Entry1
一郎のブルース
つぶ丸
プーピー プーピー プピプピ プー
木枯らし吹く中、一郎は公園のベンチに独り腰掛け、ブルースハープを奏でていた。
紺色のGパン、白地に赤の横縞の入った長袖シャツ、首には生成のマフラー、七三分けの前髪がサマになっていた。
プーピー プーピー プピプピ プー
一郎の左肩にスポットライトが灯った。
「冬至なのね」
ミス・ウィンクヴェイルが言った。
「聖誕祭が来たということさ」
「あなたのお友達の弥次郎さんが、亡くなったんですって?」
「うん……。まあ、癌でね」
「あらまあ。あの方、お医者さまだったのでしょう?」
「金には困ってなかったから、最新の医薬はもとより、栄養をつけるんだって言って、漢方だとか世界中の滋養物を片っ端から取り寄せて食べまくってたね」
「そのくせ死んだの? 情けないわね」
「そのくせ──なのか、そのせいで──なのか、どっちなのだろう?」
「何も食べなきゃ、そもそも病気になんてならずに済むのにね」
一郎は白い歯を見せてフッと笑った。
プーピー プーピー プピプピ プー
「ミス・ウィンク──」
一郎がそう呼びかけると、ミス・ウィンクヴェイルは口を尖らせた。
彼女はフランス風に「マドモアゼール・ウィンヴェーユ」と呼ばれたがっていたのだが、一郎から見たら彼女は典型的なアイリッシュにしか見えなかった。
「独裁者のために経済が麻痺していて、国民が飢餓に苦しんでいる国のことを聞いたことがあるかい?」
「あまり聞かないわね。わたし観光旅行にはほとんど興味ないのよ」
「──その国にね、周りの国で食糧なんかを援助したりしたわけさ」
「そしたら、どうなったの?」
「独裁者たちが、腕ずくで食糧を独占した。国民は飢えてますます元気をなくし反抗する気力もない。独裁者たちは飢えてないから、余計にやりたい放題のさばるわけさ」
「だから、何も食べなきゃ、病気にならないのよ。お馬鹿さんね、人間て」
「馬鹿なのか、わざとやってるのか……」
「誰が?」
「周りの援助する国がね」
「助けたいわけじゃないの?」
「本当はそうなのかもしれない。助けるふりして、わざと癌細胞に栄養をガンガン与えて、病気をむしろ悪化させてやるのさ」
「死ぬわよ」
「死んだよ。──弥次郎は」
「……食べなきゃいいのよ」
「そう。癌を治すには、医薬は要らない、栄養も要らないのさ。《兵糧攻め》にすればいい。そうすれば、増殖活動が旺盛な癌細胞ほど、真っ先に飢え死にする」
「弥次郎さんに教えてあげればよかったのに」
「聞きやしなかったよ」
「どうして?」
「医者だから」
一郎はフッと寂しげに笑った。
プーピー プーピー プピプピ プー
ジャラン……
「まあ。──がさつな音色だこと」
ミス・ウィンクヴェイルは眉をひそめると、姿を消した。
プーピー プー……
ジャラン ンッジャジャ ジャン!
一郎がブルースハープを吹くのをやめて顔を上げると、そこにはポンチョにソンブレロをかぶり、スパニッシュギターを脇に抱えた顔も眉毛も濃い男が立っていた。
「甚平」
甚平と呼ばれた男は、ベンチに片足をかけ、片手を顎にかけてポーズを決めた。
「相変わらず独りでハーモニカ吹いてやがるか、え? 一郎」
「《流し》に行くところかい?」
「まあな。お前も一度、一緒に流してみねぇか? きっとお前なら《流し》の境地に共感できると思ってるんだが」
「遠慮しておく」と、一郎は笑った。
「弥次郎が死んだって聞いたが……」
「らしいね」
「あの野郎、医者になって金持ちになって、物欲に溺れやがったからな。世間からは先生センセイと仰がれても、当人の頭の中は、豪邸と高級車とキャバクラ嬢を口説くことで一杯だった。あれじゃあ、天罰が当たっても、仕方ないわなぁ……」
甚平は鼻を指で押さえてすすると、やおらスパニッシュギターを掻き鳴らし始めた。
ジャンジャカ ジャンジャカ ジャン!
ヤジローよ
ヤジローよ
お前はどこに行ったのか
木枯らし吹くこの街で、
俺と一郎は、
お前をしのんで
泣いている。
心の中で
泣いている。
ジャジャジャン ンジャッジャ ジャラン……
「それはそうと──」一郎は、甚平の横面に赤い筋が残っているのに気が付いて言った。
「ん? 野暮な話はなしにしようぜ、一郎よ」
「甚平。また女と喧嘩したのか?」
「女だとか、猫だとか、野暮な話はよそうぜって今言ったそばから……」と、甚平はがっくりと頭を垂れた。「──別れたよ」
「そっか……」
「そっか──って、ヤケに素っ気ない反応だな」
「そりゃあ、今まで五人も六人もそういうことを繰り返してる甚平だからな」
「女に音楽は理解できねえんだ! もう俺は次から『あんたのフォーク魂に惚れたわ』なんてこと言って寄ってくる女は相手にしねえ。ミュージシャンは孤独だ!」
「甚平。そろそろギターやめた方がいいぞ」
「は!? 突然何を!」
「音楽をやめるというわけじゃなくて、ギターをやめる」
「ギターをやめて、ハーモニカでもやれってか? かーっ!」
「弦鳴楽器は、人を孤独にする……」
「何じゃ? そりゃ」
「ギターのような弦鳴楽器は、自己と向き合うための楽器であって、他人に聴かせるためのものじゃないそうだ」
「フン。けっこう結構コケコッコウ! ギタリストは孤独さ。あーあ、一郎よ、お前とは孤独を分かち合える者同士だと思っていたんだがな。もういい、流してくる!」
甚平は憤然とポンチョを翻し、駅前の方角に向かって去っていった。
プーピー プーピー プピプピ プー
ブルースハープを奏でる一郎の左肩に、再びスポットライトが戻ってきた。
「やっと行ったわね。デリカシーのない男」
「あれでも人間の中では良い奴さ」
「人間の中では──ね」
ミス・ウィンクヴェイルはさも興味なさそうに言った。
「ミス、……ウィンヴェーユ」
『ミス』──と聞いたとき、ミス・ウィンクヴェイルは口を尖らせかけたが、『ウィンヴェーユ』と一郎が呼んでくれたので、許容したようだった。
「なあに?」
「これからどこかに行くのかい?」
「まあ、どうしてわかったの?」
「君が僕に会いに来るのは、いつもどこかに出かけるときだからさ」
「あら、そうだったかしら」
ミス・ウィンクヴェイルは唇に細い指をあてて考える仕草をした。
「わたし、一郎さんがブルースハープを奏でるときは、世界のどこにいてもその音色を聞くことができるのよ」
「そう……」
一郎はやさしく微笑んだ。
「──そうそう、わたしがどこに出かけるかってことよね。これから崑崙に行くのよ。西王母のおばさまの所にね」
「そうかい」
「あなたも来ない? おばさま、一郎さんに興味があるみたい」
一郎は首を振った。「崑崙なんて、人間には用のない所さ」
「そう。それは残念」
「……」
二人の目は遠くを眺めていた。
「わたし、わたしが人間だったとしたら、きっと一郎さんの妻になってたわね」
一郎の顔に一瞬、寂しそうな色が浮かんだ。
「君は何も憶えていないんだね」
「え? そうかしら」
「いや、だからこそ、それでいいんだけど」
「過去に束縛されるのは、人間の悪い癖よ」
「そう。まあ、そういうこった」
一郎は笑った。
「じゃあね。わたしもう行くわ」
「じゃあ」
一郎が手を振ると、ミス・ウィンクヴェイルは光の粒となり、西の方角に向かって飛び去って行った。
一郎は立ち上がり、ブルースハープをお尻のポケットに入れる。
一陣の木枯らしがその姿を掻き消した。