星のない夜、森林に響いていた飛虫の羽音がふいに聞こえなくな った。 闇が浮き出したように、四人の武装した人影が現れる。 先頭の隊長は、屈強そうな隊員の中で頭一つ背が低い。森林迷彩 の軍用アーマー越しに僅かにうかがえる体型から、女性である事が 分かる。 彼らは森の先に見える明かりに向け、音も立てずに走る。程なく 森が切れ、村が現れた。 隊長は、その中でひときわ大きな建物を指す。 入口は二人の番兵が固め、両脇に油を使ったかがり火が焚かれて いる。そして、屋根の上にはこの惑星特有の獣の頭蓋骨が置かれて いる。何より特徴的なのは、壁一面に書かれた呪術的な文様だった。 隊長が樹上に控えていた狙撃手にハンドサインを出すのと同時に、 番兵はものも言わずに倒れた。 次の瞬間。 タタタタタ! 建物の背後に廻った陽動部隊の銃声が響き渡る。同時に、隊長た ち四名は、正面から突入した。 皮張りの廊下を走る最中、何人かの槍で武装した敵兵が現れたが、 隊長の小銃の一斉射で全て沈黙した。 そして一番奥に分厚い骨の扉があった。隊員がショットガンで蝶 番を壊すや、隊長が扉を蹴破った。 が、広い部屋の中には、誰もいなかった。 「上だ!」 部下たちがベッドを踏み台に、隊長は天井に飛び付く。 屋根に上がると、丁度真正面におぼつかない足取りで走る男の姿 が目に入った。 「止まれ!」 タン! 軽い銃声が、村に響き渡った。 隊長はうつ伏せに倒れた男に駆け寄って、まだ煙の立つ小銃を突 き付けた。 「抵抗するな」 男が振り向く。 その幼さは残るが限りなく優雅で整った顔に、隊長は一瞬だけ引 き金から指を離しそうになった。 ふと男が心配そうな顔で、すっと隊長の頬に手を伸ばす。 (え?) 彼女の頬に出来ていた切り傷に、彼の柔らかな指先がそっと触れ た。 「――う、動くな!」 第三太陽系、二番惑星「アトス」、衛星軌道上。 「第十三中隊第一小隊ただいま帰還しました」 隊長は敬礼する。 「ご苦労、柘植しのぶ準尉」 宇宙空母フロンティアの艦長が返礼した。 「アトスの独裁者である呪術師『空帝』をよく招待してくれた」 (ものは言い様だな) 皮肉っぽく柘植は笑う。 (地球に連行した指導者を脳改造、傀儡とし住人を意のままに操る。 確かに血は流れない、穏やかな――侵略だ) 「任務を遂行したまでです」 称賛は嬉しい筈。なのに、胸の奥に小さな棘が刺さった様な居心 地の悪さがあった。 「ふふ、頼もしいな――引き続き空帝の地球への護衛任務を命ずる。 大事な客人だ、丁重に扱ってくれ」 「はっ」 柘植隊長と部下たちは、一斉に敬礼をした。 地球行きの補給船が、空母から発進した。 「おうおう、アトスがどんどん小さくなる」 部下の金京星が何だか嬉しそうに窓の外を眺める。 「はしゃぐな。みっともない」 シートに深く腰をかけながら、柘植は隣りに座る空帝を横目で見 る。手錠をはめ、翻訳用ヘッドギアを着けていてなお、彼の姿は優 雅で、穏やかだった。 (こんな人間がいるのだな――いや、宇宙人か。地球型惑星の常と して、混血可能――わ、私は何を考えている) 柘植は軽く頭を振って思考を中断したが、視線は自然と空帝に向 く。 空帝は両手で印の様なものを結び、何やら呟いていた。 「何をしている?」 「死者への祈りを」 穏やかに彼は笑った。その憂いと慈悲に溢れた笑みは、いかなる 聖人にも真似できぬ程気高く美しく、それでいて優しい。 「……沢山、殺したからな」 「死者に彼我の差はありません」 空帝はそっと柘植の頬に手を触れた。 「怪我は、大丈夫でしたか?」 「あ……ああ、塞がった」 (いかん、捕虜との会話は禁止だった) 慌てて柘植は口をつぐみ、立ち上がった。 「金! 替われ!」 「どこへ?」 「聞くな馬鹿者!」 (何なんだあいつは) 柘植は洗面台の蛇口から水を出し、顔を洗う。 (あれが支配者の気品とでも言うのか?) 水がやけに冷たい。 (恨みもせず我々を気遣う。何なのだ) 目を開けていてさえ、空帝の顔が浮かぶ。 (しっかりしろ、私!) 柘植は頬の傷をぐっと押さえる。 「ぐ……」 だが、痛みと同時に浮かぶのは、彼女に手を差し延べた空帝。 そして彼女が流した血で汚れた、優美な彼の指先。 (私の、血に、まみれた――) もう一度顔を洗い、鏡を見た。 「……醜い」 思わず柘植はうつむく。 涙が溢れ出て、止まらなかった。 地球標準時間午前三時。地球到着間近。 「わぁ」 空帝は声を上げる。周囲が透過性セラミックで出来た銃座は、こ の船で最も見晴らしのいい場所だった。 「あれが見えるか?」 「――あの綺麗な青い星ですか?」 空帝は当たり前のように言った。 「綺麗な……ものか」 奥歯を噛みしめ、柘植は吐き捨てた。 「アトスの侵略を企む奴らが巣くう惑星の、どこが」 「でも、惑星はとても綺麗です」 気負いも媚びも皮肉もなく、あくまで自然に空帝は言った。 「人間は、軍は別だろう」 柘植の口から言葉が溢れる。言わずにはいられない。 「尖兵の私はどうだ。醜かろう、恐ろしかろう、憎かろう!?」 空帝はそっと柘植の頬に触れた。 「貴方は花ではなく刃かも知れない」 触れられた頬が熱い。そこで熱せられた血が全身を沸騰させる。 「でも、あの青い星を守るが故の刃はやはり美しいです。その刃に 誇りを感たとして、恐れや憎しみを抱く事がありましょうか」 長い沈黙の後、柘植はじっと彼を見つめた。 「――逃げよう」 「えっ?」 「私とでは、駄目だろうか?」 「しかしそれでは貴方が――」 「刃は斬らずに錆びるより、斬って折れる事を望むものだ」 連絡船内の廊下を、柘植と空帝は走る。 (妙だ) 走りながら、柘植は周囲を伺う。 (手薄過ぎる) 銃座からここまで、見張りにも隊員にも出くわさない。いくら夜 中とは言っても、手薄過ぎる。 (私の部下はもっと有能の筈だ) 突き当たりの通路を右に曲がった場所に、シャトル格納庫の扉が ある。 が。 曲がり角の手前で、柘植は空帝を止めた。 そして、廊下に設置されている消火器を手に取る。消火装置が破 損した時のための、古典的な粉末消火器。 (せーの) ガン、ゴン、ゴン! タタタタタタタタ! 消火器が格納庫の前に転がって行ったのと同時に、銃声が響き渡 った。撃ち抜かれた消火器から、消火剤の白い煙が溢れ出す。 同時に柘植は空帝の手を引き、煙に突っ込んだ。銃声が響く視界 ゼロの中で、彼女は格納庫の扉を開け放った。 軽い風が起き、煙が吹き飛ぶ。 しかしその時にはすでに、柘植と空帝は着陸用シャトルを発進さ せていた。 「――大丈夫ですか」 柘植の腕は銃弾でえぐられ、血が滴り落ちていた。 「かすり傷だ。ただ――」 「はい?」 「撫でていてくれないか。少し痛みが和らぐんだ」 飛虫が飛び交う夕暮れ、森と同化したビル街に明かりが灯る。 「――ねえそれから? それから?」 子供は話の続きを祖父にせがむ。 「神様は、子供を何人も生んだ。でも、その子供たちは男も女もみ んな男神様と同じ美しさと優しさを持っていたそうだよ」 「ふーん。それで?」 「人間たちは女神様同様、誰もがその男神様の子供たちに惹かれ、 結婚したがった。孫も、その孫もずぅっとね」 「じゃあ僕も男神様と一緒なのかなぁ?」 「さあ、どうだろうね」 祖父と子供は、同じ穏やかな顔で笑った。 ――日の落ちた草むらには、飛虫の羽音以外、いかなる虫の声も 聞こえては来なかった。