Entry1
へんなの
サヌキマオ
浅野恋は帰るやいなや、玄関に置かれた小包に顔をひきつらせた。伝票を見なくとも送り主がわかる。じいちゃんが常備しているアイスコーヒーのダンボール箱だ。
となると中身もわかる。ラバギザバテルのパイだ。ラバギザバテルというのはじいちゃんが実家の裏の山から刈ってくるなんだかわからないもので、おそらく植物らしい、という認識のもとに食されている、へんなものだ。これを何かしらの具材やクリームとともにパイにしたものを、幼い頃の恋は不思議と好んで食べていた。祖父たちにとって「幼い頃好きだった」という情報は一ミリたりともアップデートされることはなく、クール便という手段を覚えてからはここ東京のマンションに送られてくるようになった。今でもサバギザバテル、嫌いかといえばそんなことはないのだが、このパイの入る冷蔵庫はなく、分割して温めるのも正直面倒くさい。とはいえ今の陽気ではそうそう悪くもならないし、ひとまず放っておいて部屋に戻ることとする。家には誰もいないのだろうか。真司は部活だろうし、母は買い物だろうか。
(へんなの)
最近はラバギザバテルを食べにくくなった。というのも、一躍健康食品として脚光を浴びてしまったからだ。健康を扱うTV番組などでは自然のもたらしたデトックスの化身などともてはやされ、市場に出回るようになると、まもなく「ややあやしい健康食品」として認知されるようになってしまった。あんなもん、ただの草である。あ、そういうと「草いうんとは違うんよねぇ」という祖父の声が脳裏に響く。なにかの植物の繊維には違いないのだけれど、しょせん、地元民が他に食べるものがなくて獲っていたようなものである。あのあたりは酒飲みも多いので平均寿命も短いと聞いたことがある。ああ、それなのにそれなのに。
「お、帰ったのか」
「なんでいるのよ」
「いや、どうも風邪っぽくて、引けてきた。いや、引けてよかったんだ。そこの荷物」
「父さんが取ったんだ」
「またアレだろ、お前の好きな」
「別に好きってほどでもないん」
「クール便だっていうけど、この気候だし、別にいいよな?」
「まぁ、よくないけど、いいんじゃない?」
「そうか、よくないか。じゃあ開けといて」
「ちょ」
恋はちらと時計を見た。まだ夕方にはずいぶん時間があった。
「なんだ、今日は御飯食べないんだ」
「飲み会があって」
「飲み会? 誰と?」
「同窓会みたいなもんだよ。高校の時の。演劇部の」
「何人くらい集まるの?」
「えぇ? 東京にいないメンバー以外全員。あと顧問」
「顧問? あのオネエみたいなお兄ちゃんか」
「そうともいう」
男っ気のないのに安心したのか「俺は飯まで寝るから」と父は二階の寝室に上がっていってしまった。
(へんなの)
荷物の中にパイは見当たらなかった。干物が数枚と牡蠣醤油の味付け海苔。剥いた牡蠣の入ったポリ袋。
これで放置しておいたら母に死ぬほどどやされるところだった。
お礼の電話をかけたら祖母が出た。ラバギザバテルのパイは入れ忘れたという。
恋の代の演劇部というのはやたら人数が多くて、中一の時点で九人も入部してきた。観背阿美、浦地奈穂、取洲和、辺里守、守野玻璃、国寺美嵐、網星しおん、中東麻兎、そして浅野恋。中二の時に村東あいるが入部してきて、高校に持ち上がって外部から江戸美織と五瓜葵衣が入ってくる。日本萬歳中高演劇部では、入部して一年は裏方をみっちりやる風習があるが、中学一年生が九人いても照明・音響ともにやることがない。しかもたまたま場面の切り替わりがない劇となると、ひとり一ボタン押さずにして全劇五十分の出番が終了してしまった。緊張感が生まれようはずもなかった。顧問にも五年間でそうとう怒られた。そもそも、顧問こそ、この九人を中学二年生の半ば、それこそ村東が入部してくる辺りまで、見分けがつかないでいたのだ。
新宿の駅に緊張せずに降りるのは久しぶりだ。新宿には若い芸人志望が集まる小屋がいくつかあって、恋が新宿で降りるのは、主に小屋の舞台に出るためだからだ。「三食三色パン」というのがトリオの名前で、高三になって演劇部を引退したあと網星しおんと取洲和とで結成したのだ。当然受験や進路のことも考えねばならなかったが、演劇部の暮らしの続きのようなものが欲しかったのかもしれない。取洲の書いたネタが思いのほか好評で、大手の芸人事務所が主催した高校生若手お笑いコンテストの地方大会で決勝まで勝ち残った。優勝していれば十月に大阪で開かれる決勝大会への新幹線の切符とホテルのチケットが手に入るはずだったが、惜しくも叶わなかった。
成績がよくも悪くもなかった恋、勉強よりもネタ作家として人生に目覚めた和は系列大学に推薦入学し、お笑いは好きだったけど勉強とソリの合わなかったしおんは浪人になった。浪人になったというよりも、進学する気がさほどなかったのだ。
今日の「同窓会」の会場もしおんのバイト先の居酒屋だ。恋は自分のバイト先で同窓会をやろうというしおんの気がしれなかったが、本人がいいというのだからいいのだろう。厨房で仕込みだけ手伝ってから同窓会に参加する、ということは今は手が離せないから連絡を取らないほうがいいだろう、と思っているとニコゲから連絡があった。取洲和の和は和と書いてニコと読ませる。「和毛」という言葉があるのだというネタは中高付き合ってどれだけ聞いたことか。それで、三食三色パンでの芸名が「ニコゲ」になった。十四日、渋谷のゴーラウンドに出演られないかというメールである。代演のオファーだ。もう来週の日曜だ。
同窓会にはイギリスにいる守野と大阪の大学にいる江戸以外の十人が集まった。店内をちょこまかと走り回っていたしおんが、いざ客の側に回ると急にいつものじっとりとした空気をまとい出すのはいつ見ても面白い。これは高校演劇の舞台でもよくあった光景だ。しおんは自分で作ったレモンハイを上唇でちゅうちゅう吸っている。
伊武先生は相変わらず格好いい。これが同窓会だと判らなければ、渋谷あたりにいそうなB系の恰好の男一人を二十(だいたい)の女十人で囲んでいる絵面になる。
(へんなの)
大阪の江戸とは電話が繋がり(部屋で独り飯をしていたそうな)、「大阪の江戸」というパワーワードでひとしきり盛り上がり、伊武先生からは今の部の主力が俵村の代だと聞かされて驚いた。恋の代が主力として「玻璃の彷徨」で中央大会まで行ったとき、あの着ぐるみの子は中学三年生だった。相変わらず、今度の公演でもクリオネの着ぐるみで出てくるらしい。
「レン」
呼ばれた。ニコゲだ。
「私達も、ほら」
「ああ」
あわてて来週のライブの話をする。来週の日曜日、十四日。渋谷のゴーラウンド。
「なにそれ、私、聞いてないんだけど」
しおんが目を白黒させる。
家に帰ってもまだふわふわしている。同窓会を一旦締めたあと、伊武先生は帰るというので、なんとなくちりぢりバラバラと解散になる。観背とか奈穂とか麻兎のグループはカラオケに行ったろうし(これは高校の時からだ)国寺さんや辺里さんもついていった(ような気がする)。
(へんなの)
それ以上の感想が出てこなかった。しおんとニコゲとは「あとで連絡する」とだけ云って帰ったので、とりあえず風呂に入る。出る頃には今日みんなが撮った写真がいくつもあがっているだろうし、たぶんそれが全てだ。