第11回3000字小説バトル
Entry25

鷲鼻の奇術師


 マコトは小学生の女の子。都市近郊の静かで平和な街に住んでい

る。タカラ物はビー玉が箱一杯。

 夏の初めの夕暮れ、駅の向こうにある薬局までお使いに行く途中、

マコトはその鷲鼻男とすれ違った。大柄な男は、大げさな黒マント

を纏って、古風なトランクをぶら下げていた。すれ違いざまに男の

マントが風にはためき、音を立てて揺れた。マコトはその音と男の

風体に言い難い不気味さを感じた。大きな口が薄ら笑いを浮かべ、

鋭い目付きと鷲鼻が作る横顔は、お伽話の悪魔のようだった。

 次にマコトがこの鷲鼻の悪魔に出会ったのは、二日後のことだっ

た。マコトの通う小学校の南門からふたつ目の角、ちょうど学校の

窓からは死角になっている辺りに生徒が集まっていた。マコトが背

伸びをして、他の生徒の頭越しに覗くと、真中に鷲鼻の悪魔がいた。

「さあ、坊ちゃん、嬢ちゃん、ちょいと見ていて下さいな。不思議

な事があるもんだ。こちらのボールはこちらに移り、ここのコイン

はこう消える。小さな花も大きくなって、大きな箱は小さく変わる。

消したり出したり、大きくしたり、小さくしたり、奇術の世界のお

楽しみ、お楽しみ」悪魔はそんな口上に合わせて、赤や黄色のシル

クのハンカチを振りかざしたり、引き上げたりして、子供たちに奇

術を見せていた。集まった子供たちは我を忘れて、鷲鼻の悪魔の指

先を見つめていた。

 つまり、鷲鼻の悪魔の正体は、そんな奇術の合間、合間に子供向

けの奇術の道具を売りつける旅の興行師であった。それまでにも、

通学路に風船細工や怪しげな文具を売る興行師が店を広げていた事

はあった。そして、生徒が飽きて寄りつかなくなったり、親や学校

から抗議を受けたりすると、それらの興行師はは、いつの間にかど

こかに消えていった。

「さあ、どうだいこの不思議。君もやってみたいと思わないかい。

大丈夫。難しい練習はいらないよ。ここに並んだ『不思議な奇術セ

ット』を買えば、誰でもすぐにマジシャンになれる。ボールもコイ

ンもトランプも思いのままに操れるよ。今日のところは、お小遣い

の持ち合わせも少ないだろうから、今度うちから持っといで。大丈

夫、明日も明後日も『不思議な奇術セット』はここで売ってるよ」

いつの間にかマコトは前に進み出て、最前列でそんな悪魔の口上を

聞いていた。悪魔の奇術は辺りが暗くなるまで続いた。

「お母さん」マコトは母と夕食の食器を片付けていた。家には母と

二人きりだった。マコトの父は一昨年母と離婚した。「今日、学校

の帰りにね、奇術師のおじさんがいて」皿を拭いていた母は突然咳

き込んだ。母は最近、激しく咳き込む回数が増えた。この間マコト

が買ってきた薬も余り効かなかったようだ。母の咳が収まるのを待

ってマコトは続けた「みんなで奇術を見たんだよ」母は昼間、パー

トで働いていた。「とっても不思議な奇術でね……」食器を片付け

終わってもマコトは話し続けた。マコトは昼間の感動をなんとか言

葉にしたかったが、母は「そりゃあ良かったわね」と短く答えただ

けだった。「だから、私もね……」母はまた咳き込んでしまった。

タイミングが悪すぎた。しかし、いつ話を切り出したとしても、母

はマコトの過去の無駄遣いを責めて、それで終わるに違いなかった。

なぜ母がパートを休んで病院に行くことを嫌がっているか、マコト

はマコトなりに理解していた。だから、マコトは『不思議な奇術セ

ット』を諦めることにした。

 毎日、授業が終わるのを待ちかねて、マコトは鷲鼻の奇術師の妙

技を眺めた。いつも二列目に立って指先を見つめていた。他の生徒

は、特に男子を中心に『不思議な奇術セット』を競って買い求めた。

何も買わないのに最前列に並ぶのは気がひけた。

 しばらく学校は、奇術ブームに沸き返った。男子のほとんどが『

不思議な奇術セット』を持っていたし、中にはそれを教室に持ち込

んで休み時間に練習したり、仕掛けを得意気にばらしたりする生徒

もいた。熱狂は生徒たちの向学心に影響を与え、親や先生は当然、

いい顔をしなかった。奇術の道具を学校に持ち込むことは禁止され、

許可の無い路上販売の摘発を警察に陳情する動きも出てきた。そう

しているうちに、生徒たちの奇術熱も、少しずつ冷めていった。結

局マコトは、『不思議な奇術セット』も購入しなかったし、仕掛け

もわからないままだったが、相変わらず二列目に並んでいた。マコ

トを惹きつけるものは、奇術の道具でもその仕掛けでもなかったか

ら。

 夏休みまで一週間を切った日、今日もマコトは帰りの掃除もそこ

そこに鷲鼻の奇術師を見に行った。この頃では、見物する生徒の数

も随分と少なくなって、輪は一重にしかならなかった。仕方なく、

マコトは最前列で奇術を見ていた。「さあ、坊ちゃん、嬢ちゃん、

ちょいと見ていて下さいな。不思議な事があるもんだ……」

「あれあれ、とうとうお客さんもひとりっきりになってしまった」

鷲鼻の奇術師は手を止めてつぶやいた。気がつくとマコトの周りに

いた数名の生徒は皆、帰ってしまっていた。「お譲ちゃんは随分、

奇術が気に入ったようだね。毎日見に来てくれるものね」「うちに

帰ってもつまらないから……」「そうかい。じゃあもう少し妙技を

披露することにしようかな」鷲鼻の奇術師が次の奇術に取りかかろ

うとするのを見ていられなくなって、マコトは帰ろうと踵を返した。

「お譲ちゃん、まあ、ちょっとお待ちなよ。今日のはちょっと凄い

から」マコトは仕方なく立ち止まった。「でも……」「奇術セット

が買えないからって別に気にすることは無い。奇術にはお客さんが

必要なんだ。それもお譲ちゃんみたいに不思議な世界が大好きなお

客さんが。だって本当の奇術はお譲ちゃんの心の中にあるんだから

ね。仕掛けなんて必要ない。不思議を楽しむ心があれば、本当の奇

術が楽しめるんだよ。いいかい」見る間に鷲鼻の奇術師は白煙に包

まれた……と思ったすぐ後に白煙が消え、不思議な事が起きていた。

「お父さん」「マコト元気かい」「え、でもなんで」「いいから、

いいから」鷲鼻の奇術師はマコトの父に変わっていた。顔だけじゃ

ない。鷲鼻の奇術師の大きな体も小柄な父になっていた。マコトは

お父さんと見たことのない公園へ行って、日が暮れるまで一緒に遊

んだ。ジャングルジムや滑り台でひとしきり遊んだ後、マコトがブ

ランコから思いっきりジャンプすると、白煙に包まれた。気がつく

と鷲鼻の奇術師の前に立っていた。「お譲ちゃん、おわかりかな」

鷲鼻の奇術師はそう言うと、赤いシルクのハンカチをくれた。

 夕食が終わるとマコトは部屋の隅でタカラ物のビー玉を箱からひ

とつ取り出して、鷲鼻の奇術師に貰った赤いシルクのハンカチを被

せて目を閉じた。ビー玉は可愛いらしいハムスターになって、マコ

トの手の中で丸まっていた。次に取り出したビー玉は綺麗な指輪に

早変わりした。ひとつづつビー玉を取り出しては、素敵な物に変え

てみた。部屋中がタカラの山になった。最後に取り出したビー玉を

母のための咳止めの特効薬に変えて、マコトは自分の奇術に大いに

満足した。

 その夜遅く、黒マントを纏って、古風なトランクをぶら下げた鷲

鼻の奇術師は静かで平和な街を後にして、次の街へと渡って行った。

途中あんまり暑いので、マントを脱いで、鷲鼻のマスクも取ってし

まった。「消したり出したり、大きくしたり、小さくしたり、変わ

ったり、奇術の世界のお楽しみ……」












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