第12回3000字小説バトル
Entry21

地主とホステス



 中央線も吉祥寺を過ぎて高架がゆるやかに地面に降りてくるあた

りにさしかかると、風景はひどくのんびりしてくる。

その辺りに住まうのは都心へ通う勤め人やら学生やらがほとんどで、

そののどかさが彼らの心を労わることもあれば苛立たせることもあ

った。

 踏み切りから線路伝いに駅へ向かう途中には商店の連なりがあり、

いちおうの賑わいを見せているものの、肝心の駅前は農家風の大屋

敷に占拠されていて窮屈な印象を与えている。野球場が二面は取れ

ようかという広大な敷地には高い塀が巡らされ、それが必要以上の

圧迫感を醸し出しているのかもしれない。

 人々を威嚇するように立地している大屋敷の、駅とは反対側の道

路に面した一角に、いかにも素人が拵えたという造りの小屋が立っ

ていて泥つきの野菜が並べられている。「今朝畑で採れた野菜です。

どれでも百円」と極太のマジックで記されたダンボールの切れ端と

アルミ缶が野菜の脇に並んでいる。

 屋敷から出てきた老人が平台の足に縛り付けていた針金を丁寧に

ペンチで解いてアルミ缶の中から小銭を取り出すと、それを数えな

がら薄笑いを浮かべた。最近になってアルミ缶の脇に置かれたダン

ボールの切れ端には「このごろお金を入れないで野菜を持って行く

不届き者がいる。見つけ次第警察に通報」とあり、由紀夫にはその

文字を書き連ねている老人の表情がありありと目に浮ぶのだった。

 その場所からは、それを生業とする意気込みも、地域への奉仕と

いった博愛精神も感じられない。強いて言うならば、「自分のとこ

ろで食べる分だけ作ってるんだけど、余っちゃったからさ。でもタ

ダってのは癪に障るから、百円くらい貰って置こうか」という怠惰

な金銭欲みたいなものが伝わってきて、それは由紀夫が通りすがり

に垣間見た老人の薄笑いと結びついているのだった。

「世の中に、それほど悪い人っていないはずよ」

 ミカちゃんの口癖。えげつない現実というものを嫌というほど見

せつけ、見せつけられ、それを満員電車の中で圧縮した勤め人たち

が、そんな言葉に他愛もなく転がされている様は母親に甘える幼な

子のようだった。ミカちゃん、水割りおかわり。ミカちゃん、煙草

切らしちゃった。ミカちゃん、領収書の金額2万7千円にしておい

て。甘える男たちに彼女があたえる返事は、しかし「はいはい」で

も「はいはーい」でもなく、短く「はい」。素早く立ち上がってぱ

たぱたと用事を済ませる聖母の横顔は、曖昧な間接照明の中にあっ

ても端正に映えていた。

 珍しく定時で仕事を切り上げた由紀夫はホームに降り立った瞬間、

足元が浮き立つような居心地の悪さを覚えた。改札口から駅前広場

へとつながる階段をそうする必要もないのに早足で駆け降りながら

予想外の早さで帰宅した亭主を迎える妻の戸惑いを入念に思い浮か

べ、それをパチンコ屋のぎらついた自動扉をくぐる理由と定めた。

 銀玉を弾くのは実に久しぶりのことで、予めカードを購入してか

ら台の脇にあるスリットに挿入して玉が受け口に満たされるという

ことを店員に教えてもらわなければならないほどだった。それでも、

正確な意味のビギナーズラックではなかったにせよ、あっけなく何

度か大当たりを的中させて店員が厳かに足元に運ぶ3つの大箱を満

たした。他の台を見ると大箱を10あまりも積み上げてなお遊戯を

続行させている客も珍しくなく、最近のパチンコでは3つの大箱で

は勝ったうちに入らないのかもしれないと思いながらも交換所で1

万2千円を受け取ると、由紀夫はホームに降り立って以来の居心地

悪さをいっそ開き直って受け入れることにした。

 7時を過ぎたばかりの店内はやはり予想通りがらんとしていて、

カウンター席の一角に腰を引っ掛けてビールを注文すると照れ笑い

を禿げ上がった額に張りつかせたようなマスターがにゅっと顔を突

き出して注文を復唱した。はじめて入った店なのに居心地の悪さを

感じないのはやはりポケットに忍ばせた1万2千円の力だろうか。

3枚の紙幣を指の腹で確かめながら煙草を取り出すと、濃いブルー

のワンピースを着た若い女が店のどこに潜んでいたのか音もなく近

付いてきてライターの火を差し出した。由紀夫の頭にホステス、と

いう言葉が過ぎり、その古臭い語感に呆れながらもパチンコ屋以上

にごぶさたしているこのような場所にいるそのような女性をどう称

したらよいのか、受け入れることにしたはずの居心地悪さが不意に

立ち昇ってきて苦笑を浮かべると、

「ミカです。よろしくおねがいします」

 あっけらかんとした発声でミカちゃんは由紀夫の戸惑いを根こそ

ぎ刈り取った。



「まんまとタカハシの罠にはまったってわけですね、お客さん」

 由紀夫が飲んでいたビールがバーボンへと変わる頃、ボックス席

はさまざまな圧縮から解放された勤め人たちで満たされた。他に「

ホステス」はいないらしく、ミカちゃんは三つのボックス席を機敏

に動き回り、しかし忙しないといった印象からはほど遠く、かとい

って媚びを売るという風もなく、こういう子が部下に一人いたら会

社に行く楽しみができるんだがと中年男に思わせるような気の利か

せ方で水割りを作ったり料理を運んだり話し相手になったりしてい

た。

「タカハシって?」

 あまりカウンターに寄れなくて申し訳ないという意味なのだろう

か時折投げかけられるミカちゃんの視線を笑顔で受け止めつつ、由

紀夫はマスター相手にとりとめもなく言葉を交わしていた。薄く水

で割ったバーボンを勧めるとマスターは顔をくしゃくしゃにして笑

い、由紀夫は酒場に似合わぬ素人風の立ち居に好感を抱いた。勧め

られるままにグラスを重ね顔を赤くして笑うマスターはただの酔客

と見紛うほどで、つまみを皿に盛る手つきは怪しくなり、よくよく

聞き出してみると店で働き始めてまだ半年、その前はどこかの会社

で経理係をやっていたとのことだった。

「ほら、駅前に大屋敷があるでしょ。あれがタカハシさん」

 上機嫌に酔うマスターを呆れたように睨み付けながらミカちゃん

がカウンターに回り、滞っていたつまみを皿に盛ってワンピースの

裾を軽やかに翻した。マスターはもう立っているのも億劫なのか棚

の少し張り出した部分に腰を引っかけ据わった目でグラスを舐めて

いる。ミカちゃんは由紀夫の耳元で「ちょっと待っててね」と子供

に留守番を言いつける口調で囁くとボックス席のざわめきの中へ戻

っていった。

 つまりパチンコ屋もスナックもこの辺一帯の大地主であるところ

のタカハシさんの所有物であり、由紀夫はうまいことタカハシさん

に金を使わされていたということになるらしい。止めどもなく饒舌

になったマスターの挿話をさらに付け加えるならば、このスナック

はタカハシグループの利益調整弁のような役割を担っていて、適当

に赤字を出してグループ全体の節税対策を講じるのが元経理マンた

る彼の仕事の眼目なのだった。

 ボックス席を一段落させたミカちゃんがそっと由紀夫の隣りに腰

を下ろした。その横顔には微かな疲れの翳りが見える。マスターは

棚に背をもたれかけたまま鼾をかいている。

「それほど悪い人じゃないんだけど」

 ミカちゃんは翳りを隠そうともせずそう呟いて煙草に火をつけた。

由紀夫はその立ち昇る煙を見ながら彼女もまたタカハシの所有物な

のだろうかと考えた。

 妻の待つハイブリッジマンションがやはりタカハシの所有物であ

ることに由紀夫はまだ気付いていなかった。











[QBOOKS]
◆QBOOKSに掲載の記事・写真・作品・画像等の無断転載を禁止します。
◆投稿された各作品・画像等の著作権は、それぞれの作者に帰属します。出版権はQBOOKSのQ書房が優先するものとします。
◆リンク類は編集上予告なくはずす場合がありますのでご了承ください。