第10回3000字小説バトル
Entry24

月の花

 とある新興住宅地で、噂になっている事があった。
 毎週土曜日になると、住宅地のど真ん中を通っている道近くの公園にスーツ姿の男性が現われ、
「月の花を咲かせたいので、貴方の時間を頂けませんか?」
 と言うのだ。怪しげな宗教家と断ると、
「時間といっても睡眠中の時間です。勿論その分体が休めないという事はありません。下さるならご希望の夢を見せて差し上げます。一度だけお試しになりませんか?」
 としつこく勧める。
「これが月の花です」
 彼は手に下げた袋から一鉢取り出すと、誰が見ても美形なその顔立ちで微笑む。その可憐な花にか彼にかは判らないが、大抵の女性はつい頷いてしまうそうだ。
 相手が男性の場合は、大概酒場で声をかけられる。
ただしこちらは妖艶な美女だったが。
 ともかく何の被害もないし、広い住宅地には色々な人がいるものと、住民は割り切って接していた。


 平日真夜中の午前1時、俊平は天体望遠鏡を持って噂の公園に来ていた。趣味が天体観測という彼には、自分の住むマンションの屋上という観測には最適の場所がある筈だったが、あいにくと鍵がかけられていて、次に見通しがいいのはこの公園だった。
静寂に包まれた公園で、俊平は望遠鏡を木々が邪魔にならない所に設置した。レンズを覗いて見える星のきらめきに飽く事なく目を奪われていると、ふいに肩を叩かれた。
「!」
 声にならない程驚いて振り向くと、すぐ側に男女が立っていた。
「あなたは星を見ているのですか?」
「そうですけど………」
「月も見ますか?」
 男が言い、俊平はこれが噂の二人かと思った。確かに美男美女であり、女性はみとれるほど美しい。
「見ますよ」
「夢は見ますか?」
 こんな夜中にも勧誘かと思いつつ、答えた。
「何だよ、時間の代わりに好きな夢を見せてくれるのか?」
「………そうよ。何が見たい?」
 女が艶のある声で囁いた。


「俺は………月の夢が見たいな」
 俊平はなにげに答えた。
「本当に?」
「まあね」
「ならばあなたを、招待します」
 男が言い、女が俊平に腕をからめた。男は天空を真っ直ぐに指差した。
「私達の住居にですよ」
 停電で暗闇の中に一本だけ灯されたロウソクが、何かの拍子にフイと消えた。いつもは隠れた闇の存在が視界の全面を支配する、そんな体験を俊平は思い出した。
 最初は雲に隠れたかと思った。だが違った。
満月から半月へ、半月から三日月、細い細い一本の線に。月は刻々と姿を変え、光を失い、天空から消え去った。
ポコリと天空に黒い穴が空き、そこから銀色の線が地上に流れると、俊平の前にUFOがスッと現れた。
「さあ、どうぞ」
 男はワゴン車サイズの発光する物体を、指差した。
「こ、これは………」
「私達の住居ですよ。貴方達の言葉で言うとUFOですね」
「じょ、冗談はやめてくれ。あんた達、う、宇宙人か」
「そうよ。あの月は私達が改造した乗り物よ。あまり長く宙を空けておくと、他の人に気づかれるわ。行きましょう」
 女は俊平の背後から体に腕を回した。そのまま軽々と持ち上げられ、俊平はなすすべもなくUFOに連れ込まれた。


ワゴン車サイズのUFOは外見と違い、とても広かった。座り心地のいいソファらしき物に腰掛け、眼下に青い地球を見ながら、俊平は男から説明を受けていた。
「私達は月の花の栽培業をしています。これがその花です」
 俊平は幾重にも花びらが重なった白い花を一鉢見せられた。シャクナゲに酷似したそれは、時々七色の光を放った。
「私達は白い色を”月”と言います。月の花は、星の隕石で育ちます。隕石を得る一番早い方法は星を崩す事、私達は”花”と言いますが、貴方達の言う”月”に”花”を咲かす事にしたんです」
 俊平は、唾を飲み込んだ。
「もっと判りやすく言えよ」
「月を破壊します。もう宇宙連合に許可は取ってあります」
 女が俊平の隣に突如腰掛けた。甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「けど月は貴方達の鑑賞物だそうだから、どれくらい関心があるか、月の夢を見たいと希望するかで調査したのよ。そしたらあなただけだった」
 俊平は顎先に指をかけて、自分の方を向かせた女を振り払った。
「君は月の夢を見たいと言った。だから救う。破壊の際、地球に隕石は落とさないつもりだが、万が一の場合に備えて月を愛する者は一緒に連れて行く。明日にはお帰しします」
 それだけ言うと、二人は部屋を出ようとした。
「――待て。そんな事させない」
 震えながら俊平は立ち上がった。体中の筋肉が緊張で悲鳴を上げていた。
「月が好きな奴は沢山いる。学者だって、俺のクラブの奴もそうだ。こんなUFOに乗り切らないくらい、いる」
「………千人程なら収容出来ます。明日までに集まりますか?」
 振り返ると、男はドアに寄りかかりながら言った。
「それは」
 不可能だ。男は意地悪く笑い、俊平を手招きした。続き部屋に通されると、突然目の前が、あまたの星々で占領された。
「我々は、この広大な宇宙で幾多の星系と取引しています」
 部屋全体がスクリーンで、俊平は宙に浮いているような錯覚に、一瞬捕われた。
「月は本当に小さな星。このスイッチで住居と分離します」
 男は天の川に浮かぶ二つのスイッチの内、黄色を指差した。
「こっちが月破壊よ」
 女が赤いスイッチを差す。にじみ出る色気がうっとおしくケラケラと笑いながらアッサリ押してしまいそうな、そんな風に思えた。
「やめろ。月には人類の初足跡があるし、物語もある。昔から人々に愛されてるんだ。頼むからやめてくれ」
「もう、遅いです」
 男はスイッチを押し、軽い振動で地球が遠ざかっていった。
「こっちも押す?」
「やめろっ」
 俊平は駆け出した。決して足は速くない。それでも女をスイッチから引き離して押さえ込むには十分だった。
 武器などない。だが緊張しきった腕は女の首に廻され、尋常ではない力で締め上げようとしていた。体全体から汗が流れて、そのくせ体温が下がっている気がした。
「苦しい………」
 女が呻き声をあげた。
「やめないなら俺はこいつの首を締め上げる」
 男は壁を背にした俊平にゆっくりした歩調で近づくと、微笑んだ。
「判りました。破壊しません」
「――本当か」
「ええ。多くの人が夢に見ずとも月を大切にしていると知りましたから。あなたは今すぐ地球に帰します」
「俺が降りた途端、破壊するんじゃないのか」
「我々は暴力は好みません。あなたを捕らえる事は簡単ですが、紳士的行為に反します」
 男は俊平の腕をそっと、女の首から外した。途端に女が咳込み、床に座り込んだ。
「地上へ」
 男が命じると、UFOは地球に帰還した。


 ――俊平が戻ると、地球は既に朝を迎えていた。無断外泊を両親に怒られた後、夢心地のまま俊平は学校に行った。
 彼らは約束を守り、数年たっても月は天空にあった。
 俊平が去った直後のUFOではこんな会話が交わされていた。
「兄さん、今回はやりすぎよ」
「痛かったか?腕は簡単に外せただろう」
「外すなとテレパシーで伝えてきたのは兄さんでしょ。それより今回は宇宙連合のお使いで、地球人の意識調査が目的なのに、月を破壊するなんて嘘ついて」
「あれは本当だよ。あまりに地球人が宇宙に関心がないなら、仕事に役立つし破壊してもいいと許可はもらった」
「関心ないわけないでしょ。あちこちに宇宙衛星があるし」
「そうだな。今回の報告に大きく書いておくよ。“地球人は月を愛す”とね」