Entry1
古研のようす #1
サヌキマオ
古本屋研究会といえば日本でもそこそこ名を知られた市ヶ谷藝術大学・通称イチゲー内でもその名を知られない非公認サークルである。古本研究会なのか、古本屋研究会なのか、現役の部長も同SNS上で表記を間違えるほどであるが、要は出来れば全国津々浦々、主に都内にある古本屋を訪れては古書を漁り、夜は駅前の居酒屋で休憩ののち解散するという、藝術学部の中でもさらに肩身の狭い文藝学科を中心とした集団である。
市ヶ谷藝大のある猫田は地名としては「ねごた」私鉄各停の駅名としては「ねこだ」近年できた都営地下鉄の駅は「しんねごた」と一貫しない姿勢を貫いている。この辺を深く掘り上げると、市藝のあったあたりは昔は「ねこだ」であり、隣接する区が「ねごた」だったため、地元の寄合相談の末「ねこだ」は旭丘に改称したということがWikipediaに書いてあったが、そういったことは本編とあまり関係がない。
「でも猫田って妙な名前ですよね。猫ばっかりいたんですかね」
「今、本編と関係ないって言ったばっかりだ!」
昼休みも始まったばかり。カフェ・ノルマンディの低いソファにふたりで座っている。ふたり、というのは僕こと円宗介と、同じく文藝学科2年の逆瀬川さんだ。ノルマンディは猫田銀座と呼ばれる商店街の建物のテナントにある店で、角地を世界各種の豆を取り扱う店と学生向けに揚げ物に力を入れている肉屋に挟まれている。間に壁がないのでずっと揚げ油の臭いが漂っている。
逆瀬川さんは慎重に目の前のティーカップからティーパックを引き出して脇においた。慎重に引き抜こうがどうしようが器の外にティーパックから紅茶は滴るのだが、そういうところにこだわりがあるらしい。
「そういえばティーパックとティーバックも一瞬迷いますよね。まぁちょっと考えてみればわかるんですけど」
「いま、口に出てた?」
「え、円先輩はTバックのことを考えてたんですか? やだ」
「いや」意味もなくたじろいだ。「ネゴタだったら、根が古い田んぼの可能性もあるじゃない」
「そっかそっか」逆瀬川さんはカップにクリームだけ入れると混ぜずに持ち上げた。立てかけてあったティーバックがぱたりと倒れる。「古い根っこの田んぼ、いい絵ですね。それだったらネ・ゴ・タで切れるわけです。いいところだと思います」
「……ネコザネ」
「なんです?」
「いや、猫実、って浮世絵かなんかで観たことがある。たしか浦安とかあっちの方の海辺の地名だったと思うんだけど」
しばらく猫実の話をする。どうしても猫の生る木のイメージになりますよね、と笑い合う。逆瀬川さんが笑うと、細面のところに切れ込みのようなエクボが出来る。
「やっ、ご歓談のところまことに面目ない。遅くなりました」
トレードマークの御用袋に本をみっしりと下げてやってきたのは古本屋研究会の顧問である故林先生である。六十は軽く過ぎているだろうが堂々とした体躯の持ち主で、市藝では主に文芸批評の講義を持っている。故林先生の指摘で猫実の絵は安藤広重のものだと判る。
「服部部長は?」
「服部ならサンココですよ」
「なに、アイツ単位、取れてないの?」
「らしいですね。一限の体育だけって言ってましたから、そろそろ来ると思いますけれども」
「逆瀬川くんは……心配ないか。そこは服部と一緒にしたら失礼かワハハハ」
「出席ギリギリでした。なんで必修の体育って一・二限なんですかね」
「そりゃあアレだよ。サンココしてもちゃんと卒業できるように、だろう」
面倒でもサンココの話をせねばならないだろう。読者各位も市藝といえば猫田校舎というイメージをお持ちだろうが、あれは三四年生だけの話で、一二年は埼玉の奥地こと心沢の校舎でキャンバスライフを過ごさねばならない。中でも心沢でしか受けられない必修科目を取り逃すと、三年四年になって猫田と心沢を往復する生活が待っている。たとえば一限は駅からバスで十五分かけて校舎に向かい、着替えて九〇分間バドミントンで汗をかき、終わるやいなや着替えてバスに乗り込んで黄色い私鉄特急に乗ること三十分で猫田に着く。当然二限の講義には出られず、昼を挟んで三限の授業に出ざるをえない。この無意味無感動な時間の浪費をサンココなりヨンココなりと呼んでいるわけである。
服部はなかなか現れない。ガラケーにメールをしても返事がない。じゃ、始めちゃおう、というので僕は資料を取り出した。
「春祭は例によって五月の最終週土曜日、二十七日。それまでに、GW中に第一回散策を神保町で、と」
「毎年恒例、例によって例の如し、という感じだがね」
「それとも何か、変わったことをしてみます?」
「やりたきゃやるがいいさ。こういうのは学生諸君たちの志が、ハートが動かすんだがね。顧問なんざぁ『おやんなさい』としか云えんわけだから」
「変わったこと、って、なにかあるかな?」
さっきから黙りこくっている逆瀬川さんに話をふるが、うすら首を振るだけである。
結局服部からの返信に気づいたのは四限が終わってからで「ごめん寝てた」の六字だけ表示されていた。
五月一日月曜日十一時。神保町の交差点、岩波ホール前にはばらばらと人がいる。もともと待ち合わせスペースではあるが、サラリーマンと老人を覗いても二十人もいるだろうか。地下鉄の出口からゆっくりと袖のないジャケットにパナマ帽の老人が出てくると、そのうちのほとんどがわらわらと集まってくる。文藝学科のみならず、演劇学科に放送学科、美術学科の学生、加えて故林がほかに講義を持っている武蔵川大学や莫迦田大学の学生、どこの浮浪者かと思ったらOBだった、みたいなものもぞろぞろぬったりと現れてくる。黒縁眼鏡に短髪の服部の顔も見える。市藝内会員五名、その他学外会員百名という古本屋研究会の一部がここに集結する。
一行はぞろぞろと古本屋街を練り歩く。途中立ち止まったかと思うと故林先生の書店紹介がある。白い本と黒い本、研究所のたぐいは箱入りで装丁もそっけないから白い本、それ以外は比べて黒く見えるのが黒い本。玉楼堂書店は白い本のオーソリティ、観漢舎は中国書籍の大家、文藝文庫本において無いものは無い狛江書店。二、三軒の紹介が終わると二十名に近い部員は三十分ほどかけて物色にかかるのである。古書店の方も慣れたもので「また今年も古研の季節か」などと思うらしい。
好天である。古本屋研究会というと非常にインドアな印象を受けるかもしれないが、こうして日がな一日五月の太陽に晒されながら、夥しい数の本の中から自分の直感に当たる本を探し続ける。実に修行的である。参加した当初は、どうせ参加した以上一冊の本も見逃すまい、という心意気で書棚に向かうのであるが、二三回ではたしてそれは間違いであることに気付かされる。日に焼けていくうちに体力が持たなくなるからだ。
本の海をざっと眺め続けているうちに自分の欲しがっていた本はいやでも目に入る。手に取った本は手放すと殆どまた出会えない。最近はメモさえとっておけば全国の古本屋からネット経由で手に入るようになってしまったが、一冊の本も買わなかった、という状況も含め、目の前の一冊にである偶然性を楽しむのが古本屋巡りなのではないだろうか。
逆瀬川さんが靖国通りのガードレールに寄りかかってプラスチックのカップのカフェオレを飲んでいる。つばの広い、白い帽子がすごくいいな、と思う。