Entry1
七回忌風景
サヌキマオ
フェリーと陸をつなぐ橋の下に燕が巣を造っている。あの位置だとうっかり巣から落ちようものならば、文字通り海の藻屑と消えてしまう。
島で九時半からある法事に間に合うように朝早く車四台で出かけたが、海上が靄っていて船が出せないという。瀬戸内の波は静かだが、朝になって急に気温が上がると、水蒸気が視界をすっかり奪ってしまうのだ。遠くにオレンジ色の柱が立っていて、あれがくっきり見えないことには船が出ないと聞いた。もっと気温が上がって風が出くれば靄はどこかに行ってしまう。それがいつかというと…まぁまもなく、としか云えないのである。いずれ日和が来る。
車の四台、というのはこの日のために日本中からかき集められた親戚縁者一同で、義母の兄弟六人の内、四人が島の外に出ていて、そのうち都合のつくもの、帰省する暇と気力のあるものが十七人。この中には私のように、結婚して娘婿となったゆえにこの地に立っているようなものも二、三人含まれている。
何の気なしにフェリー乗り場の券売所から、お土産物屋、軽食の取れるラウンジなどをうろうろしていたが、考えてみればもうかれこれ一時間半もうろうろしているので、くたびれてきているのだった。お土産類にめぼしいものはなく、瀬戸内土産特有のはっさく、オリーブ、海産物の御三家を除くとだいたい日本全国で似たり寄ったりだ。「白い恋人」という札幌近辺のお土産があるが、クッキー生地にクリームを挟んだもの、という観点からするとわりと全国どこにでもある。パイ生地になんらかあんこを挟んだお菓子や、特殊なクリームの入ったまんじゅうというのもそれに当たるだろう。「ミルクはっさく」なる箱から視線を外すと、レジのところで喪服の母子がソフトクリームを買っているところだった。あれは多分、妻の従兄の奥さんとその娘だ。日曜の午前中から喪服を着てフェリー乗り場でうろうろしているのは我々の関係者と見て間違いないだろう。食べている暇なんかあるのかしらん、と思うが、フロアの端で島を出た義大叔母という、御年九十二歳のおばあさんが何故か両手に別の色のソフトクリームを持って交互にしゃぶっている。あのおばあさんがそうであるならば、ちょっとくらいフェリーは待ってくれるだろう。そろそろ足腰が疲れてきたのでどこかに座りたかったが、ちょうど義父に手を引かれた息子が土産物屋の正面入口の自動ドアから入ってくるところだった。息子は三歳だ。この年頃のこどもの性なのか自動ドアが好きで、半ばお百度参りのように自動ドアを通過している。義父ことじいじは孫が大好きなので喜々として付き合っている。本人たちが楽しそうなので一向構わないといえば構わないのであるが、そろそろお守りを替わろうか、と思ったところで「間もなく十分後に出港します」とアナウンスがある。
七回忌のある祖母の家には九時四〇分に着いて、前日から前乗りしていた和歌山の義小母、義小母の旦那さんと娘三人に義伯父が出迎えてくれる。義伯父というのはずっと独身で、何をしている人かはわからないが、なにしろ独眼竜政宗のような眼帯を左目にしている。そのへんの謂れを誰かに聞いたら面白いのだろうが、なにかとんでもない事件が出てくると面倒臭そうなので聞いたことがない。それよりもなによりも、明らかに毛色の違う近所の人らしき人もいくらか群に混じっていて、それぞれ地味ながら普段着で座ってお茶などを飲んでいる。遠くから来た親族の方がちゃんと黒の上下を着ているところが面白いと思う。
今回の主役(と呼んでいいだろう)である祖父は輸送船の船長をしていて、瀬戸内の島に点在する工場から福岡に向けて製品を運ぶ仕事をずっとしていたらしい。名残として、家は大勢の船乗りが酒盛りをしることを前提としたような家の作りをしている。現在仏間になっているのは二十畳はあろうあかという大広間で、ここから玄関に通じる廊下を挟んですぐに台所がある。台所はコンロが三台に流しが豪勢に大きい。往時は大量の肴を作っていたことだろう。
玄関の方から陽気な胴間声が響いてくる。やってきた和尚はこの島に二つある幼稚園を両方とも経営していて、義母もここの園の卒業生だと聞いた。言わば島の住民はこの和尚の元から卒業していくわけで、今日は「幼稚園の運動会の挨拶をしてからこっちにやってきた」という。「こんなんここいらの子は――」もうすでに飽きたのか、うちの子を始めとして五人の子供はそれぞれてんでんばらばらにうろつきまわっている。「精児さん亡うなってからの子ぢゃ。精児さん亡うなって七回忌。一周忌は涙、涙の法事。三回忌は悔やみの法事、ほぃで七回忌は笑顔の法事と云いますけえ」読経の間にも鴨居にかかった額縁を観ると、島の町長からの感謝状やら、囲碁のシニア県大会の賞状やらがかかっている。あの義伯父、例の独身の伯父は耐火レンガの特許を取っているようだ。会社名と、数人の連名の特許状が飾ってある。こういうのを賞状と呼ぶのかどうか知らないが、関連する仕事をしているというのはわかる。
台所に向かう襖の向こうからこどもの泣き声がする。うちの子である。仕方なく立ち上がって見に行ってみるとやはり息子である。元来戸と開け締めが大好きで、放っておくと蝶番が壊れるまで(実例がある)開け締めしているのだが、さすがに義祖母に止められて憤っているのだったが、小袋に入ったルマンドを渡されておとなしくなっている。台所のタイルの上に竈馬が一匹、長い触覚をゆらゆらさせて佇んでいる。成虫であればもっと大きいはずだし、これだけ人がいるのだから誰かしらは気づいているだろう。それとも、私だけだろうか。
法要が済んで墓参りにでかける。出かけるといっても島の中心にある山の中腹までが隘路なので、軽自動車一台に詰めるだけしか行けないという。息子は義祖母が使っているのであろう歩行マシンに尻を乗せて滑って遊んでいる。
残って法要から食事会の会場にするというので手伝う。気がつけば男手がいない。テーブルは銘木を切り出したものに脚をつけて、銘木の重さそのもので固定しようという代物だ。こちらも娘婿という立場上、多少はいいところを見せねばという気でいる。しかし重い。こういうのも、昔は船乗りの男衆があっという間に片付けていたのだろうなぁと思う。
ケータリングの寿司やオードブルが運ばれてくると、法要のときにいなかった近所の人がじわじわと増えていく。みんな手に乾き物や酒瓶を持ってくる。店で唯一の食料品がフェリー乗り場の前に一軒あるだけなので、それぞれが同じ日本酒のパックを持ってくる。墓参りに行った面々が帰ってくると、だんだんと宴会の様相を呈してくる。四十人も集まっただろうか。親族が半分、近所の人(と思しき人)が次々にやってきて、集まった人はてんでに飲み食いをしている。プラスチックの寿司桶についていた蓋をびよんびよんすると幼児にウケる。義従弟の娘、義大叔母の孫、透明なプラスチックの蓋が上下に揺れ動くのを観てゲラゲラ笑っている。
自分が運転しないからといってずいぶんと飲んでしまった。ここいらの人たちはさほど酒を飲まないのか、独りだけで飲んでいる気さえする。
帰りのフェリーのほうが人がいる気がする。テレビの前には中高年を中心に人が集っていて、熱心にカープとタイガースの試合を観ている。