Entry1
脱皮岬
サヌキマオ
列車なのに入り口が前と後ろにしか無いのに驚いた。向合の客席の四つの内二つは埋まっていて、通路から身を滑り込ませるとすぐ後を一輪車に泥を積んだおばさんが通り過ぎていった。列車の中に泥を運搬してきていいものなのかな、と思う間もなくやおら風景が動き出す。黒蘭行き十五時八分発である。
兄が三人いて、それぞれ上から弁護士、医師、刑事なのだけれども、クリスマスに何がほしいかというので「独りで旅に行きたい」と答えた。兄たちの驚くまいことか――ここはもう少し説明せねばならないが、兄とは三十七の長男を筆頭に三十四、三十三、そして高校二年生である十七歳の私がいる。一番上の兄は結婚して家を出て子供も二人いるし、大学病院で外科部長をしている(らしい)次男の言兄ちゃんはまったく家に帰ってこないしで、兄と呼べるのは一番歳の近い三男の画兄ちゃんくらいだ。父親が三人いるような家庭であった。あ、三人、というのは実の父も含む。今となっては実の父がおじいちゃんっぽいのだけれど。
とにかく「一人旅がしたい」という私の申し出に兄三人は額を寄せて相談しあった(らしい)が、「まぁ、いい」となった。言質を取ったらすぐに行動に移さねばならない。どうせこの兄たちはしばらくすると内部分裂を起こし、約束も決定事項もぐずぐずになってしまうのだ。どうせなら、寒いときに寒いところに行くのが楽しかろう。翌二十五日に私がそう宣言すると、翌日にはチケットと「萩窪警察署」とロゴの入った厚い封筒が手渡された。チケットは言兄(権力というものがあるらしい)、画兄ちゃんが作ったらしい資料の表紙には「るーまがちゃんの二泊三日雪国紀行」とある。こういうセンスは一番上の兄のものであろうが(理解に苦しむ)、要するに「向かうべきルート」「泊まるべき部屋」「食べるべき駅弁」「撮るべき写真スポット」などがまとめてある。この手の資料は友達とはじめて原宿にショッピングに出かけたときにも作成され、A4の紙に百二十枚もあった。それに比べれば今回は三十枚である。きっと新幹線に乗っているうちに読み終えてしまうだろう。
新幹線を降りると大きな粒の雪が次から次へと降ってくる。車窓で見た雪はただの風景だったが、ホームから見る雪はこれからの旅の厳しさを暗示しているように思えた。ここから在来線に乗り換える。列車は山を拔く高速鉄道とは別れて、海沿いの道を走り始める。昔の技術からしたら、こういう海沿いとかのほうが線路を作りやすかったんだろうか。指で窓の曇りを拭くと、進行方向の右手に広がる海は荒れ狂う雪風で、烟って鈍色に光っている。
向かいの窓側の席には使い込んだジャンパーを着た漁師風のおじいさん。通路側、隣の席には地元の学生さんであろう女の子が座っていた。セーラー服だが中学生だか高校生だか判別のつかない感じ。私が普段着ている濃紺のセーラー服に比べると、女の子のは青を基調にしていて、東京では見かけたことがない。長い髪をポニーテールにして、目にもかかろうという前髪はヘアピンで留めてある。
あんまりじっと見つめているのも失礼なのであたりを見ると、冬休み中も部活動なのか、あと三人は学生服の姿が見える。こういうところの学校にも演劇部ってあるのかな、と思っていると緩やかに電車が止まった。駅だった。いつしか向こうのホームの駅名表示が霞んで見えるほどになっていて、更に向こうが白一色なのは、ずっとずっと海だからだろう。海を見に来るだけであればもっと別の季節がよかったかもしれない。
電車は動き出すと軽快にトンネルを三つほど越えたが、息切れしたように停まってしまった。見るからに標高が高い。峠道の途中である。やや収まりを見せた吹雪の向こうにぼんやりと影が見える。島だろうか。
車掌の説明は激しく訛っていて「ちょっとした雪崩があって線路が塞がれた」というような内容だったと思う。やおら車内がざわついて、乗っていた人々が備え付けのスコップを手に列車を降りていこうとする。向かいのおじいさんも「手伝うべえよ」と立ち上がりかけたが、車掌に「鉄さは中風だんし、座っとけよぅ」と押しとどめられている。乗客も手伝って雪をかくのがここの日常なんだなぁ、と感慨にふけっていると「おミさどっからァ?」と鉄さと呼ばれたおじいさんが話しかけてきた。雪かきの手伝いを断られたのを恥じたのだろうか決まりの悪そうな顔をしている。とうきょうです、と答える。続けて「冬を満喫しに」と言うと、前歯が一本しかない口で莫迦笑いされてしまう。今まさに満喫しているではないか。冬を。雪を。凍えるような絶望感を。私も手伝いに行ったほうがいいですかね、という問には「地元の者でないと足を踏み外して崖から落ちる」というようなことを言われて止められる。そういう場所なのであった。しかたなく待つことにする。車内は上着なしでも暑いくらい。
「アレがだっぴざきだぁ」指さされたのは先程の、吹雪の向こうの影だ。「あんべし、<ご覧あれが脱皮岬>ちゅう」聞いたことがある。「<毒ガスの花がぁ、いっぺんに咲き誇るゥ>って。このホが知らねが。ははは」きっと大昔にヒットした曲なのだろうがよくわからない。ははぁそんなもんですか、と返事をするとおじいさんは機嫌を良くしたのか、訛りのきつい言葉であれやこれや解説してくれるが「土手っ腹をどーん」だけが聞き取れた。こういうときはオウム返しだ! とお世話になっている演劇部の顧問も言ってたっけ。
「土手っ腹を?」
「んだ、毒ガスさ守らりでん、のっそが孵んの」
「のっそ」
「映画さ観だごどねがぬぁ、んもすらの元んだだっぢゅんで」
「んもすら?」
「あにゃあ、鉄さァ若ぇ娘ナンパけ?」
濡れて光るショベルを担いだおばさんが通りかかる。さっき泥を運んでいたおばさんだ。
「違べじょ、とうきょうからてげぎゃ、観光案ねさしでるも。ほりょ、こんおばんさー、脱皮崎さ往ぐも」
「んだ。毒ガスの穴さんめンですよぉ」
「姐サ、雪崩ァ?」
「もう掻びだし、出発んど」
雪を掻きにいった乗客が帰ってくる。車掌の「居らね方ァ手挙げでェ」という(おそらく)お決まりのギャグなどがあって、また電車が動き始める――
――という夢を見たのかって?
いや、私としても衝撃的だったんで、ちゃんと覚えている部分だよ。おばさんは泥を運んで毒ガスの穴を埋めに行くバイトだよ。あの辺、岩場だから。
だってほら、もう死にそうになりながらもお土産は買ったんだよ。ぶちぬきのっそせんべい。<厚い岩盤である脱皮崎をぶちぬいて羽化するのっそ(標準語では***)は不屈の闘志で戦う受験生向けにピッタリのお土産です>って。今はないけど、確かに買ったんだよ。レシートも財布にあるよ……いや、品目は書いてないけど、八五〇円だったのは間違いないって。
あの後すっげえ体調悪くなって、仕方ないから黒蘭の駅で兄ちゃんに電話したら二十分でヘリコプター、来たの。だって二十分よ? 絶対電車の後をヘリで追っかけてたよね。ホント仕事したらいいのに。大学病院の外科部長が。そうしたら「ヘリコプターに患者も乗せてきた」って。
で、東京まで乗って帰ってきた。たしかに私の寝ているベッドの隣で手術してたよ、ヘリの中で。
あ、思い出した。アレ、のっそだよ。半分寝てたけど、ヘリの窓から見えたあのでかい蛾みたいなやつが。多分。