Entry1
鶏皮狙いすまし
サヌキマオ
打席から流し打ちにされた球はあたしの左手に向かって真っ直ぐに飛んできた。別になんでもないショートライナーだという気でいたのだが、差し出したグラブのやや上をそのまま追加していってしまう。
「なにやってんの」
マウンド上からミミミの呆れ返った声がする。なにか言い返そうとすると「ショート!」と声がして、慌てて振り返るとレフトがまさにこっちに向かって返球してくるところだった。泡食ったあたしは飛んできた球を受け止められず、勢い余って尻餅をついた前を向こうの選手が走り抜けていった。一気に三塁打だ。
半魚人を倒すバイトで仲良くなった江夏のおっさんに誘われて草野球をすることになった。酒は飲み放題、打ち上げ付というので一も二もなく手を上げたが、あるのは外気でキンキンに冷えたビールだけ。このおっさんに一月の早朝、ほかほかのワンカップを持ってくる甲斐性があるわけなかった。つまり酒はないのと同じである。
「どんまいどんまーい」とファーストからおっさんが慰めてくれる。一塁ベースの脇には缶ビールが置いてある。寒くないんだろうか。
私の無二の親友であるミミミは私が誘った割には比較的乗り気でついてきて、若いとかなんとか言われて先発を任されている。半魚人殺しのバイトのときからいい肩をしていると思ったけど、彼女の球はちゃんとキャッチャーミットに届くしコントロールを誤らない。といってもまだ五球くらいしか投げてないけど。
相手のチームは高校の演劇部だと聞いた。なんでも野球を舞台にするので、実際に野球の試合を経験しておく必要があるのだという。ということは蟹工船を演るときにはみんな漁船に乗ってみるんだろうか……しかし、うまい。こいつら演劇部じゃなくて野球部じゃないの? いや、わざわざ試合をするくらいだから、演劇の準備の野球の準備の練習くらいしているに違いない。
などと考えていると二番が出てきた。二番ショートななみさん。わぁちっちゃい。小学生もいるのだろうか。
クリクリとした目をしたななみさんはおずおずとバットを差し出している。かわいい。ピッチャーミミミ、あの表情からすると「どうせスクイズ狙いだろうし可愛そうだからバットに当ててやろう」とか思っているに違いない。そういうやつなのだ。
方針が固まったのかミミミ、初級をぽいと放る、とななみさんはぐっとバットを引いたかと思うとど真ん中に入ってきた球を思い切りひっぱたいた。またこっちに飛んでくる!……そうか、野球選手である前にあの子達、演劇部だ!
「ちょっとクロシェ! どうなってんのよ!」
ミミミに吠えられて私は自分のチームのダッグアウトをみる。フルタ監督(今日はじめて会った)は「まあまあ」という顔をしている。眼鏡の趣味はいいが顔が好みじゃない、
場の空気に浮かされている場合じゃなかった。ちゃんと野球しなきゃ。
草野球なのにちゃんとウグイス嬢がいて選手紹介がある。ノーアウト二塁から三番セカンドロバタさんセンターオーバーのツーベースでまた一点、四番ファーストゴドーさんはショートゴロで(私がちゃんと仕事して)ワンナウト三塁、五番ライトタームラさん(そう聞こえた)キャッチャーフライ、六番サードアベさん空振りの三振。ようやく一回表が終わる。
「本当に演劇部なの?」
「向こうの顧問が高校の時の同級生でね……そりゃ誰もあんなにうまいとは思っちゃいないよ」と監督。
「いや、若いってなぁええね。こっちも元気なるわ」
すっかり鼻の下を伸ばした江夏のおっちゃんが右手にグラブ、左手にビールの缶で帰ってくる。
「よしゃみんな、いっちょアダルトパワーを見せたろか!」
大人たち、西夕陽丘ガイコッツは円陣を組んで気合を入れる。さぁ一回の裏、私達のターンだ!
(ということがあったのも遠い昔のようだ)
試合時間の倍はあったファミレスでの打ち上げが終わっても、まだ昼をまわっていなかった。ミミミを誘うと「この時間から開いてる居酒屋なんかあったっけ」とホイホイ着いてきた。今日のミミミはやけに素直だ。あるとも「鶏春」は焼鳥を焼く店なので昼から開いている。ついでに売られている酒も飲んだらいいじゃない。
二回裏を十七対〇で終えた時点で「もうまいった! こんなもんで勘弁してや」という江夏のおっさんが悲鳴を上げたのだ。
ミミミは寒い中よく投げていた。二回の表、三点取られて五対〇となったところで「真打登場や」とファーストに居た江夏のおっさんがマウンドに上ってきた。昔はプロで鳴らしたというので、女子高生相手に大人げないと思わなくもなかったが、おっさんはワンナウトも取れない代わりにホームラン三本を含む十二点を取られてしまった。ホームランと言っても外野がもたもたしている間にどんどんとランナーが走ってしまうやつで、ちゃんとホームランだったのは四番の眼鏡の子だけだったけど。ともかくもよく運動した。私もショートからレフトに回されて余計に右往左往した。七番だったので打席はまわってこなかったし。
「げへー」ちゃちなグラスではない中ジョッキでこそビールは美しく美味しい。「昨日の残りで悪いけど」と鶏皮ポン酢が出てくる。焼鳥屋も普段から足繁く通っておくとこういうご利益がある。おじちゃんは焼き場の前から動かず、モグラのようなおばちゃんが狭い店内を行ったり来たりする。
「日曜の昼から極楽とんぼだね、あんたら」
「そんなことないよぉ、朝から肉体労働してきたんだよぉ」
「そらえらいこった。稼いだ分じゃんじゃん飲んだらいいよ」
「打席はまわってこなかったけどね」
おばちゃんの許しを得たのでじゃんじゃん飲む。ミミミは二杯目から焼酎のお湯割りを頼んでいる。
鳥が焼けるまでの時間は案外長いものだ。ふいに気になってスマホで「万歳高校演劇部」と検索してみる。お、ちゃんとサイトがある。
演劇部の様子は学校の堅苦しいサイトの中「部活紹介/文化部」のページに押し込められていた。次回公演予告が載っている。
「あ、これだ。如月自主公演『弱小野球部のマネージャーが孫子の兵法を読んだら相手チームと戦わないように体を張って阻止してくるんですけど』だって」
「本当にやるんだ、それ」
「ちゃんと取材だったんだなぁ」ミミミもずっと半信半疑だったようで、私のスマホを覗き込んでくる。
「ちゃんと野球の練習をして、何演るんだろ?」
「二月十六日かぁ……行ってみる?」
焼鳥が運ばれてきた。いい焼鳥屋は皮であると思う。皮を美味しく焼ける焼鳥屋は一生大事にしていきたい。
今日もまた完璧な鶏皮をいただきながら日本酒の冷に切り替えるうち、あたしはすっかり演劇のことなど忘れてしまった。半ば記憶を飛ばした状態で家に帰ってベッドに潜り込み、ママに叩き起こされて風呂に追いやられる頃には、薬箱をどこに置いたかを思い出そうとしていた。早々に筋肉痛がやってきたのだ。
しばらくして春が来て、またミミミと鶏春の暖簾をくぐったところでふと、そういえばあの演劇部の野球部(ややこしい)どうなったかな、と思い出したのだ。ミミミもあたしと同じくらい「そういえばそんなものもあったね」という顔をしているのでまたスマホを繰ると、演劇部のページではすでに夏の大会用の演目「踊るチンチラハウス」の告知に置き換わっていた。
もうちょっとちゃんと覚えておけばよかった、とあたしにしては反省している。