろうか……」
男は空を振り仰いだ。それは真っ青で、本当に透明な蒼だった。
その蒼は、この世に存在するあまたに存在する蒼の、全ての源である原始の蒼だと男は思った。
この原色の蒼は、男に故郷の花を思い出させた。
「花といえば……。あの娘は元気でいるだろうか……」
男には、故郷に婚約者であり、幼なじみでもある愛する娘がいた。
「確かもう今年17になっているはずだが……」
恋人を思い出すときだけ、男は幸せだった。心は暖かい想いで満たされ、生きていてよかったと実感するのだ。彼女を思い出すためだけに、今の今まで命を繋いできたのかもしれなかった。
自分に、そして故郷の彼女にかけて誓ったから。
―――――必ず生きて彼女の元へ戻る、と……。
彼女のことが、好きだった。心の底から、きっと愛していた。
そう断言できる証拠は、この生ける屍である男そのものだった。
生きて故郷に帰って、彼女の激しい想いを受け入れるに足る強い自分になれたなら、その時こそ自分の彼女への想いを、成長した自分に絶対の自信をもって、彼女に告げるのだ。
そのために男は旅に出た。自信を持って彼女を愛せるようになるために。だから、もしこんな場所で男が死んでしまえば、何のために苦しみ、今まで生きぬいてきたのか分からない。
男はなんとしても生き延びなければならなかった。
あの頃の不甲斐なかった自分。
お互い想い合っていたことがわかっていたのに、彼女に言わせてしまった弱い自分。
男は懐かしく、彼女に愛を告げられたときのことを思い出した。
瞼を閉じる。
すると、もうそこは男の故郷…………。
彼女は手に、赤い赤い薔薇の花をもっていた。
きっと、数千本はあったであろう。なぜならその花束で、彼女の顔も、そして髪の毛の一点たりとも見えなかったのだから。
薔薇の赤い色彩と、娘の羞恥心とで、顔は朱に染まっていた。そしてその瞳には、薔薇を差し出されて呆然としている男の顔が映っていた。
「好きです。そして、これが私の気持ちです」
少女は半ば、押し付けるようにしてその薔薇の花束を差し出す。
鮮烈な、紅……。これが、彼女の愛。
激しすぎる色だった。そして、想いだった。
「だめだ、受け取れない」
少女は微動だにしない。
「好きです」
黙って、それだけを告げる。
その動作が、彼女という人物をあらわしていた。
だから、男も言うのだ。
「だめだ、受け取れない」
はじめて少女の顔が崩れた。
はじめは精一杯、今の表情を保とうと努力するが、しだいに堪えきれなくなって、大きな黒い瞳にはみるみる涙が盛り上がる。
そして、それは一筋、二筋……と、彼女の頬に幾筋もの流れをつくった。
「…………どうして?」
震える声で一言。これが彼女の精一杯。
「君の想いは激しすぎるから」
こんな彼女にだからこそ、はっきりと言う。
「私のこと、嫌い?」
「好きだよ、愛してる。けれども……」
娘は食い入るように男の瞳を見つめる。
「けれど、俺の想いは、君ほど強くない。俺には……君を愛する資格などない」
たしか、これが彼女と過ごした最後の時間だった。
心の底から逢いたいと想う。そして願った。
―――――生きて彼女の元に戻りたい。
しかし、そんな途方もない望みが叶うはずもない。
ふと、男は足元に視線を落とす。
そこには変わった形の石があった。
それは、あの彼女のくれた薔薇とそっくりの形をしていた。色はまるで彼女の唇のようで、それに少し透明感をたした感じだ。
男は彼女の名をつぶやいた。
突如としてそれは起こった。
まるで男の声に反応したかのようにその石が粉砕し、辺りに飛び散って―――――――――――――――――……………光が満ちる……………。
―――――――――――――――――――溢れる光り……光りの洪水………。
辺り一面の花畑だった。赤、白、黄色……故郷の花々でその花畑は覆われている。
そしてその中には、数千本もの薔薇の花束を携え、佇む少女。
「…………………」
男は少女の名を呼び、あの時素直に言えなかった一言を、
「愛してるよ」
その少女は微笑んで、男の方へ走り来る。そして薔薇の花束を差し出し、
「好きです」
男は今度こそ、その気持ちを受け取る。
「これからは、永遠に一緒だよ」
当たり一面の原色の花、花、花、…………。
少女の手にはいっぱいの、赤い薔薇、薔薇、薔薇………。
そして、男の夢、夢、夢………。
永遠に続く、それは夢、夢、夢、夢………――――――幻………。