Entry1
ポン子出し
サヌキマオ
「ポン子でーす!」
「ミミミですぅー!」
「ねえちょっと待ってちょっと」
そう云うとクロシェはあたしの頭を小脇に抱えて通路をトイレの方に歩いて行った。午後八時のファミレスである。
「女じゃん!」
「そうだけど?」
「ハナマルくんって云ったじゃん!」
「そだよ、花丸祐佳」
流石に失礼でしょ、とクロシェを席に押し戻すと、黒縁眼鏡の奥の表情の判らない細い目が我々二人を凝視し続けていた。
「ずいぶん短い作戦会議ですな」
「テレパシーとかあんのよ。そういう顔してるでしょ」
「そういう顔ってどういう顔だ!」
裕佳は主にクロシェの顔をじっと見つめると「ハナマルですー」と挨拶をした。
「クサカですー。ナマステー」
「クサカさんナマステー」
合掌なんかしあったりして。
「それでポン子」
「ポン子!?」
クロシェが腑に落ちない顔をする。
「ハナマルさん、イコールポン子さんでいいの?」
「そだよ、自然な流れで」
「どう自然なのよ?」
「小学校のときはユカポンだったんだけど、ほら、こういうのってユカ部分が省略されるじゃない」
「ユカ部分はシロアリに食われまして」
ポン子の発言にクロシェが珍しく険しい顔をしている。
「ね、今の、シャレ? ギャグ?」
「シャレでもギャグでもなくて、自己紹介だよ」
「そう? そうなのか……じゃあ、クロシェです。日下デボゲラアクロシェンモ・ヤマダ」
「デボゲ……何て?」
「デボゲラアクロシェンモ・ヤマダだよ」
「『ヤマダ』て。ヤマダてアンタ」
昔からポン子の笑いの沸点は低い。パ・ラ・ジクロロベンゼン並に低い。そういうのを溶かす実験、中学校の理科の実験でやったはずです。読者のあんたもそうでしょう?
「あ? 悪ぃか」
肩を震わせて笑いをこらえるポン子をクロシェが敵と認識し始めた。
「で、ポン子は小学校の時からの友達でね」
あたしは必死に話題を変えようとする。ちょうど店員が注文を取りに来る。外で自動車がどこかに衝突する音がする。
「すげぇ事故だ事故! ちょっと見に行ってくるね!」
「あ、私も私も――いっけね、ケータイどっかに置いてきたかも!」
いがみ合いかけた二名は並んで入口に駆け出していく。すんません、注文、もうちょっと待っていてもらっていいですか、とあたしは店員さんに謝る。
「いやーすごかった。車から出てきたジイちゃんがすごかった」
「すごかった。出てくるやいなや『なんじゃこりゃぁぁ!』って」
二人はゲラゲラ笑いながら生ビールとパフェを並べて交互に食べている。クロシェはいちご、ポン子はマロン。うえっ。
意気投合したようでなによりなんだけど。
「あ、で、今回集まってもらった本題を」
「ミミミん、そういうのどうでもいいからこれからカラオケいかない? オールで」
「あのなぁ」あたしは流石に腹が立って、クロシェのパフェにポテトフライのケチャップのついたフォークをぶっすり突き立てる。
「あんたがバンドをやりたいというからッ! こうして人を集めてきたんじゃないのッ!?」
さすがにあたしの剣幕に圧されたのか、クロシェは両手のひらをこちらに向けてきた。
「あー、そうだったそうでした。じゃあバンドだ、それ、やろう」
「ぼかぁカラオケにいって数曲歌ってからじっくりお話したほうがいいような気がするにゃーん」
「にゃーんじゃねえだろポン子もアンタ! アンタも勉強会だって云って友達のうちに集まったら絶対勉強しないタイプだろ!」
こういうときにクロシェとポン子、それぞれの性質を知り尽くしているつもりだったが、並べてみるとハッとする。
意識していなかったけど、あたしの友達というのはだいたいおんなじようなタイプなんだろうか。
「で、聞いてなかったけど、バンドってったってみんな楽器、出来るの?」
「アタシは知ってるでしょ、そのために呼ばれたんだもんね」
ポン子はギターを弾く。高校時代にはフォークソング研究部という名の軽音楽部に三年間ずっといたのだった。
「で、クロシェ、アンタは?」
「あたしは……小さい時にママにクラリネット教室に行くように云われてて、それくらい」
「行くように云われただけ?」
「いや、そういうのはいいから」
「ミミミんは?」
「あたし? その」
言おうか言うまいか迷うくらいならば、こんな企画に乗らなければよかったのに。
「へえ、オカリナ? そんなんミミミんの口から聞いたことないや」
「ギターにクラリネットにオカリナかぁ……そうとう出来る曲を選ぶよねぇ、やっぱり」
「ああ、あとね。アタシアレが出来る。グロンコ」
「グロンコって何? グロい民族楽器?」
「そうそうそうそう、いや、グロくはないけど。お母さんの実家の方の楽器でね、木の切り株に穴を開けて、中に木の実だのガラス片だの入れて、木の棒でかき回して音を出すやつ」
「……それもまた使い所に困る楽器だなぁ」
「切り株は持ち運びにくいしねぇ」
「クラリネットとオカリナかぁ。インストバンドならなんとかなるかも。で、ミミミのオカリナはどんなもん?」
「あのね、ほら、駅前でオカリナを売ってるおじさんっていたじゃん」
「あー、昔、三坂駅のロータリーにいたね。うんこ座りで自分の作ったらしいオカリナを吹いているおっさん」
流石に地元が一緒だと話が早いな、ポン子は。
「そう、で、あたし、お母さんにアレ欲しい、って云ったらしいんだけど。そしたらちゃんとしたのを楽器屋さんで買ってくれて。それ」
「じゃ、ちゃんとしたやつだ」
「今になるとお母さんの気持もわかるんだけどさ、あのおっさんが作ってるってことは、試し吹きもしてるってことじゃん。でも違うんだよね。楽器屋さんで売ってるような立派なやつじゃなくて、ちょっと小ぶりの」
「あ、わかるゲゲゲの鬼太郎が妖怪を呼ぶときに使ってるみたいな」
「そうそうそうそう! 吹き口がシュッて伸びて剣になるみたいな」
「で、吹けるんだ?」
「ううん、飽きた。鬼太郎のじゃないから、二日で飽きた」
毎度毎度のことで恐縮なのだが、われわれ三人はその後駅前のカラオケに行き、金の力で伴奏を奏でる機械を借りて心ゆくまで歌ったのだった。パフュームとかを。
翌日仕事のポン子と別れて、夜道をクロシェの家まで一緒に歩く。
「でも、私達も莫迦だねえ」
「なにが?」
「あそこでみんなそれぞれ、新しく楽器を覚えようという方向に行かないのが莫迦らしいといえるんでないか」
「そういえばそうよねぇ。漫画とかだとここからギター覚えて猛特訓したりするもんねぇ」
「そこはもう、我々も若くないということだ」
「で、アンタ、バンドはもういいの?」
夜風で聞こえなかったのか、数歩先を行っていたクロシェは返事をしなかった。
三日ほど経ってバイトから上がって携帯を見ると、クロシェから「すぐに来るように」とメールがある。
偉そうに、などと思いつつクロシェの家の玄関のチャイムを押すと、中から出迎えてくれたのはポン子だった。あんたらいつの間にそんなに仲良くなったの。
「じゃじゃーん」
三人でクロシェの部屋で(半ば強制的に)待たされていると、前の廊下をゆっくりとプラスチック製の寿司桶が移動してきた。寿司桶を運んでいるのはいわゆるルンバとか呼ばれているロボット掃除機で、寿司桶を取りあげると楽になったのか、速度を早めて廊下を過ぎていった。
「いいよルンバ。ホント生き物っぽくて」
結局醤油が足りなくなって台所に歩いて取りにいったのだが、それはまた別の話。