Entry1
いろいろな人々(わん)
紫生
☆ 毒吐天使 ミドリ
緑は美しい子供だった。美しかったが佝僂だった。
ビスクドールを想わせるいとけない面立ちがいびつな石を背負っているかのようなその姿には、愛らしさとグロテスクが仲良く憩い、光と闇がほのかも混ざり合うことなく互いに響きあってもいた。
おまえは呪われた天使だよ。
悲しい目でそう言ったのは母だったのか、叔父だったのか、それともサーカス団のピエロででもあったのか……、今ではもうはっきりとしない。
美しく厭わしい緑に世間のまなざしは、時に冷たく鋭かった。
遠巻きにちょう笑するものがいる。指を指してはやし立てる子供もいる。あからさまな興味と同情と罵倒。そんなものにはもう慣れっこになっていたが、虫のいどころが悪ければそんな輩にツカツカと歩み寄り「あなた、憑いてますよ。交通事故には気をつけて……」と、肝の冷えるようなホラを耳打ちすることもあった。
そんな風だったので、友達は祖母からゆずり受けた二体のビスク以外いたためしはなかった。緑はジュモーよりもブリュを、ほんの少しだけ深く愛した。それはブリュがジュモーよりほんのちょっぴり意地悪に見えるからだった。
ある晴れた朝、緑はなにやら学校へ向かう気になれず、となり町の公園に居場所をもとめた。幸い浮浪者も親子連れも見あたらず、安心してブランコを独占できた。
優しい風が髪をいらう。黒い蝶が酔歩の風情でゆらゆらとよぎるのに、おまえもいたずらな魔女に魔法をかけられたの? と、心で問うた。その時、幽かな声が鼓膜に触れた。
「……すみません……ジャージを貸してもらえませんか」
そう聞いたように、思う。蟻のささやきめいた秘めやかな声。
面妖な幻聴だと思いながらも辺りを見まわすと、背後の植え込みの中に人の気配があった。おそるおそる近づくと泣いているのがわかった。
とりあえずジャージを渡して、落ち着くのを待った。
白と名乗ったその少女は、同級生に制服をとられたのだと病の人のように力なく打ちあけた。社交性に乏しい緑にはかじかんだなぐさめを掛けるのがやっとだった。人の悪意とは星屑のようにそこら中に散らばっているものだなあと、妙な感心にとらわれた。
会話がとぎれ、白の視線が緑の背中をなめる。
驚きの気配を感じた。
ふいに、小さいが力強い声が緑に言う。
「曲線とは神の線である」
悪意のない針に刺されたように緑は身を硬くした。
白は続けた。
「スペインの建築家、ガウディの言葉よ。彼の建築は自然をお手本にしているの」
ガウディのことなら緑もよく知っていた。
「ええ、そうね。でもそんなに自然が好きなら、いっそ穴でも掘って自然そのものに暮らせば良かったのに。人は矛盾しているわ。心のどこかで自然を崇め希求しながら、一方では破壊することになんのちゅうちょもない。ようは神に尻尾を振りながら、好き勝手にしたいだけ。エコなんて単なるエゴに過ぎないのよ。人にとって暮らしやすい世界が、すべての命に暮らしやすいわけがないもの」
緑はむきになって、ついつまらないことを言ってしまったことに気付き口をつぐんだ。
弱点に触れられると攻撃的になるのは、ひとえに精神のぜい弱さゆえに他ならない。緑は身を守ろうとして、結果いつだって自身を傷つけた。
白は少し考えてから、小春日和のようなのんびりとした口調でこう言った。
「もしかしたらガウディには、神の領域を超えて羽ばたきたい世界があったのかもしれないね」
ガウディが亡くなったあともその意思を継いで建設途上にあるサグラダファミリアを想えば、そんな考えもあながち外れてはいないのかもしれない、と緑は思った。ガウディの時間は今も止まっていないどころか精神的な肉体をこの宇宙に偏在させて、さらに未来へと飛び続けているのだ。
白は温かい手でそっと神の線をつつんだ。
☆ 聖ゾンビ シロ
白は優しい少女だった。優しかったが要領が悪かった。
今日もクラスメイトと足並みをそろえられずに迷惑をかけ、あげく、言葉と足でしつように暴力をふるわれた。
白はけして頭の良い子供ではなかったが、馬鹿でもなかった。むしろ同年代の子供たちより物事を丁寧に思考した。それは不幸なことに、言葉や体力で虐げる者たちの愚かさを、力一杯憎むことにすらブレーキをかける危険な成長を育みもした。彼らの心は自分よりもよっぽど荒れ果てて淋しいのだと、人柱の心境で一切を受け止め、その役割は自分に似つかわしいとさえ思った。
修羅の時間、白の時計は破滅する。ただ、野蛮な力を吸収するひとつの肉塊となって死亡している他、すべきことは何ひとつ見当たらなかった。
「とっとと、赤ん坊から足洗って人並みになれよ!」首魁のピーが唾を吐いた。
白は学校でベビーゾンビと呼ばれた。
ようやく冥土から暇をだされたころには美しい星たちが手拍子をしていた。
きれいだな。
白はおとなしいキチガイとなって虚ろな笑いを笑った。ひとしきり笑ってから急に真顔になると、ああ……もうMステが始まっちゃう、とらちもないことを思った。
気力をふりしぼって帰る途中、誰かとぶつかってころんだ。相手は三日月の口でニヤリと笑った。どこまでどんくさいのだろうと己をなげいた。
痛む足をひきずり腕をさすりながらのろのろと帰宅を果たしたが、いつも通り両親は不在だった。
着替えるために上着を脱いだ。
あれ、ポケットに何か入っている。
黒い封筒だった。白字で白様と宛名されていた。
一体誰だろう。
いぶかしみながらも封を解いた。
『ようやく闇も冴え渡り、悪魔めいて参りました今日この頃、白様におかれましてはますますご清祥のことと存じます。
さて、この度めでたく不幸の果実も甘さを極め、収穫を待つばかりと相成りました。
明後日夕刻五時、**駅西口にて。
不幸のレベルは神しだい。
どうぞごゆるりと御賞味の程お願い申し上げます。』
何、これ!
白は汚いものにでも触ったように手紙から指を離した。
手紙の主に心当たりは、ない。
その晩白は発熱の中、見知らぬ自分にしつこく首を締めつけられる悪夢に反転した。
あの手紙は壊れたわたしから届いた狂気のしるし?
白は自分自身を恐怖した。
指定の時刻、白は緊張で心を震わせながらその時を待った。
きっと何も起こらない……。
闇雲にそう信じ、気を落ちつかせた。
改札へと降りてゆく階段の辺りが一面てらてらと濡れて光っている。そこからそこはかとない悪意が立ち上ってくるようで白は身震いをした。
あと五分待って何も起こらなかったら帰ろう。
そう思い時計を見た。せつな、小動物が怒ったときのような小さく鋭い悲鳴を聞いた。
そちらを見ると、何故かピーがスカートを落としてパンツ丸出しであせりまくっている。あちらこちらでクスクス笑いが起きた。
傍観の一人がまっすぐに白の方を向いてトランプを操っている。見事な手さばき。三日月の口でニヤリと笑った。
大慌てのピーがスカートをひきずり上げて階段を駆け下りていく。と、にわかにコントめいて足をすべらせ、入念に頭を打ちつけながら落下していった。
『不幸のレベルは神しだい――』 白は恐ろしい神を味方につけてしまったのだろうか。
ピーにとって幸いだったのは頭を打ったことで忌わしい記憶の一切が飛んだことだ。彼女は退院後、赤ん坊のように喋った。そんなピーに白は優しく接した。