ジョバンニが丘へ上る坂道へ登り始めた時は、まだ西の空には夕 焼けの赤い色が残っていた。 それでも星祭りの日は、日が落ちる前から町の明かりはすべて消 されることになっていたから、暗くなりはじめた東の空には、いつ もより沢山の星が見えはじめていた。 今日は星祭りの日だ。昔は「ケンタウルス祭」といったが、今で はもうそんなむつかしい呼び方はしない。町の人がみんな丘の上に 集まって、星を眺めるのは昔のままだが、いつのころからか、みん なそれぞれ自分の星や、好きな動物の仮面をかぶって集まるように なった。 だからジョバンニは牡牛の仮面をかぶっている。 「ジョバンニ、ラッコの上着がくるよ」 暗がりのなかから、友達のだれかがジョバンニに声をかけたが、 ジョバンニは気がつかないふりをして歩き続けた。それはジョバン ニに対するいつもの挨拶のようなものだ。 ジョバンニは「星祭り」の始まりが、ジョバンニのおじいさんと 関係があることを、ずいぶん前にお父さんから教えてもらった。 ジョバンニのおじいさんがまだ子供のころこの町の川で遊んでい ておぼれかかった小さい子供を、おじいさんの友達のカムパネルラ が助けようとして、子供は助かったけれども代わりにカムパネルラ が川に流されてしまった。みんなで必死に捜したけれどもカムパネ ルラは帰ってこなかった。カムパネルラは小さい子供の代わりに死 んだんだ。 カムパネルラが死んだ夜、ジョバンニのおじいさんは、星空の中 をカムパネルラと二人で鉄道の旅をする不思議な夢を見た。そして その話を一人の詩人が童話に書いた。それは「銀河鉄道の夜」とい うとても有名な童話で、そのことが「星まつり」の始まりなのだ。 「ジョバンニさん」 ジョバンニはもうすっかり暗くなった丘の、中腹あたりまで来た とき、すぐ横を歩いていた女の子に声をかけられた。女の子は白い 大きな犬の仮面をつけていたが、金色の髪の毛を見た時、同じ会社 で働いている安茂野さんだとすぐにわかった。このあたりで髪の毛 が金色なのは安茂野さんだけだ。 「どうして僕だとわかったの」 とジョバンニがいうと 「ジョバンニさんのことはわかるの」 と、暗がりの中で安茂野さんは答えた。 「今日はきれいな金髪になっている。まるで星の色みたいだ」 「そう、すこし前から」 安茂野さんの髪の毛はとても不思議で、季節によって色がかわる らしい。例えば春や秋には、菜の花や紅葉のような色になるし、冬 にはまるで、頭の上に雪をかぶったように真っ白になる。そして今 の季節は、星の色のような淡いきれいな金髪になっている。 季節だけでなく、その日の天気によっても変わる。天気のよい日 は空の色で、夕焼けの時は茜色。でも風の強い日や、竜巻の時なん かは、朝起きると部屋中で髪の毛がうづまいていたり、去年の台風 の時なんかは、髪の毛に引っ張られて身体まで部屋中を飛び回るか ら、まるで宇宙遊泳のようだったと言っていた。 「もう、ケンタウルスが空の上にきているかもしれないね」 あたりはすっかり暗くなって、空一杯に星だ広がっていた。二人 のところからは丘で星空を見上げているたくさんの人達が見えた。 そして、その上に東から西へ大きく銀河の流れているのが見えた。 「もっと早くきたかったんだけど、今日は仕事が多くて」 と、安茂野さんがいった。 二人の働いている印刷会社は、昔は活版所といわれて、ジョバン ニのおじいさんもそこで働いていた。ジョバンニのおじいさんは本 を印刷するための活字を拾って活版する仕事をしていたが、今では 「MAC」というコンピューターを使ってみんな仕事をする。 丘の上に着いた時は、二人ともすこし汗をかいていたから、風が 気持ちよかった。丘の上から町を見下ろすと、真っ黒で今日は何も 見えなかった。 ジョバンニは銀河を見上げた。それはまるで、天井のように頭の 上いっぱいに広がっていた。そして東から西の空へゆっくりと大き く流れているのがわかった。それから東の外れの岸にケンタウルス の小さな星達が見えた。ケンタウルスの星たちはカムパネルラを捜 すために集まってきたんだ。 「私ね、こうしてケンタウルスの星や、たくさんの銀河の星をみて いると、ジョバンニさんのおじいさんや、カムパネルラさんといっ しょに鉄道の旅をしているような気持ちになるの」 「君は、ほんとうにカムパネルラさんが好きなんだね」 「だって、あの時、カムパネルラさんが助けてくれた子供は、私の おばあさんですもの」 ジョバンニはすぐ横にたっている安茂野さんのほうを見た。 星を見上げている安茂野さんの髪の毛は、まるでゴッホの絵の「 星月夜」の糸杉のように、高く高く揺れながら、星空にむかって伸 びていった。