第10回3000字小説バトル
Entry18

肉体の輝き

 深夜まで仕事をして、誰もいない部屋に帰ってくる。玄関を開け
てひっそりとした暗い部屋に入る。三十を過ぎて一人暮らし。田舎
の母からは見合いしろ結婚しろと圧力がかかる。別に結婚したくな
いわけじゃないけど、つき合ってきた男はどれもロクでもないヤツ
ばかり。気がつけば周囲はみんな片付いていて、気に入った男は
皆、既婚。笑うのが苦手で仕事が好きで、男に媚を売ろうともしな
い女がこの歳になれば、十人並みの容貌をどんなに化粧でごまかし
ても、言い寄る男はほとんどいないし、言い寄る奇特な男をこちら
が気に入るわけもない。
 寂しいのは私だけじゃないと言ってみたところで、この寂寥感が
どこかに吸い込まれていくわけでもなく、暗い部屋は暗いままで留
守電のランプすらついていない。
 あかりをつける気もおきず、三万八千円で買った安物の通販ソ
ファに座り込む。窓のカーテンの隙間から街灯の光が差し込んで、
ぼんやりと私の身体が照らされる。私は今日の昼休みに立ち寄った
デパートの輸入雑貨コーナーで買ったヘンケルの赤いキッチンハサ
ミをバックから取り出してソファの前にあるガラステーブルの上に
置く。
 そして、いつものように両手を開いて、目の前にもってくる。
 私の手にはなんの特徴もない。
 切り傷ひとつ、ついていない。

 秋津美紗子というあまり有名でない昭和初期の作家が好きで、特
に「日暮生活」という自伝を何度も読んでいる。明治三十三年だか
四年だかに、瀬戸内の島で貧しい漁師の三番目の娘として生まれた
彼女は、十八歳になると勤めていた郵便局を突然辞め、先に進学の
ため東京に出ていた幼なじみの秋津喜一郎を頼って上京。同時に二
人は結婚し、赤ん坊をもうけた。けれどもアナーキスト詩人として
活躍していた喜一郎は、戦争の色が濃くなってくると政府から弾圧
を受け、投獄された後、原因不明の獄死。その後、流行病で幼い子
供も亡くしてしまう。三十を前にひとりになった美紗子は、女給と
して働きながら雑誌「婦人会」の新人賞に小説を投稿。見事入選し
て作家となった。しかし、いくつかの作品を発表した後、庶民の立
場から社会を見据える作風から戦中は作家活動を停止せざるを得
ず、また終戦後には精神的な病のため、思うように執筆できなく
なった。

 自傷癖。

 東京が空襲に見舞われるころから彼女は自分で自分を傷つける病
に悩まされた。ナイフや包丁、あるいは鋏で自分の腕や足、時には
胸や顔さえも傷つけた。そのあまりの酷さ耐えきれず、彼女は自ら
精神病院へ出向き、入院した。担当した医師が、彼女の小説を読ん
でおり、彼の強い奨めで、自伝を書き始めた。これが後に「日暮生
活」として出版されることになる。だが二年四ヶ月に及ぶ治療は芳
しい効果もなく、最終的に病院を脱走した彼女は、岡山から故郷の
島へ渡る途中、連絡船から瀬戸内海へ身を投げてしまう。

 彼女がなぜ自分を傷つけるようになったのか。

 この疑問に答えるのはひどく難しい。特別な人気のない彼女には
評論らしきものもなく、たよりになるのは数少ない小説の巻末にあ
る解説と、彼女自身による「日暮生活」ぐらいだ。
 ところが解説といえば、同じ人間(鶴城真一という大学教授だ)
が繰り言のように同じ話を書いているだけで、何冊読んでも情報は
増えない。一方「日暮生活」は、もともと空想好きだった美佐子が
精神的におかしくなっていたこともあり、自伝といいながら現実と
妄想が区別なく書かれている。そのうえ、五〇年以上もたった今で
は、そこに書かれている出来事のどれが事実であり、どれが虚構で
あるのか、また虚構が何を暗示しているのか、確かめようもないこ
とばかり。
 唯一の解説者である鶴城氏によれば、晩年、彼女が自傷癖にとり
つかれたのは、夫と子供の死があいつぎ、しかも社会情勢上、小説
を書くことすらも禁じられたことが、精神を蝕んだのだと、あっさ
りと何の疑問もなく説明されている。
 しかし、ほんとうにそうだろうか。
 鶴城氏は触れていないが、「日暮生活」には、彼女が自傷行為に
及ぶにいたった過程が書かれてある。
「日暮れ時に、ぼんやりと長屋の二階からおもてをみていると、な
んだか急に、落ちていく夕陽のかわりに、なにか明るいものを用意
しなければとおもいました。(中略)そうして、ああ、わたしを切
り裂けばよいのだ、そう考えたのです」
 そして彼女は「まっすぐ台所へむかい、立てかけてあった包丁
を」つかんで、しかも「水ですすいで」から、左手の甲を「切りひ
らいた」のだった。
「わたしは微かに痛みを感じながらも、ぼんやりとその光をみてい
るのだった」
 この章の記述はここで終わっている。いったいどうして「明るい
もの」がほしくて自分を傷つけるのか、そして、最後に彼女がみる
「光」とはなんなのか。
「日暮生活」の最後の章にある、精神病院での医師とのやりとり
に、こんなくだりがある。

「先生。先生はお医者様だから、わたしよりなんでも知っていらっ
しゃるようですわね」
 と、体温をはかりにきた菅谷先生に、わたしはまたちょっかいを
出してみました。
「いやいや、わたしはね、精神科の医者なんぞをやっておりますが
ね、人間のこころというものが、とんとわからないのですよ。あな
たのほうがおそらくよく知っていることでしょう。さあ、わきをあ
けて」
 菅谷先生はいつものように、わたしのわきのしたに、体温計をは
さみこんでくれました。
「まあ、ご謙遜。わたしだって人さまのこころなんて、わかりませ
んわ。それでも先生。からだのことなら、先生の知らないことを
しっておりますわよ」
「ほう、なんでしょう」
「先生、手術で生きている人を切ったことはおありでしょう」
「ええ、これでも医者ですから」
「でも、先生、暗闇のなかで切ったことはないでしょうね」
 先生はすこし驚いたような困ったような顔をして、目の玉をくる
りとまわして、わたしは先生のその表情が五歳のこどものようにあ
いらしく、いとおしい。
「ええ、そういうことはないですね。暗闇では手術ができませんか
らね。それで、それがなにか」
「先生、わたしたちのからだの内部は輝いているのですのよ。皮膚
に遮られてみることはできないのですけれど」
「まさか、わたしは明るいところでは切ったことがありますが、光
などなにも見えませんでしたよ」
「フフフ、先生、空に浮かぶお月さまも昼に顔を出すときは、光っ
ておりませんでしょう」

 私は両手を眺めるのをやめて、ソファから立ち上がり、ベッドの
下に隠してある旅行用のスーツケースを引っぱり出す。そして、ソ
ファの前に戻り、スーツケースを開けて、中身をガラステーブルへ
並べる。数は百以上あるだろう、それらは小さなガラステーブルの
上には乗り切らず、床へと進出する。柳刃、薄刃、出刃、洋包丁、
三徳包丁、中華包丁、ペティナイフ、アーミーナイフ、アウトドア
ナイフ、ダイビングナイフ、カッターナイフ、剪定ハサミ、芽切り
ハサミ、クラフトハサミ、キッチンハサミ。
 私は左手を開いて、目の前にもってきて、今日買ったハサミを右
手にもつ。すると、彼女が現れる。安物の通販ソファに座る私を見
下げて立っている。
 彼女はいつもきまって同じ事をいう。
「知らないでよいことだって、あるのよ。世の中には」
 私はハサミを放り投げ、そして笑った。大声で笑い、それから卑
屈に笑い、無理矢理笑い、笑いに笑って笑いながら、泣いていた。