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三つの未来と一人の僕
鬱宮時間
昔、外の世界が怖くて怖くて、他人を避けて生活し、自分を傷つけたりしていた頃の話。毎週通っていた病院で、カウンセラーにこんな質問をされた。
「君は、近い将来の君自身を想像出来るかな?」
僕は、自殺してこの世にはいないと思うので想像出来ません、と答えたかったが、それではお話にならないし、カウンセラーも困るだろうと思い、こう答えた。
「三つ想像出来ます。一つ目は、今のように、あるいは今以上に病は重くなり、部屋を出ずに外の世界をシャットアウトして生活をしている自分です。二つ目は、大好きな音楽を精一杯やっていて、練習に明け暮れる日々を送っている自分です。三つ目は、何も特徴がなく、ただ平凡に、無難に大学生になっていて、それなりに楽しい生活を送っている自分です。これは、一つ目から順に確率が高いと思っています」
僕は要するに、ネガティブな自分、ポジティブな自分、その中間の自分を描いた。正直な話、なるのならば二つ目になりたかった。当時のようなひきこもり生活は嫌だし、ここまで世界が歪んでしまった僕が、三番目に答えたような普通の人物になんてなれる訳がないと思っていた。それに、音楽が好きだったし、僕がやっていたロックなんてジャンルだと、普通じゃない体験や性格から良い作品が生まれる。僕は、作った曲に全てをぶつけて何かを表現しようとしていた。当時の僕をバネに、全てを反転させたいと思っていた。今思えば、そんな才能はなかったし、世の中そんなに甘いものではなかったが。
カウンセラーは、そうですか、と言って、無表情と笑顔の中間くらいの顔をした。白い壁の小部屋に夕日が申し訳なさそうに入ってきていた。それが僕とカウンセラーを包んでいた。17歳の春頃の話だったと思う。
ちょうどその頃だった。薄暗い部屋の中、いつものように一番仲が良い友達が遊びに来ていた。彼は僕の事をすごく心配してくれていた。少しでも僕が他人との関係を維持するように、暇があっては学校帰りに来ていた。今思えば、よくもあんなに汚くて暗い部屋に頻繁に来てくれていたと思う。まあ、僕自身は彼が来ている時は平然を装っていたし、彼も多分僕の笑顔が半分引きつっていたのには気付いていたとは思うが、それでも僕をなんとかしてあげようと努力してくれていたのだろう。ふと思い出したかのように彼が、
「ちょっとした心理テストをやらないか」
と言った。僕はおもしろそうだったのでやる事にした。どうせテレビの深夜番組でやっていたか、本にでも書いてあったのだろうな、と思った。
「道を歩いていたら、あなたは後ろから声をかけられた。どうやらハンカチを落としていたらしく、後ろを歩いていた人が、気が付いて拾ってくれたようだ。さてその、ハンカチを拾って、声をかけてくれた人はどんな人かイメージ出来る?」
友達は自慢気に質問してきた。僕はまず、ハンカチなんて持ち歩いてないし、だいたいそんな設定有り得ないな、と苦笑したが、いかにもネタばらしをしたくて仕方ない友達を見ていると、一生懸命考えたくなる。
「そうだなぁ。真面目そうな、でもガリ勉じゃなくて、優しくてまあまあ明るい性格の人かな。メガネをかけている大学生。性別は男ね。さわやかな大学生かな」
面倒臭いと思いつつも、よくもまあ鮮明に答えた自分にご褒美を与えたいな、なんて思いながら答えた。それで、それは何を意味しているんだ、とせかしつつ聞いた。
「それは自分の将来なりたい人物像だよ。異性だったら理想の人。お前がなりたいのは、さわやか大学生か。なるほどね」
軽くからかいながら、友達はまた自慢気にネタばらしをした。僕は、意外な理想を持っているんだな、と思ったが、心理テストなんてどっかの占い師気取りの詐欺師みたいな人間が作っている訳だし、こんなものこれから先の将来には何の参考にもならない、とも思った。
僕は現在、21歳。あれからあっと言う間に時間は過ぎた。
物語的にはおもしろくない結果だが、僕は今、普通の大学生だ。
別に、未だに外の世界が怖いと感じる事は頻繁にあるし、音楽は、嫌いになってやめた訳ではない。才能がなかったし、今の自分には聞くだけで十分になったからだ。諦めたと言えば適切なのだろう。とにかく、決してあの頃描いていた、それなりに楽しい生活を送っている訳ではないし、例のハンカチを拾ってくれた大学生のようでもないと自分では思っている。しかしよく考えてみると、恐らく僕を見る周囲の人には、それなりに楽しんでいて、ハンカチを拾ってくれそうな大学生に見えるのだろう。いや、実は僕は前を歩いている人がハンカチを落としたら拾ってあげるだろうし、それなりに楽しんでいるのは事実なのかも知れない。そんな気がする。
僕は当時、自分自身の事は大嫌いだったけれど、実は正反対に変わってしまうのは自分自身がいなくなるような気がして怖かった。あの頃感じた苦しみや悲しみを忘れたくなかった。僕は普通じゃなかった。だから、普通になるのに恐怖心を抱いていた。しかし、心のどこかで普通になりたかった。久しぶりに街を歩けば、制服を着た同年代の男が友達と楽しそうに話をしながら歩いていたり、あるいは恋人と手をつないでいたり。部活動の帰りだろうと思われる同じジャージを着た団体。電車の中で必死に参考書を見ているメガネの少年。必死でお洒落をしている少女。制服姿でタバコを吸う不良。疲れた顔で自転車をこぐ高校生――
あの頃の苦しみや悲しみは、もう僕自身に染み込んでいて、忘れようと思っても忘れられない。だからこそ、今の僕がここにいるのかも知れない。あのハンカチを拾ってくれた大学生は、本当は心に傷に傷跡があって、だからこそ優しさが出たのだ、とまで仮定すれば、あの心理テストは結果的には当たっていた訳だが、そこまで深い意味はないと思いたい。意地でしかないが。
ちなみに僕は今現在も、三つの将来を想像出来る。内容は、具体的な設定こそ違うものの、17歳の春とほとんど一緒だ。ポジティブ、ネガティブ、その中間。人間、4年くらいじゃ変わらないのかと思うが、『自殺していなければ』と言う前提がなくなったのは大きな変化なのだろう。
みなさんも、未来の想像と、理想の人間像についてやってみるといい。どうせ当たらないけどね。でも、果てしなく当たりに近い答えを出すだろう。それでいい。未来がわかっちゃったら、その瞬間に生きる価値や意欲が消え失せて、おもしろくないからね。そう言う意味では、僕は、それなりに楽しんでいる。