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第20回3000字小説バトル Entry13

ヘテロ

 目が覚めると真っ暗だったので恐くなって飛び起きた。
 時計を見る。午前二時半。
 ふう。ため息を一つ。隣には薫が静かに寝息を立てている。あたし達は確かに向き合って寝た筈なのに、薫はいつの間にかあっちを向いて寝ているので、ここからは薫の顔が見えない。向こうに顔を回り込ませて確認する。居る。良かった。やった。あたしは彼女のその赤い唇に、軽くキスをした。
 変な時間に目を覚ますと喉が乾く。あたしはベッドを抜け出し、台所へ向かった。
 丑三つ時。静かだ。あたしは黒猫の気分で歩く。



「え」
 あたしは踊っていたので良く聞こえなかった。
「聞いて無かったの?」
「ごめん。何?」
 薫は筆を降ろし、あたしを見た。
 あたしも薫を見た。
 やっぱり薫は綺麗だった。
「ねえ。あたしユウちゃんの踊りを見るの好きだけどさ。休みの日は踊らなくても良いんじゃない?」
「薫だって絵、描いてるじゃん」
「あたしのは仕事」
「まだ終わって無いの? 締め切りは?」
「三日前」
「今回はまた随分と時間掛かるね」
「まあ、ね」
 あたしは絵を覗き込んだ。
 素晴らしい絵だった。幸せに思う。薫。こんなに素晴らしい絵が描けてこんなに綺麗な薫。そんな彼女と暮らせて何て幸せなのだろう。そう思う。
「あと少しじゃない」
「そうだけど、どうしても、ね」
 画面右上に白い空間があった。青い空に囲まれた虚ろな白が、所在無さげに浮かんでいる。
「どうしても、さ」
 薫は爪を噛んだ。
「ねえ」
「うん?」
「さっきの話、何?」
「ああ、忘れるとこだった」
 薫は再び絵に向かった。
「あのね」
「うん」
「あたし、結婚するかも知れない」
 薫は絵を描きながら言った。
「そっか」
 あたしは平静を装って言った。装っただけなので、言いながら心臓が、どくり、と鳴った。
「ユウちゃん、驚いた?」
 薫は絵から目を離さない。
「驚いた、っていうか何ていうか」
 あたしはまた平静を装って言った。言いながら、馬鹿みたいに手が震えた。
「あたしの家の事、ユウちゃん知ってるでしょ」
「親父さん?」
「うん。会社潰して借金抱えてさ。父はともかく、母が可哀想でね。で」
「で、良い所から見合い話でも来たと?」
「そんな感じ」
 彼女は筆を動かし続けた。強い色彩に、空は瞬く間に埋め尽くされた。
「おめでとう」
 あたしの口から出たのは、そんな言葉だった。
「ユウちゃん」
「おめでとう」
 感謝した。他のどんな言葉でも無く、その言葉が出た事を、あたしは感謝した。
「ユウちゃん」
 薫はあたしなんか愛して無い。薫は何も愛して無い。それを知っているから、あたしは感謝した。
「おめでとう」
 感謝して、呪った。そんな言葉しか言えない自分を、呪った。
 あたしは泣きたくなった。涙は出なかった。その事があたしをさらに泣きたくさせた。
 それでも涙は一向に出なかった。



 次の日薫は家に帰って来なかった。その次の日も。その次の日も。



 家に帰りたくなくてあたしは公園に寄った。
 買い物袋を脇に置いてベンチに座り、通りを眺める。
 帰宅途中のサラリーマン。OL。学生。夕焼けが、空を赤く染めていくその中を、影のように歩き回る人々。
(懐かしいなあ)
 昔は良くこうやって学校にも行かずに昼間から公園のベンチから通りを眺めていた。あの頃あたしは何を考えていただろう。もう殆ど思い出せないけど、死ぬ事ばかり考えていたのは覚えている。特に理由も無く、何故か自殺する事ばかり考えていたのを覚えている。
 遺書は二十回も書いた。もちろん一回も成功しなかった。
(懐かしいなあ)
 あたしは今日、包丁を買ってきた。スーパーで見かけて何となく買ってしまった。
 あたしはそれで、何を切るつもりなのだろうか。薫だろうか。その相手だろうか。それとも自分だろうか。
 包丁は変な形をしている。なんだか先が変に丸くなっている。これじゃ誰も殺せないな、と思う。あたしはきっと誰も殺せないな、と思う。
 あたしは高校の頃から何も進歩してなかった。何一つ理解出来ていなかった。さすがに悲しくなって空を見上げた。
「ユウちゃん」
 すぐ側に薫がいたのを、あたしはやっと気づいた。



「会ってきた」
 薫はブランコ座った。
「そう。どうだった」
 あたしも隣のブランコに座った。
「まあ良い人だったよ。さすがにボンボンは違うわ」
「そう」
 夕焼けが夜の闇に変わり始めている。電灯はまだつかず、公園は暗かった。
「ユウちゃん、あたしね」
「うん」
「巧くいくと思ってたんだ」
「うん」
「巧くいくと思ってた」
 薫はうつむいたままブランコを漕ぎ始めた。ぎい。ぎい。暗闇を錆びた音が通り抜けていく。
「巧くやれるって思ってたの。巧く誤魔化してやれるって思ってたの。だってあたしそうやってずっと誤魔化して、ちゃんとやってこれたもの」
「うん」
「でもね。あたし赤ちゃん産まなくちゃいけないらしいのよ」
「そりゃお嫁さんだものね」
「あたしには絶対無理だ、って思った」
 そう言って薫はあたしを見た。笑っていた。
「ああ、あたしは何かを産まなくてはいけないんだな、って思ったらさ、何も出来なくなっちゃってさ」
「そっか」
「あたしが、産む、なんて。そんなの絶対無理。ていうか嫌よ。絶対嫌よ」
「あんなに良い絵を沢山残してきたのに?」
「だってあたしは何かを産もうとして描いてたんじゃないもの。何か壊せたら良いなって思って描いてたのだもの」
「そっか」
 あたし達は暗い公園に2人きりだった。通りにはいつの間に街灯が灯っている。強さを増していく街の喧噪。
「帰ろうか」
「うん」
 あたし達は並んで歩いた。
 買い物袋ががちゃがちゃ鳴った。あの包丁で薫の為に美味しい物をいっぱい作ってあげよう。あたしはそう思った。
「ユウちゃん、あたしね」
「うん」
「あたし何も愛した事が無いわ」
「うん」
「何も愛して無いの。父も母も妹も自分も、何も愛した事が無かったわ」
「うん」
「何も愛して無いの。あなたの事もきっと愛して無いわ」
「うん」
「何も愛して無いの。愛せ無いの。ごめんね。愛して無いわ。ごめんね」
「大丈夫よ」
「ごめんね。愛せ無いの。でもね。ごめんね、って言うの、あたしこれが初めてよ」
「うん」
「ごめんね」
 いつの間にか薫は泣いていた。
「うん」
 あたしもいつの間にか泣いていた。
 あたしは少し「滅び」について考えた。マンモスは滅び、恐竜も滅び、ドードーも滅び。その事は間違いなのか。何も産み出そうとしないあたし達は果たして間違っているのか。何も答えは出なかった。ただ、この忙しく動き回る街の片隅で、あたし達くらいは滅んでも良いのじゃないか、そう思った。
 あたし達はこの時、遂に死ねたのかもしれなかった。遂に死を選択出来たのかもしれなかった。そしてそれで、やっとあたし達は始まったのかもしれない。

 あたし達は家に帰って、おいしい物を鱈腹食べて、お酒を飲んで、沢山セックスをして、寝た。





 台所に立って、水を飲んだ。
 静かな夜だった。
 時計の音がかちり、かちり、と夜に積み重なっていく。
(負けないのだから)
 あたしは呟いた。
「何に負けないの?」
 ベッドから声が聞こえた。薫の寝言だった。
 あたしはその問いに答えを持っていなかった。だけれど薫があたしと同じような事を考えている、そう思うと嬉しかった。
 あたしはベッドに飛び込んだ。薫は安眠中に起こされると滅茶苦茶恐いんだよなあと思いながらも、勢い良くあたしは飛び込んだ。

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