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実録ドキュメント 老人とぬみ
サヌキマオ
ぬみとはヌミリュサバギドのことで、飯の焦げに似た乾燥食品でいつでもほかほかしている。浅野老人は今日も孫娘の喜ぶ顔見たさにぬみ取りに精を出していた。日は天空高く昇り、遠くからは山の笑う声が聞こえるほーっほっほ。山の笑うのは当然山に口があるからで、その息は腰が抜けるほどくさい。そのくさいところを浴びせられるとラバギザバテルが生まれ、ラバギザバテルが陽の光をたっぷり吸って乾燥するとヌミリュサバギドとなり、調理されて人々の食卓に供されるのだ。
まぁそれはそれとして話を浅野老人のもとに戻す、戻……戻りなさい。あちこち勝手に行くんじゃない。お前がちゃんと転がってくれないと文字数が埋まらないじゃないかってこっちの話ですすみません。すみませんで済むのが世の中でも警察は要ると思うんですよね実際。交通事故だって警察を呼ばないと事故の処理が始まりませんものね日本では。ベネズエラでは金品欲しさに道路に置き石するらしいって最近プロ野球関連のニュースで読みました。
こういう文章は読まされる側のことを考えねばなりません。「老人とぬみ」というタイトルにしたんだから、おとなしくぬみを取りに行く老人の話をすればいいんだけれども、そのですね、ぬみを取りに行く老人の話をそのまま書いちゃあつまらんだろうと思うわけです。読む側も、そして、書く側も、そんな話つまらないに決まっています。で、このような事態に至っている。この不毛な状態からなんとかそれなりの作品に仕上げなきゃいけない。そういう実験。
オチは決まっていて、このぬみ、ヌミリュザバギドのたっぷり詰まったニシンのパイが無事に孫娘のところに送り届けられるわけですが、せっかく運んでくれた魔女子さんに向かって「私、このパイ嫌いなのよねー」と言い放つ。そういうオチをとりあえず想定する。そこに着地するように、書く。ほら、こうやって書いててどうあっても面白い話にならなそうなのが分かります。「魔女の宅急便」まんまじゃねえか。原作の小説は三十年くらい前に読んだきりなのですっかり忘れました。
浅野老人は背丈ほどもあるぬみを背中に背負うとゆっくりと山を降り始めました。すっかり乾ききったぬみはずいぶんと軽いものですが、他の余計な葉っぱや土埃がびっしりと付いています。水槽につけてじゃぶじゃぶと洗うとだいたい半分くらいの大きさになりますが、栄養もあるしかさばるので、当面食べるものに困りません。
ぬみを洗う専用の水槽というのがあって、水槽の一辺全部がばったり開くようになっておる。つまり、ぬみを洗ったあとに、落ちた葉っぱや泥なんかを洗い流しやすくしてあるのです。最近はぬみ取りも流行らなくなったので、開閉部分の水漏れを防ぐゴムパッキンを作っているところが少なくなりました。とはいえ、云うてみれば「底が開く水槽」というだけの代物ですので、錻力屋さんに特別注文すれば作ってもらえますんですが、この設計図を持っている工場も少なくなったと聞きます。
だーかーらー、浅野老人の話をせねばならんのですっ。老人とぬみ。いっそのことぬみはもういいから。十分語ったから。
浅野老人は瀬戸内海の島の生まれで、小さい頃から船に乗っていたと申します。父親は瀬戸内の島に建てられた工場から小倉や北九州に向けて工具や部品を運ぶ船舶の仕事をしていた。小回りの効く小さな貨物船がいくつもいくつも群れをなして島々の間を行き来したと申します。この島から出て、本土の高校に通うべく家を出た。当時は学生用のアパートなんぞいくらもありましたから、そういうところに下宿をしておったわけです。高校を出てからは福山にある釣具の工場でしばらく働いておったそうですが、趣味の釣りの方に入れあげた結果、本社の実働部隊だとか嘯いて野山を歩き回っているうちにさっぱり会社を辞めてしまった。もうその頃には一人娘も働きに出る頃でしたから、あとは余生を過ごすような気持ちにでもなっていたのでしょう。車がないと不便な辺りから新幹線の停まる駅前にマンションを借りまして、たまには島に残した父親の様子をみながら釣りばかりしている。どこからどう伝わったものかはわかりませんが、市役所の開催する釣り教室の講師なんかを請け負ったりして、地元でもそこそこ有名な釣り爺さんとしてそこそこ名のしれた存在になったんだそうな。あっしまったこれではぬみとつながらない。ここからどうやったらぬみにつながるのか。さあ腕の見せ所ですよサヌキさん。
ラバギザバテルは天からの贈り物である。そう、健康食品のパンフレットに書いてありました。
まぁ、で結局そういうのが出てきたのが比婆山だったんですよ。知ってますか比婆山。ヒバゴンって。知らない? あの、ネッシーとかUFOとかそういうのの跋扈した時代についでに出てきた。そうそうそうつちのこの仲間です。あれの仲間の中に、比婆山のヒバゴンというのがおりまして……というのはこっちに置いといて、ラバギザバテルが比婆山で取れるというのがわかったわけです。あれ、生物学的にはきのこの、菌類の一種だと思うんですが、酸素と激しく反応し続けるので大体常々ほかほかしている。これは日本でとれるというので金の匂いを嗅ぎつけた菜西さん。この人、山師の界隈では菜西天皇と呼ばれる人ですが、この人と浅野老人がばったりであってしまった。かたや平成の糸井重里、もとい埋蔵金発掘王、かたや実地試験と称して釣り道具を片手に中国山地を踏破した釣りキチ野郎。何も起きないはずはなく、浅野老人に結構な額をふっかけて道案内をさせたそうな。で、野を覆う大量のラバギラバテルを刈っては売り獲っては売り。一時でもずいぶん儲かったと申します。
世界的な人気を誇る健康食品ということで、東京に住む孫娘の恋ちゃん(大学生)も大喜びと聞きました。さっそく帰省に合わせておばあさんに大きな大きなヌミリュサバギド入りのニシンのパイを作らせますが、あいにく弟の真司くん(高校生)がヘルパンギーナで来られない。普通は幼児がかかるものと相場のヘルパンギーナにかかってしまってぐんにょりしている。
泣く泣く帰省旅行はパーになったものの残されたのは大きなパイ。「こんなもんよう食わんけえ」の本音を押し隠しつつ魔女の宅急便に配達を依頼する、大雨の中必死で山陽道から京都を経て東海道を東へ東へ、やっとたどり着いたら「私、このパイ嫌いなのよねー」――繋がりました繋がりました。以上、老人とぬみ! おしょまい! あ、まだ四〇〇字もあるんですか。
話は悩んでいた。こんな作者のもとに生まれてしまったことを恨んでいた。せっかく話として展開し、ゆくゆくは世界文学全集にでも入ろうかという志も――表には出さないにせよ胸のうちに多少は秘めていたというのに、やれラバギザバテルだの、瀬戸内だのと連れ回されているうちになんとなく終わりを迎えようとしている。こうして書かれて投稿されたあとは広大無辺なインターネット中の塵芥のようなテキストの一部として、「魔女の宅急便」や「ヘルパンギーナ」でネット検索してしまった人の特に興味の大賞にならないまま打ち捨てられていくのだろう。話は行く先を悲観し、来し方の虚無に呆然とし、そして静かに不毛に出荷されていきました。
世はおしなべて事もなしであります。そう思えているうちは。おそらくは。