第10回3000字小説バトル
Entry21

暖かい雨

「ねえ、マジ」
「だからやるって言ってんじゃん」
 森島あつきは中川裕介の返事にため息をついた。
 五月。二人の上に広がる青空。音もなく流れていく雲。遮るもの
は何もない。足元から昼休みのざわめきが伝わってくる。しかしゴ
ールデンウィーク明けの校舎は、どこか気だるさを残しているよう
だった。
 いつの頃からか自殺という単語を口にするようになった中川。生
きてたってしょうがないじゃん。それが自殺の理由。だからって死
ぬことないじゃん。あつきはそれ以上の言葉を返せない。そして今、
二人は自分達の通う高校の屋上にいる。中川が今日と決めたのは、
雨が降ったら濡れるから。
「なんで死ぬわけ」
「何回も言ったろ。お前、生きててなんかいいことあった?」
「ないよ、けど…。お前、好きなヤツとかいないの」
「何それ」
「だから、いればそいつのこと思ったら死ねないだろ」
「いない」
 いともあっさりした答えだった。
「じゃあさ、オレはどうなんの。友達ひとり減っちゃうんですけど」
 それまでフェンス越しに校庭を見下ろしていた中川が、座ってい
るあつきの隣に腰を下ろした。太陽だけが一億五千万キロの彼方か
ら二人を見ている。
「友達なんてすぐにできるだろ」
 黙っているあつきに中川は続ける。
「お前んちのオヤジとお袋って仲いい?」
「ああ?」
「うちの親見てると思うわけ。なんで結婚したのかなあって」
「うん」
「二十年くらい前?恋人だったわけじゃん。で、好きだから結婚し
た」
「ああ」
「でも変わってくだろ、いろいろ」
「まあね」
「友達もおんなじってこと。大学行って就職してバラバラになれば、
自然に会わなくなる。そうだろ」
「そうかな」
 あつきは反論したかったが、やはり言葉がみつからなかった。
「じゃ、オレそろそろ行くわ」
 中川はフェンスによじ登ろうと手をかけた。
「ナカ、ちょっと待てよ。待てったら」
 目の前で人が、それもよく知っている友人が自殺を図ろうとして
いるのに、夢の中のように体が重く止める手に力が入らない。
「おいっ!」
 背後からの大声に二人が振り向くと、校舎との出入口のドアの前
に蒼白の男性教師が立っていた。と、次の瞬間には腹の出た中年と
は思えない速さで中川に駆けより、フェンスから引きずり下ろした。
火事場の馬鹿力ってこういうことかと、あつきは思った。

 退屈な生徒達の日常に刺激を与えてしまった二人は、それからし
ばらくの間好奇の目にさらされることになり、顔を合わせることす
らできなくなった。死ななかったんだからよしとする学校側に、中
川は母親を呼び出されたものの、形ばかり事情を聞かれただけで終
わった。しかし、あつきの方は頭に血がのぼった担任にさんざん問
いつめられた。
「じゃあ、森島君は中川君が自殺するって以前から知ってたってい
うの」
「あ、はい…」
「どうして誰にも相談しなかったの!」
「いや、あの、相談って、そういう問題じゃ…」
「じゃあ、どういう問題なのっ!」
「金子先生、落ち着いてください」
 苦虫を噛み潰した顔で教頭が割って入る。
「中川君が飛び降りようとするのを君は黙って見ていた。そうだね」
「黙って見てたわけじゃ…」
「でも、止めなかった。それはなぜ」
「ナカ、中川の言ってることが正しいっていうか…よくわかるから
…止められなかった?」
 首をかしげるあつき。
「中川君の言ってることって?」
 金子が血走った目を向ける。
「生きてたってしょうがないって」
 ひいっという悲鳴が金子の口から漏れた。長い間教師をやってい
るけどこんなことは初めてとか、あなた達の世代は残虐なゲームや
漫画で育っているから命の大切さがわからないという意味のことを
ブツブツつぶやく金子を、興奮しないでと教頭がなだめる。
「先生にはわからないと思う」
 はっきりとした口調に金子と教頭はハッとして、あつきの顔を見
た。
「命がどうとかじゃなくて…。もし中川が苛められてるとか、なん
か悩んで死ぬっていうんだったら、オレ絶対止めてた。誰かに相談
したかもしれない。けど中川が言ってるのはそういうことじゃない
んです。うまく言えないけど」
 ついに教師や両親が納得できるような答えは、二人の口から得ら
れなかった。一時は、またこんな問題を起こされては困ると二人に
精神鑑定を受けさせる話まで出たが、結局何も処分が下されること
はなかった。

 梅雨に入ったのか、ここ数日すっきりしない天気が続いている。
帰宅したあつきはケータイを取り出して自分のベッドに寝転がり、
中川のそれにかけた。何度か呼び出し音が鳴って相手につながった。
『もしもし』
『あ、ナカ?やっとつながった』
『ああ、お前も切ってただろ』
『イタ電めちゃめちゃすごくて』
『オレも。悪いな、お前にまでヤな思いさせて。金子、すごかった
んだって?』
『別に。お前、森島には関係ないって言ってくれたんだろ。だから
退学とかなんなくてすんだんだって、うちの親言ってた』
『違うよ。これが表沙汰になったらヤバイじゃん。なんで退学にな
ったのかって。自殺未遂ってわかったら学校の名前に傷がつくじゃ
ん』
『そっか』
『そういうこと』
『まださ』
『ん?』
『死にたいと思ってる?』
『う〜ん、どうかなあ。当分やめとくわ。今度失敗したら間違いな
く精神病院入れられるし』
『でも、いつかはやる?』
『多分ねー』
『あのさ、初めて話した時のこと覚えてる?』
『あつきと?体育祭かなんかん時?』
『じゃなくて、雨の日』
『ああ、傘』
『そう』
『入れてもらったね、そういえば』
 遡ること一年前。新入生の肩書きもとれた頃。下校間際に降りだ
した雨。あつきは、濡れながら自分を追い越して走っていくクラス
メイトに声をかけた。
『思い出した?で、思うんだけど』
『うん』
『ナカの話さ、ナカの言う通りだと思うんだけど』
『なんの話』
『だから、いつか友達じゃなくなるって話』
『ああ、それ』
『でも、やっぱオレ、傘忘れたら入れてほしいわけ。お前が持って
なかったら、また入れてやるし』
『サンキュー』
『だから死ぬの、ちょっと延期しない?』
『ちょっとって?』
『例えば卒業するまでとか。なんか、そういうのってオレにはすご
い大事だから』
『傘が?』
『傘だけじゃないけど。何言ってるかわかんないか…』
 電波のフィルターを通した小さなため息が、中川の耳に届いた。
『すごいよくわかる』
 中川は立ち上がって部屋の窓を開け、ケータイを持っていない右
手を外に出してみた。手のひらにあたる雨が、次に来る季節を教え
てくれている。
『あったかいわ、雨』
『雨?お前、どこにいんの?』
『いや、うちだけどさ。あつきの言ってることわかるよ』
『ほんと?じゃあ、それだけだから。切るわ』
『ああ、また明日』