第12回3000字小説バトル
Entry17
ワタリ
厚篠孝介
凄まじいまでの豪雨であった。雷光が林の中を逃げる若者を何度か照らした。
何度か振り返りながら若者は逃げていたが、不意に森が途切れ、目の前に真っ黒い海原を望む崖に出て、覚悟を決めなければならなかった。
崖を背にして刀を構えた若者の前に男たちが次々と現れた。
彼らは独特の布子を着て、細い太刀を帯びていた。ワタリと呼ばれる海の忍者である。
ワタリたちは太刀を抜くと、じりじりと若者との距離を縮めていった。雷光が煌くたびに、刀は魚の鱗を思わせるように青白く光った。
「紅毛女をどこへ隠した!」
ワタリの一人が怒鳴った。若者は素早く刀の切っ先を男の眉間に据えて
「馬鹿め、紅毛人がこんな鄙に来るか!」
答えると同時に、だっと走ると目にも留まらぬ速さで一人を切っていた。
「おのれ!」
一斉に襲い掛かるワタリの剣撃をひらりとかわして、若者は2人までワタリを切った。
が、一人に体当たりされると、小柄な若者は転倒して崖のぎりぎりにまで追い詰められた。
「くそ!」
若者はわめくなり、その身を翻して宙へと舞った。
崖を覗きこんだワタリの目には、黒々とした荒れ狂う海原しか映らなかった。
嵐が去って凪となった。海は昨日の怒りを忘れたかのように、青く穏やかであった。
緩やかな一日である。冬になれば玄界灘の海は春まで荒れ続ける。島は春まで外部との交流を断たれてしまう。村では越冬の食料を専ら海の幸に頼んでいたので、ここぞとばかりに舟を出す島民で砂浜は賑わっていた。
勢いよく飛び出した舟に混じっていたうちの一舟が、静かに群れを離れていった。菅笠を舟のともに掛けて櫓を漕いでいるのが見える。初老の男だった。
その船間には魚籠をはじめ、つり道具が無造作に放り込まれている。
三津名崎を迂回して島で唯一、人の住まない須田浦の入り江へと向かっていた。そこが老人の秘密の釣り場であった。
島から大きく突き出した崎の崖に差し掛かったとき、老人は微かに人声を聞いた気がして、声のした崖を見つめた。
崖から無数に生えている松の上で何かが揺れていた。
「ありゃあ人か!」
それはあの、ワタリに追われて崖に身を投げた若者が手を振っているのであった。
「運の良い男だ」
肩の傷を手当てしながら、老人が言った。
場所は須田浦の誰も知らない老人の隠れ家である。小屋の梁から干魚がぶら下がって匂いを発している。破れた投網や、埃だらけの櫓などが部屋隅に積まれている。
「島の者ではないようだが…どこの者だ」
「松浦だ」
「松浦じゃと!するとお前は松浦党の者か」
「うん」
若者は頷いて、少し寂しそうな顔をした。小柄だがよく日に焼けた体が逞しい。ふさがりかけた刀傷がいくつか、諸肌になった体に走っている。
元軍が二度目の来襲に失敗してからまだ一ヶ月たらず。地図にも載らない玄界灘の小島は日本軍にも元軍にも見捨てられたが、博多を初めとする松浦、壱岐、対馬などは二度の襲撃によって徹底的に破壊され、住民も殺され尽くされたはずであった。
「松浦党の男は元軍に皆殺しになったと聞いておったが、生き伸びた者もいたか。それで、なぜあんなところにいたのだ」
老人は無心に干魚を口に運んでいる若者に尋ねた。若者は答えずに何かを考え込んでいたが
「老人、行きたいところがあるのだが、どこか分からぬ。連れて行ってくれないか」
と言った。
老人の先導で歩いていた若者はある地点までくると、勝手に歩きだした。洞窟に近寄った若者は辺りをうかがってから中に入った。
老人は若者の後を着いていったが、奥にいるものを見てぎょっとなった。
女だった。女だとは分かったが、見たこともない人間だった。
うずくまってこちらを見る目が緑色で、髪の毛は灰色で大きく波打っていた。肌は変に透き通っており、座っていても身長が高いのが分かる。
「これは、なんじゃ」
思わず叫ぶ老人に
「紅毛人だ。元国に住む人だ」
若者は答えた。
「元の人間はこんな姿をしているのか」
「いや、この女は元よりもっと遠い国から来たのだろう」
先の台風で難破した軍船の一つに、この女は乗っていたのだろう。
女はじっと老人を見た。女の目は海のように青く、顔は整っているように見えたが、老人にはそれが美しいのか判断する事もできなかった。地獄絵図にも天国絵巻にもこんな目と毛と顔をした人間はいないのである。
「こんな女をどうする気じゃ」
老人は整理のつかない頭で若者に訊いたが、その答えはさらに老人を混乱させた。
「女の故郷まで送ってやるつもりだ」
若者はそう言ったのである。
若者と紅毛女が前を歩き、そのずっと後ろを老人が歩いている。
陽光がまぶしく輝き、秋風が空高くを渡っていった。
ようやく老人にも事態が飲み込めて来た。若者はどういう理由か、紅毛女を故郷へ送り届けようとしている事、玄界灘周辺を破壊しつくされたワタリたちが、それを許すはずが無い事。
老人が逃げようとした時、若者が振り返って
「舟を出してくれ」
と言ったので、老人は足を止められてしまった。
若者と紅毛女と老人を乗せた船が、海に突き出た崖を越えて目多良の村へ向っている。
櫓は老人が操り、女は舟間、若者は舳先にいた。
「女を送ると言って、どうやって送る」
老人が巧みに岩を避けながら訊いた。
「まず高麗に渡ってから元にゆく」
「今は高麗への風は吹かん」
まだ秋である。高麗へ渡るには春の北東風を待たなければならない。
「いや、松浦から潮流に乗れば行ける」
冬になれば玄界灘は荒れ、逆風が吹いて高麗への航海はできなくなる。老人の経験ではそれはもうすぐだ。行くなら今すぐにでも出発しなければならない。
しかしそれ以前に廃墟となった松浦や博多に高麗まで行ける船が残っているのかが疑問であった。松浦党と縁が深い琉球海賊のことが頭に浮かんだが、訊かなかった。
「まあ…高麗についたとして、そこから先は」
「女が知っている」
女の不安そうな顔が目に入った。無理にでも微笑もうとするのが痛々しかった。
舟が目多良村の砂浜に近づくにしたがって、脛まで海に浸けて待ち受ける男達が見えてきた。
「ワタリか」
「しつこいやつらだ。老人、ここで待っていてくれ」
言うや、若者は太刀を取って海に飛び込み、それを見たワタリたちも続々と海に入った。次に若者が水面に顔を出した時にはワタリ目の前だった。
海は数人の男たちを呑み込んだまま静かだったが、不意に青い水面に血が浮き上がってきた。
老人と女が息を飲んで見ていると背を上にした死体が浮き、そして若者がぷはっ、と顔を出した。
手を振りながら泳ぎ寄ってくる若者を見た女が、初めて薄く笑った。
それを見て、老人は好奇心が若者を殺すことにならねばいいが。と思った。
夕日が海に触れて海原に一筋の赤光を走らせる頃、老人は岩場の影で舟に乗った二人と向かい合っていた。
「老人、さらば」
若者は言って、櫓を漕ぎ始めた。
老人は遠ざかっていく二人を見つめていたが、女がつとこちらを振り向き、手を合わせた。
異国の女が自分たちと同じように手を合わせたのが意外だった。
「存外、近いのかも知れぬのう」
老人はつぶやいた。
老人を見つめる女の目は夕日を吸って美しく輝いていた。
二人を乗せた舟はいつしか薄明の闇の中に埋もれて見えなくなった。
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