Entry1
茅で満ちる
サヌキマオ
久々に、といっても卒業式以来だから四ヶ月といったところなのだけれども、満茅は学校からの帰りにキリ子にばったり出くわした。中学時代にはずいぶん仲が良かった気もするが、それぞれ所属する高校が変わってしまうと縁遠くなる。ラインはあるがそうそう連絡しなくなる。三年間でクラスが一緒になることはなかったが、同じソフトボール部で満茅がファースト、キリ子がショート。ずいぶんとショートゴロからの送球を受けた間柄だ。
「え、なんでこの時間?」
「期末テスト。私立は早いんだよね。キリは?」
「ご覧の通り」
「わかんねぇし」
「サボりだよ。ちょうどよかった。よかったら飯食わね?」
「いいけど」
キリ子も中学の頃からするとずいぶん髪の色が明るくなった。校則に触れるか触れないかのギリギリのラインなのだろう。日焼けはここ数日の炎天下で成したものなのか。ソフトボールをしていたときよりも浅黒い気がする。
「え、演劇部? あのゴドーマチが? やべえな!」
「あのってどこだよ! ここにいるよ!」
「ソフトボール、続ければ良かったんじゃん。まぁ私もやってないけど」
「うちの高校ソフトボール部ないし、そもそも限界だと思うよ。中学レベルで」
「あ、じゃあ、役者するんだ。あんたが?」
――で、『ちょうどよかった』って?
駅ビルの七階は食堂街になっていて、キリ子に促されるままに安いイタリアンのお店に入っている。店はちょうど混みだした頃合いで、運良く二人席があったのに滑り込んだ。満茅は友達同士でこういう店に入るのが初めてだった。テーブルの上に立てかけてあるメニューを広げると心ならずもワクワクしてくる。
「そうだ。ちょっと聞いて欲しい話があって。モモギさん覚えてる?」
「うん。辞めた子でしょ、ソフト」
「ソフトというか、学校そのものをね」
「まぁ、公立中学は辞められないんだけど、来なくなったというか。で?」
「結婚するらしい」
「へぇ!?」
「デキ婚」
「できこん!」
もうちょっと、詳しい話はないの?
「ほら、引き籠ったじゃん。いわば、秋口あたりから」
「うん。出てこなかった。いわば」
「それで、あそこの家も複雑だから。で、独りなんだよ。独りで引き籠ってた」
「どういうこと? お父さんも、お母さんも?」
「そりゃあ、詳しい事情は知らんけど、独りで暮らしてたの。アパートの部屋ひとつあてがわれて。で、稼いでたんだわ」
「うん?」
話の流れが一気に飛んだように思う。
「ごめん、そこ、もう一回」
「ああ、これ、モモギさん本人から聞いた話よ?『お金を稼ぐには働かなきゃならないけど、そういうのも面倒だから、』」
「はぁ」
「お客さんの方から自分のところに来てもらうことにした」
「なるほど」
ナニがなるほどだ。事情に感情が追いついてこない。
「ここまでいい? 大丈夫?」
「だいじょばない。つまり、どういうこと?」
「えーと、引き籠っているからネットを使ってお客さんを家に呼んで、稼いでいた。これを専門用語としてなんというかはわかんない」
「なるほど」
そういえばなにも注文をしていないことに気がついた。二人で水だけ飲み干していた。
お祝い、とキリ子は云っていた。お祝い。出産の、お祝い。一応ほら、チームメイトだったから。
百木幸。シンメトリィであるようなないような名前で、レフトを守っていた。特筆するような活躍をする選手ではなかったけど、いつだったか「球を打つときの気迫がすごい」という褒められ方をされていたのを満茅は覚えている。満茅も高校に入ってようやくケータイを持たせてもらったから、百木さんの連絡先なんてわかろうはずがない。部屋に帰ると見計らっていたかのように通信があった。「一人二千円で十五人集めれば三万円になると思うんだけど』久々にキリ子からのラインだった。アイコンに目が留まる。キリ子と、百木さんのツーショットだ。
『え、百木さんと仲いいの?』
『え、普通にいいよ? 昨日も一緒にハマナルでご飯食べた』
そういうのは早く云ってよ、と思う。云ってくたらもっと……もっと。なんだろう。
「ふーん」
満茅の母は明らかに興味のない返事をする。
「いろんな人生があるね。で、二千円だっけ」
手元にあった財布からすっと二千円出して、満茅に差し出した。
「お母さんは、なんとも思わない?」
「思わないこともないけど、百木さんのお母さん、ナナトクで働いてるよ」
「駅前の?」
「そう。……どんな人なんだろうね。百木さんの旦那さんって。あ、百木さんのお母さんの旦那さんじゃなくて。わかるかそのくらい」
旦那さん、という響きがずいぶん遠いもののように思える。
「で、えーと、満茅。ちょっとまって。このお祝いは、何祝いなの?」
「え、しゅ、出産祝い?」
「莫迦ね、出産祝いというのは、ちゃんと子供が生まれてから準備するんでいいのよ」
「あ、じゃあなんだろう……結婚祝、なのかな?」
そういえば、百木さんは、どんな人の子供をお腹に宿したんだろう。
「いやぁ、それがわっかんなくてさぁ」
次の日曜日のことだ。満茅とキリ子は、結局目標に届かなった、二万二千円の入った(結婚祝いだと決めた)ご祝儀袋をもって、新居があるという六分寺の駅にたどり着く。改札にいたのはすっかり髪を金色に脱色した百木さんだった。キリ子のアイコンからさえも別人の感があるが、手渡したご祝儀袋を「すげーほげー」と受け取る様子は記憶に新しかった。この陽気さを通り越した感じと、眉間に広がるそばかすは、明らかに百木さんだ。
ま、とにかく、と案内されたのは駅に隣接したファーストフード屋だった。「これ、使うね」と祝儀袋から早速千円札を引っ張り出している。
「で、わかんないって?」
困惑の末にやっと口を開いた満茅を察したのか、キリ子は屈託なく笑ってみせる。
「父親が」
「お腹の子の?」
「そ。色んな人の可能性があるから、わかんない」
「それで、結婚するの?」
「そう。ひとり『誰の子でもいい』って人がいて。親も最終的には『じゃあ』って感じだった」
「『じゃあ』って。そんなこと、ある?」
「あるんだもの」
百木さんの隣でキリ子がうんうんと頷いている。まるで異次元の世界の話だ。
「旦那も五十二歳でね。ずっと独りでいるつもりでいたんだけど、こういうことになったんだったら、こういう運命でもいいのかもしれない、って」
「ももぎさんは」
「ん?」
「百木さんは、それでいいの?」
「うーん」
またその質問か、という表情をされたのだと思った。一拍、間をおくためにストローを咥えて、中のシェイクを一気に吸い上げられる。
「それでいいの、という質問をすることで、自分が安心したいわけね?」
そうかもしれない。
「まぁ、いいんじゃない? いい、もしくはよくない、ということに決めないと、先に進まないもの」
「なんか、ごめん」
「ううん、いいんだよ。子供ができることでこうやってみんな会いに来てくれたり、気にかけたりしてくれるから」
「お母さん」
「へいよ」
「私の名前って、どうしてこの字なんだっけ」
「ああ、『茅で満ちる』。宗像のおじいちゃんの案。夏の野は茅で満ちる、そういう、力強さ……みたいな? 多分そういう」
自分から聞いた割には「ふーん」以上の感想の出てこない理由だった。
『あ、演劇部に入ったんだ。そういうのって、金髪の妊婦が見に行っても大丈夫なもの?』
大丈夫なものかどうか、明日一応顧問に聞いてみることにする。